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みんなの「旅行」ブログ


忙中閑あり

2017/07/14 15:38
梅雨末期には大雨になることが多いですね。福岡県朝倉市とその周辺、大分県日田市などの災害地の皆様に心よりお見舞い申し上げます。きょうはまた愛知県内に大雨による洪水警報が出て、犬山市では全域避難指示が出ているようです。ご安全を祈ります。

わたしの住む鹿児島でも、つい数日前、震度5強の地震があり、びっくりしました。幸い揺れた時間が短く、鹿児島市街地は震度4強程度の揺れでしたので、特に大きな被害もなく、ビルのエレベータが数時間停止する程度で、夕方には復旧しました。

義母の介護があるので、遠出の旅行は控えていますが、義母がデイサービスを利用する毎週水曜・木曜にかけての1泊2日は、外出日和です。義母の体調もいいので、今週の水・木は夫婦で福岡へ遊びに行きました。忙しさの中にも、その気になれば時間は見つかるものです。

鹿児島中央駅から新幹線に乗り、約1時間半で博多着。水曜(12日)夜はヤフオクドームへ、ソフトバンク対楽天の野球観戦に行きました。約1年ぶりのヤフオクドームです。
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   路地奥に見えるヤフオクドーム

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  ヤフオクドーム内(3塁側席より)

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     同上

その夜はドーム近くのホテルに泊まり、翌朝、すぐ近くにある平野神社にお参りしました。この場所で生れた福岡藩の平野國臣をまつる神社です。平野國臣は幕末の勤王志士として知られています。武術や国学に優れていましたが、脱藩して尊王攘夷運動に身を投じ、37歳の若さで京都で刑死しました。

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  境内の追慕碑(左手)と歌碑(右手)

黒御影石に刻まれた歌碑には「我胸の燃ゆる思ひにくらぶれば烟ハうすし桜島山」とあります。烟は「けむり」 です。この歌の意味ですが、薩摩に何度か足を運んでいる平野が、自分に比べて薩摩藩士にあまり勤皇の精神がないことを感じ、詠んだものだとも言われています。

その後、地下鉄で博多駅へ移動。博多駅にある飾り山を見ました。飾り山は裏表にありますが、写真はメインの表のほうです。これらの飾りは博多人形師たちの手で作られます。

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十七番山笠のお題は「奇襲一ノ谷合戦」でした。表面は主に歴史に材を取り、裏面は現代のアニメのキャラクターなど、子どもたちが楽しめる飾り山になっています。

ちょうど博多の町では櫛田神社の祭事である「博多祇園山笠」が行われており、15日早朝行われる「追い山」に向けて、12日の「追い山ならし」をTV中継で見ることが出来ました。福岡市には長年住んでいたので、子どもたちと早朝に行われる「追い山」を見に行ったことが思い出されました。

「博多祇園山笠」は、勇壮かつ迫力のある男の祭りで、一度リアルに見たらわくわくドキドキ感が止まりません。感動でやみつきになるお祭りです。いよいよあす早朝に、「追い山」が行われます。

飾り山を見た後は、博多駅近くに住む次女宅へ寄り、今年正月に生れた孫の成長ぶりをみて、帰途につきました。

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春の甲斐路をゆく

2017/05/04 17:50
春の大型連休の前半は、東京都内と甲府市、つまり甲斐の国で過ごしました。

4月30日は晴天。新宿駅から朝10時発のスーパー「あずさ」号で出発。中央本線を走る事1時間半で甲府市に到着。出迎えてくれた甲府市在住の知人の車に乗り込み、春の甲斐路(かいじ)を走りました。この数年間、ちょうどこの時期に毎年甲斐路を走っているのです。さて今年はどこへ行くのか、行先は知人におまかせのドライブです。

しばらく走ると、山頂付近が白いままの山々が行く手に見えてきました。正面が甲斐駒ヶ岳、その左側が鳳凰山、そしてさらに左手奥には、南アルプスの一段と真白い峰々が見えます。私の育った九州では、この時期には見る事の出来ない風景です。(写真をクリックすると拡大します)

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   雪を頂く正面は甲斐駒ヶ岳、左手は鳳凰山

最初の目的地は甲府の名勝として名高い昇仙峡を登りつめた地に鎮座する、金峰山を御神体とした金櫻(かなざくら)神社でした。本殿は昭和30年の大火で焼失したそうですが、復元されています。この神社の御神木「鬱金(うこん)櫻」は、神社の名前の由来にもなっているそうです。   

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   金櫻神社本殿

この「鬱金櫻」は古くから民謡に唄われていて、「金の成る木の金櫻」として崇められているそうです。確かに、ウコン色をした、淡い黄金味を帯びた花がちょうど満開でした。またこの神社は「日本水晶発祥の地」ともいわれており、パワースポットとしても人気があるそうです。

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   御神木の「鬱金桜」

急な石段を下ると、そこには昭和30年の大火のときに焼失を免れたという立派な社務所がひっそり佇んでいました。その周辺には、見事な枝垂桜がまさに満開を迎えていました。

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   しだれ桜

昇仙峡と呼ばれる渓谷ぞいの道を走りながら、対岸にそびえ立つ柱状節理の花崗岩の大きさに目を奪われました。山全体が石柱の塊で出来ているような絶景です。秋の紅葉の時期は、さぞかし美しいことでしょう。

荒川ダムの所で昼食。ざるソバもおいしそうでしたが、せっかくなので甲州名物の「ほうとう鍋」をいただきました。こってりした味噌の味が平たい麺と具だくさんの野菜にからまって風味もよく、おいしくいただきました。

そのあとは甲府市に戻りましたが、市内に入るといたる所から、雄大な富士山を見ることが出来ました。その富士山を眺めながら、次は私の希望で山梨県立文学館へ。ここは樋口一葉の両親の出身地ということもあり、一葉関連の文学館独自の図録なども充実していて、手に入れることが出来ました。

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   甲府市内から見た富士山

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   山梨県立文学館

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   文学館入口のポスター

5時間にわたる春の甲斐路を走る旅でしたが、青空高く晴天で、気持ちの良いドライブでした。今年も案内役の知人に感謝です。

最後に下手な自作の俳句を2句

   甲斐路ゆく 鬱金櫻のご神木

   蒼空に 甲斐駒岳の白き峰

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年の瀬の古寺めぐり

2017/01/04 20:34
夫婦ふたり暮らしになってから、かれこれ17年。年末年始は長女のいる東京や、次女のいる福岡で過ごすことが多かった。しかし義母が高齢になり、年末年始はヘルパーさんやデイサービスなど福祉関係の施設もお休みになることから、家を空けることはだんだん難しくなってきた。

けれどそれを理由に、何かを我慢したり犠牲にしたりということはしたくない。ということで9月にスペインに行ったものの、あれは半分仕事がらみの旅行だったので、自費で行ったとはいえ行先もスケジュールも人任せ。めいっぱい楽しみはしたが、やっぱりちょっと違う感じだ。

行くとなれば、宿から日程から自分で吟味して決めて出発したい。というわけで、何年も前から行こうと夫婦で話しながら都合が合わず、延び延びになっていた奈良旅行を決行することにした。時期は12月最後の週の月曜から2泊3日。義母さんはデイサービスなどを利用中なので安心だ。

行きは鹿児島中央駅から新幹線みずほで、新大阪駅まで一直線。帰りは伊丹空港から鹿児島空港までひとっ飛びという計画だ。実は奈良は新婚旅行で行った場所なので、結婚30周年に行く予定が38年周年に、やっとのことで実現したのだった。人生、いつ何が起こるか一寸先は闇。だから行けるときに行かなくちゃとレッツ・ゴー。

最初の到着地大阪も、めったに行くことはないので、奈良に移動する前に日本一高い超高層ビルといわれる「アベノハルカス」へ。仕事納め直前の月曜日の午後だったせいか、14階の入場券売り場にもエレベータ前にも人は並んでおらず、スイスイと展望台へ到着。大都市大阪の街を360度見わたしてきた。

ホテルは新婚旅行で泊まった奈良ホテル。ちょっと高いけれども、ここは奮発して予約した。翌日は終日雨。しかも寒かったが、ホテルから歩いて一番近い元興寺(がんごうじ)へ。ここは「古都奈良の文化財」の一部として、世界遺産に登録されているそうだ。本堂と極楽坊禅室の屋根瓦の一部に使われている、何と飛鳥時代の丸瓦を見ることができた。

次にすぐ近くの、格子のある町屋が続くならまちを散策。昔ながらの漢方薬局で一休みして、さらに歩いて猿沢池へ。ここは中学時代に修学旅行で来たことがあった。その上の高台にある興福寺への階段を上り、南円堂,、再建工事中の中金堂、五重塔、東金堂を歩きながら見学。鹿もいたが、鹿と写真に納まる外国人観光客の多さに驚いた。

次は市バスに乗って、修学旅行以来の東大寺へ。国宝の南大門をくぐり、中門を出た所ではるか正面に国宝の金堂(大仏殿)が目の前に出現したとたん、その壮大で秀麗な建物に「おおっ!」と思わず声が出た。2度の焼失を経て、現在の建物は約300年前のもので、世界最大の木造建築物だとか。中に入り、大仏様を拝顔してきた。

次に隣接する春日大社へ。ここには合計61社が祀られているらしいが起伏が多く、老体にこたえるので、御本殿の周辺のみを歩いた。というのも初もうでの準備で重要な場所は幕で覆ってあり、立ち入り禁止が多かった。見終わると午後2時半。ホテルへ帰ろうとバスに乗ったら、唐招提寺方面へ行くバスだった。

せっかくなので、そのまま唐招提寺へ。写真で見知っていた唐招提寺は参拝者もまばら。木立に囲まれた静謐な場所に、これぞ古寺というゆかしい佇まいで建っていた。翌日は京都に足を延ばし、伏見稲荷神社へ。8割は外国人かという賑やかさでテーマパークと化していた。有り難くはあるけれど早々に退散。計6カ所の有名な寺社をめぐったが、ベストワンの古寺は、鑑真和上の開いた奈良の唐招提寺だった。

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一葉記念館を訪ねて

2016/11/09 21:09
去る9月末にある週刊誌の記者から、樋口一葉のことについての取材依頼があった。樋口一葉の研究者はたくさんいるのに、なんでわたしに? と思ったが、一葉のことを知ってもらうためなら取材でも原稿でも、頼まれれば原則引き受けようと決めているので、今回も承諾の返事をした。そして1カ月ほど前、記者のMさんが鹿児島市内の拙宅へ取材に来られた。

1971年から1996年まで司馬遼太郎が週刊朝日に「街道をゆく」を連載していた縁で、再びその足跡をたどるという企画が同誌で現在進行中なのだという。現在は1991年8月から翌年にかけて連載された「本郷界隈」にさしかかっており、樋口一葉も住んだことのある本郷ということで、わたしのところにも話が舞い込んできたのだった。

連載の表題は≪司馬遼太郎の言葉≫となっていて、わたしの話した内容は第4回「崖下の才能」というタイトルで、別の人への取材も含め、きちんとまとめられていた。つい先月、NHKのドラマで「漱石の妻」が放送されていたが、本郷界隈には夏目漱石、森鴎外、樋口一葉、坪内逍遥などの旧居跡がいまも残っている。

先週は用あって、東京に数日間滞在した。そのうち半日時間が空いたので、本郷行きも考えたが、久しぶりに台東区立「一葉記念館」に行くことにした。東京メトロ日比谷線に乗り、三ノ輪駅で下車。国際通りを南下して、一葉記念館入口バス停から左折。迷わず歩けば10分足らずで一葉記念館にたどり着く。

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   台東区立 一葉記念館


樋口一葉の評伝を書くために1980年代から、一葉記念館には何度となく通った。木造の旧館の時代に数回、10年前に新館に建て替わってからは、今回が2回目の訪問となった。旧館の時、入り口にあった石碑は、現在は記念館に隣接する一葉記念公園に移設されている。

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   一葉記念公園内に移設された石碑 

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   一葉記念公園内の石碑 その2

訪問したのは11月4日だったが、現在「一葉記念館リニューアル10周年記念特別展」として、「にごりえ 〜樋口一葉が描いた光と翳(かげ)〜」が来年1月29日までの予定で開催中だった。平日の午前中のためか来場者は少なく、その分、自分のペースで展示品の1つ1つをゆっくり見て回ることができた。

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   「にごりえ」展示のポスター   

入場料は通常300円。再来週の11月23日は樋口一葉の命日のため、一葉記念館では11月20日(日)から23日(水・祝)に「一葉祭」が開催され、会期中は入場無料となる。毎年その時期に行きたいと思いつつも、なかなか予定が会わず、今年も3週間も早い上京になってしまった。

「一葉祭」では、記念講演や一葉作品の朗読、「たけくらべ」ゆかりの地めぐり、などの催しが行われる。講演と朗読は定員60名程度のため、申込みのあと抽選になるようだ。特に23日の講演は東大教授ロバート・キャンベルさんによる「一葉文学と東京の19世紀」。抽選だけども、館外にモニターも設置されるらしい。聴きに行きたけれど、やっぱり無理、と断念。

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   「一葉祭」のポスター

記念館を出て歩くこと数分、10年ぶりに旧吉原遊郭の近くに行ってみたが、大きな建物が建設中だったのでびっくりした。何が建っているのか気になる。かつて店主と一葉の話をしたことのある「あらき薬局」も同じ場所にあって嬉しかったが、代替わりしていると思い、外から写真を撮るだけにした。

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   あらき薬局外壁にある「一葉案内板」 故・荒木氏は一葉研究家

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   一葉旧居跡を示す石柱と案内板

来た道を逆方向に数分歩くと、一葉の旧居跡があり、石柱や案内板が以前と同じように立っていた。しかし石柱に一番近い家は建て替わっていた。その後、台東区の循環バス「北めぐりん」に乗り、細い道を巡りながら、ここは一葉も歩いた道かもしれない、などと想像しながら、一葉の竜泉寺町での日々に思いをはせた半日だった。

  ※参照 「週刊朝日」11月11日号 ≪司馬遼太郎の言葉≫

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スペイン・アンダルシア紀行 5

2016/10/28 01:31
グラナダで1泊した翌朝、10分ほど歩いて駅に行き、そこから鉄道でセビリアに向かうはずだったが、なんだか様子がおかしい。一同スペイン語の案内放送の意味がわからず、あやうく乗りそこなうところだったが、あわてて列に並んでバスに乗車。高速道路を走ること約2時間で、平原の中に突如出現した真新しい駅へ到着。

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   手荷物検査場

中へ入るとすぐ、空港と同じようにスーツケースなどの手荷物検査があった。これもテロ対策なのだろう。スペインの新幹線かな、と期待したが、動き出したら全然早くなくて、快速列車程度だった。座席の向きは日本のように変えられないので後ろ向きのまま走る。座席を進行方向に動かすのは日本の鉄道の特許、と聞いた事はあるけれど、妙な感じ……。

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   乗って来た列車

オリーブ畑を車窓に見ながら、約2時間でセビリア着。大きな駅だった。ちょうどお昼だったので、構内で軽食を取り、さっそく街に繰り出した。午後7時半の便でセビリア空港からマドリッドまで移動するので、それまでの数時間を利用して男性3人とわたしの計4人で街歩き。徒歩で出発した。

セビリアはアンダルシア州の州都で人口は約70万という。旧市街地はそんなに大きくはなさそうだったが、観光客でいっぱい。30分も歩くと広大な庭園に着いた。さらにいくつもの建物の間を通り過ぎると、ひときわ大きな建物と塔が見えて来た。世界遺産に登録されているセビリア大聖堂とヒラルダの塔だ。

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   ヒラルダの塔

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   大聖堂(手前)とヒラルダの塔

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   馬車に乗った新郎新婦  

結婚式が何組も行われたらしく、着飾った男女と観光客で、聖堂前の広場はごったがえしている。馬車に乗って出発する新郎新婦や、ロールスロイスに乗って移動する新郎新婦もいた。大聖堂内部にはコロンブスの墓があるらしいが、わたしたちはさらに歩いて、マエストランサ闘牛場を外から眺めた。闘牛はスペインの国技だけれど、近年は動物愛護団体などの声に押され、衰退気味らしい。

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   セビリアの街並み

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   マエストランサ闘牛場 外観

2時間ぐらい歩き回って、タクシーで駅まで戻った。駅からリムジンバスでセビリア空港へ行き、マドリッドまで飛び、来た時と同じホテルにまた1泊した。翌日は朝4時にホテルを出発して、マドリッドからパリへ移動。パリから羽田。そして羽田から鹿児島へと、帰路は飛行機に4回乗り継ぐ空の旅だった。

かつてスペインを支配したイスラム教の影響を文化面でも色濃く受けているのが、アンダルシア地方の特徴なのを知ることができた。ひまわり畑も闘牛もフラメンコも見そこなったけれども、南欧は魅力がいっぱいの観光地だった。スペインに知り合いもできたし、次はバレンシア地方にも行きたくなった。

今回、ホテルでは2階や13階に泊まったが、日本と大いに違うことに気が付いた。2階はもちろん、上層階でもガラス窓がパカーンと全開するのだ。もちろん窓の下の壁は、わたしの肩の高さまであるので安全。けれど日本なら、窓をあけても10センチ程度しか開かないようになっている。スペインのこの無防備さは何だろうと思った。

考えてみれば、そもそもスペインではホテルの窓から飛び降り自殺するという発想自体が無いのだと思った。さっそく自殺率の国際比較をネットで調べてみると、ワースト1位:北朝鮮、2位:韓国、3位ガイアナと続き、日本は悲しいかな9位。対するスペインは93位だった。そうか、それで窓がパカーンと開くのか、と妙に納得したスペイン最後の夜だった。

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スペイン・アンダルシア紀行 4

2016/10/22 00:14
アルメリアに3泊して行われた調査も終わり、9月23日午前7時、まだ夜明け前の暗い中を、一行6人はワゴン車に乗ってホテルを出発。グラナダを目指した。高速道路に入ると速度は時速90から100キロ程度と、日本とあまり変わらない。通訳さんは安全運転で飛ばしてくれた。ちなみにスペインは右側通行で高速道はフリー。つまり無料。

ハウス栽培地帯や荒涼とした乾燥地を走る事2時間弱。最後の調査地のとある事業所に着いた。わたし1人ではどこにも行けない場所なので、調査チームの末席に加えてもらい、通訳さんを交えてのやり取りをしっかりメモしながら聞いた。こんな時のために英語の名刺を作って持参したので、役に立った。わたしの肩書は一応「Writer&Blogger」ということにして。

正午前に調査が終り、約1時間高速道を走り、途中の小さな村に降りて、レストランで1時からランチ。スペインの高速道には日本のパーキングエリアのような施設はほとんどないそうだ。またランチの営業は午後1時からが普通らしく、一番乗りの私たちに続き、次々と村に1つしかないお店に人が集まって来た。

再び高速道を走り、グラナダ市内へ入ると、旧市街地は道は狭くて路地が多く、大学もあって、若者や観光客であふれていた。3時前にホテルに着き、通訳さんとはそこでお別れしたが、運転と通訳に大変お世話になった。奥様と娘さんのために買った日本のお土産を手渡して、お別れした。最後にホテルからアルハンブラ宮殿の近くまで、わざわざ送っていただいた。

日程の最後の方でアルハンブラに行くとは聞いていたが、調査が主目的のため観光はあくまで「おまけ」だ。この日はグラナダに泊まり、翌日はセビリアにバスと列車で移動し、夕方の飛行機でマドリッドまで飛ぶ予定だ。マドリッドで1泊して、さらにパリに飛び、パリから羽田、そして羽田から鹿児島へと、帰路は都合4回、計17時間の飛行が待っている。

グラナダに来たのだからと、夕食までの2〜3時間を利用してアルハンブラ宮殿観光を考えたのだ。前々日あたりからネットで調べると、アルハンブラ宮殿に入るのはチケットが必要で、しかも2カ月前ぐらいから予約するらしい。しかし無料で見れる庭園や宮殿も1つあると、あるブログに書いてあったので、「何とかなるさあ」と行ってみたのだ。

空は青空、空気は乾燥していて、日差しは強いのにベタベタした汗はかかない。日陰を見つけるようにして、駐車場の横を通り、ゾロゾロと前の人に続いて中へ入ろうとした。が、チケットの無い人は入れないと断られた。でも大勢の人が脇道を先へ先へと歩いているので、わたしたちも歩いて行くと、地味な入り口があったので、そこから中に入った。

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   坂道を上って行く

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   門をくぐって庭園へ

チケットの無い人は「手の平」が門の上部に描かれている「裁きの門」から入るとよい、とネットに書いてあったが、どうやらその門ではなさそうだ。しばらく坂道を上ると、いかにもイスラム様式という壮麗な建物や門が現れてきた。いろんな国の言葉が飛び交い、人また人の波だ。案内板を見ると、そこは無料で入れるカルロス5世宮殿横の庭園だった。ラッキー! 眼下に門があったので見ると、それが手の平を刻んだ裁きの門だった。

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   裁きの門。上部に手の印がある。
 
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  タクシー乗り場のある広場から

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   カルロス5世宮殿(外壁)

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   カルロス5世宮殿の内部 円形になっている。

アルハンブラ宮殿は世界遺産としても有名。8世紀初めにイスラム教徒がイベリア半島に進出し、アラブ人が築きあげた城塞都市だという。しかし11世紀前半からキリスト教徒が盛り返し、700年かけてイスラム教徒を追い出し、この地は再びキリスト教徒の手に戻ったという。しかしイスラムの最後の砦であったこの宮殿は破壊されずに残り、カルロス5世が避暑地と定めてスペインの城となり、イスラム文化をいまに伝えている。

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   庭園からグラナダの市街地をのぞむ

チケットが無いので有名な宮殿内のパティオや庭園は見ることができなかったが、イスラム建築の一端を見ることができて良かった。通訳さんが数日前、教えてくれた。アルメニアという地名、そこで見たアルカサバ(砦)そしてアルハンブラも、みんな「アル」で始まる。それは「アラブに由来する言葉」で、イスラム文化の名残なんです、と。

グラナダでの夕食は、ホテルから10分ほど歩いて、闘牛場に併設されたレストランへ。5人で飲物と料理を適当に数皿頼んで、戸外の涼しいテーブルで食事。何度も食事したが、ほとんど外れは無く、スペインの料理はわたしだけではなく、みんなの口に合い、おいしかった。
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   グラナダのレストラン。右扉の奥に闘牛場があった。
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   野球場を小さくしたような闘牛場

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   レストランの料理@
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   レストランの料理A

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スペイン・アンダルシア紀行 3

2016/10/08 17:53
今回の旅は機中泊を除き、全6泊の日程で、そのうち3泊は地中海に面したアルメリアだった。調査チームが仕事中に、わたしは自由に観光や街歩きを楽しんだ。とはいえ自分で計画した旅ではないので、行先について下調べもしないまま出発。そのため毎晩スマホやタブレットを活用して、最新の情報を手に入れて翌日の計画を立てた。

観光地めぐりはスマホの地図アプリを使うこともできたが、なんせ女の一人歩き。スキを狙われる危険もあるので、歩きスマホはしたくない。それで移動中は時折ホテルでもらった地図を見たり、街頭に掲示された地図版で確認する程度。前夜にしっかりルートを調べて、迷えば人に尋ねた。

首都マドリッドには旅の最初と最後に、空港近くのホテルに泊まった。同行したチームの目的はアンダルシア地方の調査だったため、アルメリアやグラナダなど地方都市に滞在したのが良かったのか、スリとか強盗とかそんな危ない目には一度も遭わなかった。

言葉は通じなくても身振り手振りでの道案内など、親切にしてもらった。また大都会や繁華街は別にして、たいていの交差点はロータリー方式が採用されていて、横断道路にも信号の無いところが多い。しかし歩行者優先が守られていて、車もバイクもきちんと停止するので安心だった。

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通りの果物屋さん

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ロータリーのようす。一段上がって自転車道と歩道。

ヨーロッパの国々では、たいてい自転車専用道路が設けてある。それは車道の一部が青色の帯状になっていたものもあった。アルメリアの場合は車道ではなく、歩道と同じ高さに1メートル幅くらいに自転車道があり、それに沿って歩道が設けられていた。この方式だと自転車はより安全だと感じた。

今回行ったマドリッド、アルメリア、グラナダの3都市を見た限りでは、大きなごみなど散らかっておらず、昔行ったことのあるパリやロンドンに比べればきれいだった。歩道脇には大きなゴミ箱が並び、簡単な分別はされていて、そこに家庭ごみを捨てていた。そのごみは、大きなトラックが来て回収していた。

交差点の歩道の角には、ポリバケツくらいの黒いゴミ箱が設置され、毎日回収するらしく周辺も散らかっていない。その横にはタバコが吸えるよう灰皿スタンドの設備があるのも目に付いた。そこで立ち止まり、タバコを吸っている人が多かった。ともかく街角にごみ箱が多いところは、日本とは違う光景だ。

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歩道のごみ箱。かなり大きい。

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街角のようす(アルメリア)

9月のスペインはまだ夏時間ということで、時差は7時間。9月下旬なのに夜が長くて、午後7時45分ころやっとたそがれた。そのかわり朝が遅く、7時はまだ真っ暗! 7時半ごろやっと明るくなるという具合だった。美術館などは10時開館。会社は9時に始まり、午後2時から4時が昼休みで、それからまた仕事。当然、万事夜型の生活になっている。

なのでランチのお店は午後1時から、夕食は8時過ぎ開店のレストランが普通だという。週末ともなれば夜の10時過ぎまで飲んだり食べたり楽しむのが、スペイン人の日常のようだ。ただしこんなスペイン時間も非効率ということで、大都市では変化の兆しがあり、シエスタ(午睡)の習慣があるのは、アンダルシア地方など南部に残るのみになりつつあるらしい。

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「黒いバラ」という名のアルメリアのレストラン。

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シーフードのおいしかったアルメリアのレストラン。

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スペイン・アンダルシア紀行 2

2016/10/03 11:20
前回、マドリッドから飛行機で1時間飛んでアルメリアに移動し、子豚の丸焼きならぬ開き焼き? をいただいたところまで書いた。アルメリアはアンダルシア州アルメリア県の県都で、地中海に面した人口約20万の港湾都市だ。温暖な気候を生かしたハウス(温室)農業が中心産業になっている。
 ※写真はワンクリックで拡大します。

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 アルメリア空港近くの農業ハウス群

温暖かつ乾燥地帯でもあるのは、高速道路を走ってわかった。丘陵地帯の山肌を削り取った道路からは、日本の風景とは異なって木はせいぜい灌木(低い木)がまばらにある程度。草が多少生い茂ってはいるが、行けども行けどもほとんどが荒々しい断層をむき出しにした岩山ばかり。ここは石の国だ、と思った。

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  削られた岩肌

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 アルメリア郊外のオフィスビル周辺風景

やがて車窓から緑が見えてきたと思ったら、オリーブ畑やオリーブの苗木を植えた一帯だった。苗木は碁盤の目のように等間隔に植えられていて、平地から斜面一面に続いている。その整然とした美しさは、日本の田植えのあとの田んぼの風景にそっくりだと思った。スペインはオリーブの実の生産国として世界一で、アンダルシア地方は最大の生産量を誇るそうだ。

オリーブ畑もさることながら、アルメリアはハウス栽培も盛んなところ。沿岸から丘陵にかけて真っ白く覆われるほど、膨大な量の農業ハウスで埋め尽くされていた。強い日光を遮り、冬にも栽培するため1980年代からハウス栽培が始まったそうだ。それらの青果物はヨーロッパ各国に輸出されているという。レストランでも生野菜をふんだんに食べることができた。

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 延々と広がるハウス群

アルメリアでの2日目、調査に出かける一行を見送り、一人で旧市街地を観光した。カテドラル(キリスト教大聖堂)や古城など、通訳さんを介してホテルの人に見どころとバス路線を聞いた。さらにバス停で若い女性に行先を告げて下車するバス停を教えてもらい、そのバス停の名前と番号、Cuanto cuesuta? (いくらですか?)と、ノートの1ページに大きな字で書いた。

スペインの路線バスは前乗り・前払いだった。乗ってすぐ、ノートを運転手さんに見せ、ユーロコイン5、6個を乗せた手の平を運転手さんに差し出すと、運賃を取り、おつりとレシート(切符?)をくれた。着いたら教えるよというジェスチャーだったので、安心して乗っていると、15分ほどして繁華街に入り、運転手さんが「ここ」と知らせてくれた。「グラシアス」とお礼を言って下車。スペイン語が話せなくても特に困らなかった。

ホテルでもらった観光地図を片手に、狭く入り組んだ路地を歩いて、まずカテドラルへ。さすがに市の中心部だけあって賑わっている。2度ほど道順を尋ねて大聖堂前の広場に着いた。ぐるりと一周したが、裏側はすごい石組みに覆われていた。日本のお城の石垣もすごいが、大聖堂は頑丈な石の塊だった。

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 カテドラルと広場

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 カテドラルの裏側。まるで要塞。

さらに坂道を上がった先に、どでかい城砦が見えて来た。アルカサバだ。スペインで最も古い城の要塞の一部分で、高さ90メートルの丘に10世紀前半にアラブ人の手で建てられたらしい。石段の先の管理人室のおじさんが「見学はフリー(無料)だよ」と言ってくれたので、さらに登ると、その先には「天空の城ラピュタ」を思わせる風景と庭園が広がっていたのでびっくり。

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     アルカサバを仰ぎ見る

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     整然と広がる城内庭園

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 起伏に富んだ庭園内

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 アルメリア市街地と地中海を望む

広い場内に、見学者はわたしの外に2組ぐらいしかいない。さらに上ると、城というか要塞があった。右端の長方形にくりぬかれただけの入り口に向かって歩いた。一瞬、女一人、密室、迷路、の言葉が脳裏をよぎった。大いに危険、と判断して入るのを止めた。大きな谷を挟んだ向こう側の丘にも建物があり、こちらの要塞と結ぶように長い城壁が築かれていて、雄大な景観だ。空気は乾いており、晴天で30℃くらいあっても、汗をかかない。

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 最も高い場所にある城。窓がほとんどない。

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 谷間に築かれた城壁

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 別の角度から見た城壁

再び旧市街地を歩き回り、疲れたので歩道に並ぶお店でジュースを頼むと1.5ユーロ(約170円)で、目の前でオレンジ数個を絞ってくれた。スペインはバレンシアがオレンジの産地なので、どこでもフレッシュジュースが安くて飲める。休憩している途中で物売りが2度来たが、断るとすぐに離れた。犬を連れた人が多く、中高年の女性たちは明るい色柄のワンピース姿が断然多い。南欧の街で、みな人生を楽しんでいるようだった。

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スペイン・アンダルシア紀行 1

2016/09/28 16:28
ひょんなことからスペイン行きが決まった。この数年、高齢の義母の体調が気がかりで、旅行といえばせいぜい1泊か2泊程度にして長期に家を空けることはなかった。ただ最近は体調も回復してすこぶる元気。なので思い切って、ある研究調査チームに誘われて同行することになったのだ。

日程は、羽田空港近くでの前泊も入れて8泊9日。羽田からパリ経由で、スペインの首都マドリッドへ。マドリッドで1泊し、国内線で地中海に面するアルメリアへ移動し、そこに3泊。さらに車で数時間離れたグラナダに移動して1泊。調査終了後はセビリア空港からマドリッドに戻り、1泊して翌早朝空路パリへ行き、羽田行きに乗り換え。最後に鹿児島行に乗り換えて帰宅した。

ヨーロッパへは数回行っているが、スペインは初めてだ。2002年に当時学生の娘と1カ月間、鉄道を使ってヨーロッパ5か国を周遊したが、スペインは行かなかった。というのもそのころ首絞め強盗やスリ被害に遭う日本人が多く、渡航注意情報が出ていたので止めたのだ。最近は治安も良くなっているらしいし調査チームは男性ばかりなので、心配はしなかった。

パリはシャルル・ド・ゴール国際空港に降り立ったが、飛行機が降下を始めてから着陸まで、ずっと緑と黄土色がパッチワークになった美しい田園地帯が続いた。木々がひとかたまりに生い茂ってはいても、あくまでも平地か丘であって、どこまでも平原が広がっていたのには驚いた。それは次のマドリッド空港も同じで、田園地帯の中に空港が開かれていた。
※写真をワンクリックすると拡大します。

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       シャルル・ド・ゴール空港近くの田園地帯       

マドリッドでは空港近くのホテルに泊まり、翌日朝から調査開始。わたしは市内へ出る途中の地下鉄駅で調査チーム一行と別れて、ひとりでマドリッドの中心部へ移動。マドリッドには地下鉄の路線が12もあって、その路線図と市内地図を片手に観光のスタート地点となるプラザ・デ・エスパーニャ駅(スペイン広場)で下車。地上へ出たが、方角も現在地も全く分からない。現地の人に目的地や建物の名前を言って、道順を2度ほど尋ねた。

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 メトロから地上へ出た風景(以下プラド美術館までマドリッド市内)
   

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       アルムデナ大聖堂

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 プラザ・メイヤー(マヨール広場)

もちろんスペイン語は話せないし、片言英語もあまり役に立たなかったが、道路の案内板と勘を働かせて何とか最初の目的に地に着いた。そこからは観光地図を手に、歴史的な建造物や街並みを楽しみながら迷わず約2時間歩き回った。途中、日本人の団体を1度見たきり。中国や韓国からの観光客にはけっこうすれ違った。日本人は個人旅行が多いのかもしれない。

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   バンコ・デ・エスパーニャ メトロ駅付近

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   メトロポリス保険会社のビル  

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  アルカラ門(かつて街への入り口だった)

昼過ぎに調査チームと地下鉄駅で合流し、レストランへ。パエリア2皿、サラダ1皿を5人でシェアしながら、昼間からビールやワインでランチ。これも旅の醍醐味かもしれない。午後の調査はないというので、プラド美術館へ行ってみたが、なんと長蛇の列。時間的に入館は無理と分かり、断念。建物周囲を散策してホテルに戻り、預けていた荷物を受け取って、マドリッド空港から次の調査地へと移動した。

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    プラド美術館

約2時間の飛行でアルメリアの小さな空港着。そこで通訳の男性と合流し、彼の車で宿泊先のホテルに着いたのは夜の8時だった。荷解きして30分後にロビーに集合し、夕食に出かけた。ホテルは中心部から離れていたので周辺の賑やかさはなかったが、少し歩いていくと窓越しに火が燃えているレストランがあった。子豚が鯵の開き状態で焼かれていたのでびっくり。宣伝用らしかったが、一同興味津々で、そのレストランに入った。

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  レストラン店頭 (子豚の開き焼きなどが歩道から見える)

お店の目玉商品である子豚を焼いた肉とサラダ、ビール、ワインを注文し、通訳さんも含めて6人でシェアしていただいた。豚肉にはポテトなどの付け合わせ、サラダは生野菜たっぷりで、パンが必ず最初に出てくる。子豚の肉は厚く切ってあったが柔らかくて、そのおいしいこと! ごめんねと内心詫びる気持で、初めて食べる味に感激しながらいただいた。

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 子豚の肉を焼いた一皿

ところでパリの空港とマドリッドの地下鉄出口で立っているとき、面白い体験をした。乗り換えのため空港で搭乗口の長い列に並んでいるとき、スペイン人らしい女性から、「この列はマドリッド行きですか?」と2度も訊かれた。地下鉄駅のところでも2度、観光客らしい女性からスペイン語で「○△へはここから出ればいいの?」みたいなことを訊かれたが、「私もツーリストだから分からない」と片言英語で返事した。

周囲にいくらでもスペイン人らしい人たちがいるのに、わたしって、よっぽど話しかけやすいのかな? それとも現地在住の東洋人に見えるのかな? 理由は分からないが、それならばとその経験を逆手にとって、いかにも現地人のふりをして歩いたので、ひとりでも全然平気だった。

老若男女、いろんな人に道を尋ねたが、スペイン人はとても親切だった。背丈も低めの人が多く、道路も歩行者優先が守られていて、親しみと温かさを感じながらの街歩きだった。とはいえ、マドリッドでは銀行入り口に2人の警備員が長い銃を構えて立っていたのを見たが、日本にはない光景だった。
 
 ♪ 管理人ウェブサイト 「杉山武子の文学夢街道」 
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アトランタとマーガレット・ミッチェル 

2016/07/20 01:42
アトランタはアメリカ合衆国南部に位置するジョージア州の州都で、1996年夏にオリンピックが行われ一躍世界の注目を集めました。そこに17年前、個人旅行で行ったことがあります。泊まったホテルも利用した地下鉄も圧倒的に黒人で占められ、さすがに南部の町だと実感したものです。最近アメリカ各地で黒人と警官の間で銃撃での殺し合いが続いているので、ふとアトランタのことを思い出したのです。

アトランタは現在では住民の約6割が黒人だそうで、公民権運動指導者だったマーチン・ ルーサー・キングJr.の出身地でもあります。またニュース番組で有名なCNNセンターやコカ・コーラの本社があります。CNNセンターの巨大な建物に入ると見学コースがあり、放送中のスタジオや編集室などをガラス越しに見られます。大勢の観光客で賑わっていました。

アトランタには別の目的で行きましたが、丸一日の自由時間があったので、地図を片手に一人で街歩きをしたのです。次にマーガレット・ミッチェルが住んでいた家を目指しました。そこは記念館になっており、市の中心部からマルタ・トレインを利用してミッドタウン・ステーションで下車、歩いて2、3分の場所にありました。

ミッチェルは1900年にアトランタで生まれ、育ち、1925年にジョン・マシューと結婚します。新婚当初から住んだのがアトランタのアパートで、そこで10年をかけて「風と共に去りぬ」を書いたのです。この長編小説はアトランタ郊外の架空の大農園タラが舞台。南北戦争を背景に、勝気と虚栄心と行動力で生き抜くヒロインのスカーレット・オハラはあまりにも有名です。小説を読んでいなくても、映画を見られた方は多いと思います。

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         マーガレット・ミッチェル記念館(1999年 筆者撮影)

記念館として保存されている建物は、外見からは大きな一軒家のようにも見えますが、内部は10世帯ほどが住んでいたアパートだったそうです。玄関は共同で、ミッチェル夫妻が使っていた部屋は割と狭い、日本でいうところの2DKくらいの広さでした。コンパクトにまとまり、新婚夫婦にはぴったりの住まいだったことでしょう。

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        タイプライターの置かれた居間(絵葉書)

室内には家具や調度品、台所の調理器具などが当時のままに復元されて、ミッチェルの使っていたというタイプライターが居間の小さなテーブルに置いてあり、当時の雰囲気を偲ぶことができました。主婦業の傍ら図書館に通いつめ、南北戦争の歴史を調べて書き上げた大河小説がこんな場所で生まれたのだと、ジンと胸に迫るものがありました。

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          マーガレット・ミッチェル(絵葉書)

実はこの建物は放火などで2度も火災に遭ったそうで、現在は修復されて「Margaret Mitchell House & Museum」として公開されているのです。見学はビジターセンターで申し込み、30分おきにガイドさんが20名ほどを連れて、各部屋を英語で説明しながら回ります。管理が厳重なので自由に見て回ることはできませんでした。またガイドさんの説明も私の英語力では理解不十分でしたが、目で見て楽しみました。

各国で翻訳された本やミッチェルの自筆手紙などの展示もあります。最後の展示室でガイドさんは、ミッチェルが晩年に出版や映画化などで得た収益の一部を、黒人の地位向上のため慈善事業に使ったことを力強く説明していました。記念館内では写真などの撮影は禁止されていたので、代わりとなる絵はがきを購入しました。

隣接する博物館では映画「風と共に去りぬ」関係の写真や衣装が展示されていました。世界中で聖書の次に売れたという大ヒット作を書いたミッチェルは、大きな名声と莫大な利益を得ましたが、その後は再びペンを取ることはなく、「風と共に去りぬ」の著作の権利を守ることに奔走させられたともいわれています。

作品が世界中で読まれている半面、奴隷制度を美化しているとの批判を受けて元の住まいが放火されるなど、「風と共に去りぬ」はアメリカ社会の全ての人々に受け入れられていない側面も根強くあるようです。黒人の地位向上のための慈善活動も、 ミッチェルは匿名で行っていたそうです。マーガレット・ミッチェルは1949年8月、アトランタで交通事故のため、49歳で亡くなりました。

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タイトル 日 時
忙中閑あり 〜指宿1泊旅行〜
忙中閑あり 〜指宿1泊旅行〜 1月2月と何やら頼まれごとが続いて、この忙しさは3月中旬まで続く予定ですが、それでも3つ4つと、用事が1つずつ片付いていくのは気持ちのいいものです。 ...続きを見る

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2016/02/18 22:41
ダラットの旅
◆林芙美子の長編小説である「浮雲」は、第二次世界大戦中、日本軍が進駐していた仏印(ベトナム)へタイピストとして渡った主人公ゆき子と、ベトナムに置かれた農林研究所所員富岡との出会いから始まります。南国での、戦時中とは思えない夢のような生活が冒頭に濃厚に描かれています。2人の勤める農林研究所は、サイゴン(現在のホーチミン市)から約300キロメートル離れたダラットという町にありました。 ...続きを見る

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2015/11/11 00:03
安近短の1泊旅行
安近短の1泊旅行 ◆同じトシのつれあいがこの春65歳で定年退職し、毎日サンデーになった。常勤ではない仕事に週数回は出掛けるものの、基本的に在宅の身分である。お弁当を作る必要は無くなったが、朝・昼・晩と日に3度の賄いが必要になった。そこでお昼はそれぞれ自分で、と決めたはいいが、同じものを食べるなら結局2人分作ることになる。それもまたよし。 ...続きを見る

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2015/06/24 00:43
新しい一年が始まった
新しい一年が始まった ◆昨年の大みそかからお正月3が日を、東京都港区芝で過ごした。元日にはつれあいの希望で、ある寺院を目指した。新年早々、神社よりも先にお寺に詣でることがいいのかどうかは知らないが、ピンと冷気の張りつめた中、ホテルを歩いて出てまもなく、割とすんなりと見つけることができた。 ...続きを見る

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2015/01/07 01:37
天下茶屋から河口湖へ
天下茶屋から河口湖へ ◆「小川正子記念館」をあとに車はしばらく笛吹川沿いを走り、川を渡って、御坂山のほうへとバイパスを走ります。次の目的地は聞いていないので、どこに連れて行かれるのか分かりません。ミステリー気分を味わいながらのドライブです。 ...続きを見る

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2014/05/14 00:37
山梨県笛吹市にて小川正子をしのぶ
山梨県笛吹市にて小川正子をしのぶ ◆今年も連休半ばの5日間を東京で過ごしました。その間、港区内の娘夫婦宅に居候して、毎日予定を組んでは都内のあちこちへ出没。そのたびに地下鉄乗り場への階段と通路を下ったり上ったり、ほんとによく歩き回りました。東京は足腰が強くないと生きていけない土地だと思います。 ...続きを見る

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2014/05/07 02:29
大隅半島の半日ドライブ
大隅半島の半日ドライブ ◆鹿児島県の地図を見ると、2本の足のように左側に薩摩半島、右側に大隅(おおすみ)半島があり、2つの半島の間には鹿児島湾(錦江湾)が入り込み、その少し奥まったところに桜島があります。先週末に1泊の予定で、大隅半島にある鹿屋(かのや)市吾平町(あいらちょう)の知人宅へ行ってきました。 ...続きを見る

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2014/04/23 01:52
象に乗った話
◆2006年暮れから2007年正月にかけてベトナム南部方面を旅したとき、象に乗った。もちろん観光客のために訓練された象で、30分くらいの散歩だった。その旅の第一の目的は、ホーチミン市内から車で7時間ほどの高原都市ダラットに行くことだった。 ...続きを見る

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2014/03/26 02:10
福岡散歩
福岡散歩 ◆先週末から今週初めにかけ、用あって福岡市に滞在しました。ちょうど黄砂も通り過ぎた後で、お天気も良いので20年ぶりぐらいに福岡タワーに昇り、市内を展望しました。写真をクリックすると拡大します。 ...続きを見る

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2013/03/12 20:45
南国から花の便り
南国から花の便り ◆久しぶりの更新です。先日、鹿児島市内に一人暮らしの夫の母を誘って、夫と私の3人で南九州方面へ車で出かけました。1泊2日の旅です。そのときの写真を一部ご紹介します。  ※写真をクリックすると拡大します。  ...続きを見る

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2012/12/27 23:52
早春の中欧をゆく(5)プラハ
早春の中欧をゆく(5)プラハ ◆プラハに到着した5日目の夕方、天気が崩れて雨になり、翌朝もまだ雨が降っていた。それまで毎日快晴で気温も20℃以上の暖かさだったのが、本来の気候に戻ったのか最後の日は最も寒い一日になった。やっとダウンコートの出番がきたね、やっぱり持って来てよかったと、さっそく着こんで出発。 ...続きを見る

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2012/06/06 01:56
早春の中欧をゆく(4)チェスキー・クルムロフ
早春の中欧をゆく(4)チェスキー・クルムロフ ◆最初の訪問地、ハンガリーのブダペストは中世の面影の残る重厚な建築物の多い、印象的な街だった。しかし2番目の訪問地ウィーンに到着して、同行の皆さんが口々に言うには、ブダペストに比べるとこっちのほうが断然明るいね、と。第一印象といってもよい。明るさが違うというのである。 ...続きを見る

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2012/05/30 04:09
早春の中欧をゆく(3)ウィーン
早春の中欧をゆく(3)ウィーン ◆ウィーンで最初の見学地シェーンブルン宮殿観光の後、まずシュテファン寺院の内部をガイドさんの案内で見学、その後は徒歩でオペラ座まで続く賑やかな歩行者天国のケルントナー通りを散策した。天気は快晴。さすがにまわりは観光客だらけ。スリも仕事に来ていますと、ガイドさんから何度も注意を受ける。 ...続きを見る

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2012/05/23 09:26
早春の中欧をゆく(2)ブダペストからウィーンへ
早春の中欧をゆく(2)ブダペストからウィーンへ ◆ハンガリーという国の名前を知ったのは小学生6年生のとき。器楽クラブで練習した曲がブラームス作曲「ハンガリー舞曲第5番」だった。クラシック音楽が好きになったのはそれ以来で、ハンガリーはリスト、レハール、コダーイ、バルトークなど多くの有名作曲家を輩出している。 ...続きを見る

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2012/05/16 01:48
早春の中欧をゆく(1)ブダペスト
早春の中欧をゆく(1)ブダペスト ◆昨年末だったか、このメルマガでふと「東欧へ行きたい」趣旨のことをつぶやいたら、すぐさま知人から反応があった。「私も行きたいと思っていた、一緒にいこう」と。夢や希望は思い続けていれば叶うというけれど、本当にこの3月下旬、中央ヨーロッパに友人と2人で行ってきた。 ...続きを見る

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2012/05/09 02:45
甲州市を訪ねて
甲州市を訪ねて ◆4つほど予定があり、大型連休前半は東京で過ごした。そのうちの一日は、初めて山梨県甲府盆地へ足を延ばした。甲府市在住の知人がいて、樋口一葉ゆかりの地をご案内しましょうと、以前から誘われていたのである。当日はお天気も上々。朝10時、新宿発スーパー「あずさ」11号に乗車した。 ...続きを見る

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2012/05/02 09:02
満開の一本桜に
満開の一本桜に ◆熊本県南部に位置する人吉盆地を貫いて流れる一級河川の球磨川。いくつもの支流をたばねながら八代平野を経て、やがて不知火海(八代海)に注ぐ。日本三大急流の1つに数えられる急流を下る球磨川下りは、人吉市一番の観光名所だという。 ...続きを見る

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2012/04/18 01:43
思い出のワイマール
◆2002年2月から約1ヵ月をかけて、当時大学2年生の娘と2人でヨーロッパ5ヵ国・13の都市を巡ってからもうすぐ10年になる。パリを出発点にミラノ、ローマ、ウィーン、ベルリン、ロンドンと有名な街を中心に回ったが、居心地がいいなと感じたのは人口約6万人のドイツの小都市ワイマールだった。 ...続きを見る

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2011/11/16 00:19
3度目のいわき市
3度目のいわき市 ◆先週の10月26日、用あって東京へ行った。宿泊先はいつもの娘の家、というか部屋。翌27日には福島県いわき市へ行ってきた。最初に行ったのは1985年、2度目が1991年だったから、3回目の今回は20年ぶりの訪問になった。 ...続きを見る

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2011/11/02 09:36
チャオ! ベトナム(6)
◆旅を終えて思うこと ...続きを見る

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2011/06/29 01:31
チャオ! ベトナム(5)
チャオ! ベトナム(5) ◆ハノイで節電を考える ...続きを見る

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2011/06/22 00:12
チャオ! ベトナム(4)
チャオ! ベトナム(4) ◆発展途上の光と影 メコン川クルーズに同道してくれたガイドのPさんは、とても日本語が上手だった。彼は旅行会社でガイドをしながら、通訳や別の仕事もやっているという。経済成長中のベトナムではあるけれど、大企業などの就職先がたくさんあるわけではなく、各人の特技を生かして日々の糧を得ているようだ。 ...続きを見る

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2011/06/15 00:22
チャオ! ベトナム(3)
チャオ! ベトナム(3) ◆メコン川クルーズで港町ミトーへ ...続きを見る

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2011/06/08 00:22
チャオ! ベトナム(2)
チャオ! ベトナム(2) ◆ ベトナムドンでお金持ち気分 ...続きを見る

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2011/06/01 00:32
チャオ! ベトナム(1)
チャオ! ベトナム(1) ◆ぼったくりタクシーと喧嘩 ...続きを見る

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2011/05/25 00:08
鉄の道今昔
◆生まれて初めて汽車、つまりSLに乗ったのは6歳のときだった。昭和30年ごろのことで、当時父は福岡県大牟田市に映画館を建てる仕事を請負っており、飯場ぐらしをしていた。その映画館もやがて出来あがるころ、父から大牟田に遊びにおいでと連絡があったのだろう。 ...続きを見る

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2011/03/09 01:44
日本に生まれて
◆戦後のベビーブームのしんがりに生まれたわたしを含む世代は、長く1ドル360円時代を経験してきた。それはアメリカドルに対する円が1971年夏まで固定相場だったからで、外国へ旅行するのも、外国製品(舶来品)を買うのもかなりのお金が必要なので、庶民には無縁の高嶺の花だった。 ...続きを見る

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2011/02/02 00:58
まる・サンカク・四角
◆中国と韓国にそれぞれ2度行ったことがある。韓国はそう広くはないのでともかく、中国は広大な国土の端っこに行っただけだ。具体的には上海と香港と、中国奥地のウイグル自治区の3カ所。上海も香港も大都会の観光地であり、ウイグルはウイグル族の自治区なので、中国のほんの一部を見たにすぎない。 ...続きを見る

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2010/10/13 01:45
軍艦島
軍艦島 ◆ひょんなことから、長崎にある「軍艦島」へ行く機会を得た。軍艦島とは、島の外観が軍艦「土佐」にそっくりなことからそう呼ばれるようになったという。島の正式名称は「端島(はじま)」で、長崎港から南西方向に伊王島、高島の横を通り、出港して約1時間、港から約19キロメートルの沖合に位置する小島だ。 ...続きを見る

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2010/08/25 01:19
パスポートの余白
◆高校生の頃、学習雑誌を毎月買っていたが、表紙をめくると折りたたんだ状態の写真ページがあって、切り離して広げると世界各地の美しい風景写真があらわれた。それは春のマッターホルンであり、丘にそびえ建つハイデルベルク城であり、ロンドン塔やウィーンの宮殿風景だった。 ...続きを見る

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2010/05/19 00:27
東京という非日常
◆ここ10年近く、毎年4月末から5月にかけての連休の数日間を東京で過ごしている。今年もまた2ヵ月以上前から飛行機のチケットを予約した。早く予約するほど安い航空券が取れるが、変更は一切きかない切符なので、何事も起きませんようにと、帰るまで毎度祈る気持ちで過ごしている。 ...続きを見る

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2010/05/05 02:34
地道に生きる人々
◆先週末、2泊3日の日程で女友達と二人でソウルへ遊びに行った。私にとっては7年ぶり、2度目の韓国旅行だ。今回はソウルの中心部に滞在し、食と美容(あかすり体験)を目的に、あとは気ままに街歩き。南大門市場をのぞいたり、明洞(ミョンドン)の劇場へ行ったりしたが、旅先で私はいつも働いている人々に目がいく。 ...続きを見る

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2010/03/31 00:04
本土最南端をゆく
◆2月初めの豆まきに続いて立春になり、旧正月も過ぎて早や下旬。先日、鹿児島湾の東側にある大隅(おおすみ)半島へ泊りがけで遊びに行った。目的は大隅半島の先端部分、つまり南大隅(おおすみ)町=合併前の根占(ねじめ)町の役場から数十キロメートル南下しながら中世期の遺物を見ることと、本土最南端の佐多岬まで行くことだった。 ...続きを見る

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2010/02/24 09:28
東京で考えたこと
◆2008年〜2009年の年末年始をどこで過ごそうかと、夫婦2人の生活になって10回目となる今回も11月になると考え始めた。わが家では2人の娘が次々に大学進学のため親元を離れて以来、めったに帰省しないので、この10年間で、親子4人揃ってお正月を迎えたのはたったの1回しかない。そのため私たち夫婦も自然と、お正月は旅先で迎えるようになった。今となっては娘たちが小さかった頃の、家族全員で迎えたお正月が懐かしい。 ...続きを見る

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2009/01/07 00:03
紅葉狩
◆今週の初めに1年に1回の恒例となった、実母を連れての1泊旅行をした。福岡県久留米市郊外に住む実母は、現在83歳でひとり暮らし。ことしの母は春から調子が悪く、むかし患ったことのある肝炎がぶりかえしたと分かり、治療に通うなど体調は万全ではない。けれど本人の希望でひとり暮らしをしているので、ボケてはならじと気を張って生きている。 ...続きを見る

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2008/11/12 00:31
美に捧げる愛の花束
美に捧げる愛の花束 ◆連休冒頭の一日を信州に遊んだ私は、その日の朝、上田市へ向かう新幹線の中で、信州にある美術館等を紹介した本二冊を手にした。それは同行の友達が持参したもので、こんなにもたくさんあるのかと驚嘆するぐらい、大小さまざまな施設が紹介されていた。その数100館はあったろう。掲載されていないものもあると聞いて、やはりこの地には美の集積をいざなう何かがあると思わずにはいられない。 ...続きを見る

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2008/05/14 01:03
信州に立つ
信州に立つ ◆連休冒頭の数日間を東京で過ごした。そのうちの一日は、信州へ日帰りの旅をした。以前このエッセイで書いたことのある戦没画学生の絵を集めた「無言館」、そして夭折画家の遺作を集めた「信濃デッサン館」、その2つの美術館めぐりをするのが、旅の主な目的だった。同行するのは東京在住の男友達2名。 ...続きを見る

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2008/05/07 00:35
福博街歩き
◆いくつかの用事があって、先週末の3連休を福岡市で過ごした。福岡市は私が就職して、一人暮らしをして、結婚して、働きながら子育てをした場所。見慣れた建物を横目に街歩きをすると、懐かしさが体にまとわりついてくる。それは街角のそこここに、仕事や子育てやにまつわる思い出が染みついているからで、相変わらず若者が多く活気に満ちた街の表情は、私が住んでいたころと少しも変わっていない。 ...続きを見る

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2008/01/16 08:57
中国鉄道大紀行を見て
◆今年の春からNHKテレビで放送されていた関口知宏さんの、片道3万8000キロメートルに及ぶ「中国鉄道大紀行」の旅が終わった。それに先立つ関口さんの日本列島鉄道縦断の旅やヨーロッパ鉄道の旅も、私はテレビで見て楽しんだ。今回は中国大陸を網の目のように張り巡らされた鉄道を、ひと筆描きでくまなく回るという長丁場の旅。その旅も終り放送も終わったので、秋の夜長の楽しみが1つ減ってしまった。 ...続きを見る

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2007/11/28 01:59
白夜行 〜北欧見たまま〜(5)
白夜行 〜北欧見たまま〜(5) ◆ストックホルムのびっくりシーフード ※青字は写真参照 6月21日はノルウェーからスウェーデンへ移動する日だ。ベルゲンからストックホルムまでの直行便はなかったので、オスロで国際便に乗り継ぎだった。ところがベルゲン発が45分も遅れたので、オスロの乗り継ぎに間に合わなかった。延着のお詫びなどここでは一切なし。乗り換え乗客はみな足早に移動している。私たちも国内線から国際線フロアに急いで移動。状況がわからず困ったが、渡航経験が多く英会話も一番できる長女がテキパキ迅速に対処してくれたので、出発間近のスト... ...続きを見る

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2007/08/01 19:45
白夜行 〜北欧見たまま〜(4)
◆オスロからベルゲンへ  ※青字は写真参照 スカンジナビア半島は北極海とノルウェー海に面した西側にノルウェー、バルト海とボスニア湾に面した東側にスウェーデンが位置する巨大な半島だ。地図を見ると、その形は恐竜が長い首を下方に伸ばし、大きな口を開けて小さな半島と島の国デンマークを呑み込もうとしているように私には見える。6月18日午後5時にコペンハーゲンを出航した国際フェリーは、カテガット海峡をひたすら北上し、翌朝9時30分オスロ・フィヨルドの最奥に位置するノルウェーの首都オスロの埠頭に到着した。 ... ...続きを見る

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2007/07/25 06:00
白夜行 〜北欧見たまま〜(3)」
◆フェリーでオスロへ の巻  ※青字は写真参照 デンマークの首都コペンハーゲンの名は「商人の港」を意味するらしく、500以上の島々から成るデンマーク最大のシェラン島に位置して、人口約150万人の北欧最大の都市という。到着早々、私たちが市庁舎前広場からコンゲンス・ニュートー広場まで歩いた商店街は王室御用達の老舗や高級ブランド店が軒を連ねる、世界的に有名な歩行者天国らしい。 ...続きを見る

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2007/07/18 10:33
白夜行 〜北欧見たまま〜(2)
◆コペンハーゲンの巻  ※青字は写真参照 11時40分発スカンジナビア航空機に乗り継いで12時間弱、同じ17日の夕方4時過ぎコペンハーゲン着。私の腕時計は日本時間のままで、午後11時過ぎを示している。そろそろ寝る時間になるところだけどここはデンマークの首都コペンハーゲン。コペンハーゲン国際空港は北欧の玄関口らしく、いろいろな言葉が飛び交い大勢の観光客で賑わっていた。外はどんより曇っていて暑くないのに、空港内を行き交う人々の服装は真夏そのものだ。 ...続きを見る

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2007/07/11 14:28
白夜行 〜北欧見たまま〜(1)」
◆「たまには親孝行がしたいから、家族旅行なんかどう?」という耳よりな話が舞い込んだのは今年2月。夫が出張で上京した折、東京在住の長女と久々に会って食事をしているうち、そんな殊勝なことを言い出したと夫からの電話だった。長女は東京で、次女は福岡で仕事をしているがともに独身。帰省先となる鹿児島の私たち夫婦の家へ娘たちが来ることはめったになく、四人家族全員が揃うのは年に一回もあるかないか。 ...続きを見る

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2007/07/04 06:00
ベトナム南部紀行 5.食の宝庫・メコンデルタ
◆観光もさることながら、外国へ行っての最大の楽しみは食事。ベトナムの主食はコメだし、麺料理や鍋料理のメニューも豊富。特にエビ・カニは安くて量もたっぷりなので、食べ過ぎにご用心。歴史的な関係から、ベトナム料理は中華とフレンチの影響を受けているといわれる。料理自体は辛くないので、日本人の口に合う。料理に添えてヌック・マム(魚で作った醤油)、ライム、唐辛子などが小皿で出てくるので、それらで味にアクセントをつけていただく。 ...続きを見る

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2007/02/06 11:18
ベトナム南部紀行 4.ベトナム・アンビリーバボー!
◆外国に行ってまっ先にそのお国柄と出くわす場面は、交通事情とトイレだと思う。特にアジアの発展途上の国々では、団塊世代といわれる私でさえ経験してないような、面白い場面に出あうことがある。興味津々な発見も不便もその国の文化として楽しめば、東南アジアには日本や欧米の旅では味わえない新鮮な驚きに、けっこうたくさん出あえるものだ。ベトナムでの驚きの筆頭は、やはり交通事情だろう。 ...続きを見る

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2007/01/31 08:07
ベトナム南部紀行 3.ランビァン・マウンテン
◆標高1,500メートルの高原に開けたダラット。私の滞在中の気温は、ホーチミンより約10度も低い摂氏20度と快適そのもの。町の中心部にある湖を取り囲む小高い丘には、緑に囲まれた白い瀟洒なヴィラがいくつも建っている。ベトナム戦争中、ダラットはその美しさゆえに空爆を免れたと聞く。アメリカもベトナムを占領したときのために、この避暑地は残しておきたかったのだろう。湖を抱いたダラット市街地の北側にはランビァン・マウンテンの姿を見晴らすことができる。 ...続きを見る

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2007/01/24 01:14
ベトナム南部紀行 2.高原都市ダラットをめざす
◆こんな夜更けに、彼らはどこへ何をしに行くんだろう。時計の針はとうに午前零時をまわっているというのに。明日の移動にそなえて眠ろうとしても、耳元に絶え間なくまとわりつくバイクのエンジン音が眠りを妨げる。朝6時に家を出て、タクシー、JR、飛行機2回、タクシーと乗り継いで午後の9時(日本時間で午後11時)やっとたどり着いたホーチミンのホテル。疲れた頭でぼんやりそんなことを反復しながら寝入ろうと努力する私。 ...続きを見る

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2007/01/17 09:56
ベトナム南部紀行 1.エトランゼ
◆時間とお金があり健康なら、すぐにでも旅に出たいと考える人は多いと思う。しかし三つ全てが潤沢に揃わなくても、旅はできる。どうしてもかの地へ行ってみたい、その強い思いさえあればチャンスはめぐって来るものだ。あとは少しの時間と少しのお金を何とか工面しよう、というより、何とかなる。 ...続きを見る

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2007/01/10 09:31
島原の夏草
◆数年前から年に一度、福岡の自宅にひとり暮らしの母と一泊二日の旅行に出かけている。行き先は母が行きたいと希望する所で、昨年は湯布院へ行き、ことしは長崎県島原市だった。私は前日から母の家に泊まり、当日朝、近くを通る西鉄電車で終点の大牟田へ。さらにバスで10分の三池港へ移動して高速船に乗り、約40分有明海を南下して島原外港到着。 ...続きを見る

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2006/07/05 16:56

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