アクセスカウンタ

一樹の蔭、一河の流れ

プロフィール

ブログ名
一樹の蔭、一河の流れ
ブログ紹介
文芸サイト「文学夢街道」管理人の杉山武子です。
実りある60代をめざして、読書・映画・旅行など日々の活動から思うこと感じることを書いて、水曜日にアップしています。
ブログ名は平家物語の「一樹の蔭に宿るも前世の契り浅からず、同じ流れにむすぶも他生の縁なほ深し」に由来しています。
どうぞよろしく! 
(メールマガジン【僕らはみんな生きている!】でも配信中)
メルマガ配信登録は、こちらからどうぞ。
  http://www5a.biglobe.ne.jp/~takeko/melmaga.htm
 
zoom RSS

「樋口一葉生誕145年記念特別展」開催中

2017/11/13 11:53
明治の作家で、5千円札の顔にもなっている樋口一葉は、明治5年(1872年)に現在の東京都千代田区内幸町で生まれました。ことしは一葉の生誕145年にあたることから、東京都台東区立「一葉記念館」では、特別展 【樋口一葉と博文館 〜「奇蹟の14カ月」をプロデュース〜」】 を開催中です。

会期は来年(平成30年)の1月28日までとたっぷりあります。その間に、わたしも上京の予定がありますので、ぜひ行きたいと思います。お近くの方はぜひ、足を運ばれてはいかがでしょうか。下記はその案内チラシの表と裏面です。入館料は大人300円、小中高生100です。(20名以上の団体割引あり)
 ※「一葉祭」開催期間中の11月23日(木・祝)から25日(土)は入館無料。

  ※画像をクリックすると拡大します。

画像


画像


展覧会関連行事も無料の朗読会(12月10日)、有料の文学講座(来年2月の10日と24日の2回)が企画されています。どちらも人数制限がありますので、各申込み締切日までに往復はがきでの申し込みが必要です。詳しくはチラシの裏面に書いてあります。または一葉記念館にお問い合わせください。

  台東区立 一葉記念館
   〒110−0012
   東京都台東区竜泉3−18−4
   電話:03−3873−0004 Fax:03−3873−5942

  ※毎週月曜日と年末年始は休館日ですので、ご確認の上お出かけください。

一葉記念館のウェブサイトでも、詳しい情報がご覧になれます。
   http://www.taitocity.net/zaidan/ichiyo/oshirase/news/1819/

  
  ♪ 管理者ウェブサイト 「杉山武子の文学夢街道」

記事へナイス ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 0


ノンちゃんとのひと夏

2017/11/08 19:54
ノンちゃんは、ことし7月に3歳になったばかりの女の子だ。歌を歌うのが大好きで、言葉や文字に対する関心が強い。今年の夏、そのノンちゃんに妹が生まれたので、おばあちゃんであるわたしは家事の支援のために上京し、
38日間をノンちゃん一家と暮らした。

7月末に生れた赤ん坊の世話はママの仕事なので、わたしはもっぱら食事作りや買い物、掃除、洗濯物をたたむこと。そしてノンちゃんを保育園まで送り迎えすることだ。赤ん坊のママ、つまりわが娘は仕事を持っているので、産休が終わったら来年春まで育児休暇を取るという。

わたしが娘たちを産んだ40年ほど前は、事務職員には育児休暇の制度はなく、産後6週間休んだら職場復帰していた。そのため赤ん坊は生後43日目から、まず無認可保育所のお世話になるのが普通だった。首も座らない赤ん坊を預けていたんだと思うと、今更ながら心苦しい。そうやって育てた娘たちの産後の手伝いに駆けつけるのは、ちょっぴり罪滅ぼしの気持ちもあるのだ。

毎朝バスに10分ほど乗り、さらに10分歩いて保育園へ。ノンちゃんは、しばらく歩くと「だっこ」と言って足を止める。体重10キロを超えているから、「おばあちゃん疲れた」というと「ノンちゃんも疲れた」と1歩も動かない。ついにだっこより楽な「おんぶ」をすると、背中で「大きくなったらノンちゃんが、おばあちゃんをおんぶしてあげるよ」と言ってくれたが、嬉しいような悲しいような気分になった。

そんなある日、歩かせるために「お歌を歌って行こう」と誘うと乗って来て、
  夏はとってもすてきだな
  プールで泳いでスイカを食べて
  セミにおしっこかけられて
  夏はほんとにすてきだな


と、通行人がびっくりするほどの大声で得意げに歌いながら歩く。保育園で習ったらしいが、わたしの知らない歌である。帰りによく歌ってくれたのは、
  アルプス一万尺 コヤギのうえで
  アルペン踊りをさあ踊りましょ
  ラーラララ ラララ ラーラララ・・・

とこれも大声で。「コヤギじゃなくて、こやり(小槍)よ」と何度も訂正するが、一度耳で覚えた歌詞を直すのはなかなかに難しい。

ある日、保育園で習った歌をさっそく披露してくれた。
  指に足りない 一寸法師
  小さい体に 大きなのぞみ
  お椀の舟に 箸のかい
  京へはるばる のぼりゆく

と、発音も正確に歌ってくれた。しかしそのあとすぐに、「指に足りないって何?」「はるばるって何?」と質問してくる。

一寸の長さを示して、「これより短い小さな体よ」と言うと、ノンちゃんの解釈は違うらしく、5本指をパッと開いて「違う。指が1本足りないの」と知ったかぶり。「はるばる」は「遠いところ」と言ったものの説明は難しい。また大人の会話に出てくる、まったく、とても、しかも、などをすぐに自分でも使ってみせるところが面白い。

大好きなカルタ遊びをしながら「ひらかな」を徐々に覚え、バスの中や看板に知っている字を見つけては声を出して読んでみる。まっさらな脳細胞にいろんな情報を貪欲にインプットしてゆくさまを見るのは、なんだかミステリアスだ。こうやって言葉を覚えていくんだなとおさらいしつつ、ノンちゃんと過ごした楽しいひと夏だった。

  ♪ 管理者ウェブサイト 「杉山武子の文学夢街道」

記事へナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0


思いやりの心

2017/10/18 23:08
あれは確か高校生の頃だった、と思い出して年齢を計算して驚いた。なんと今から半世紀も前のこと。われながら長く生きたものだ。と思う一方、日本人女性の平均寿命まであと20年もあるではないかと気づいて、これまたびっくり。余命や余生などと言っている場合ではない長さである。

それはさておき、高校時代のある日のこと。めったに怒らない父が母を叱っている場面に遭遇した。「お前には思いやりというものがない」と父が諫め、母はしおらしく首をうなだれていた。父からは一度も叱られた経験のない私は、驚いてそっとその場を離れた。

兄弟姉妹が6〜7人は普通という、産めよ増やせよの時代に生まれた母には生まれる前に兄が2人いた。しかし弟のほうは5歳のとき、用水路に落ちて溺死したという。その直後に生れた母は大事に育てられたが、たった1人の兄は太平洋戦争中に徴兵されて戦死。母は一人っ子になってしまったのだ。

母は戦死した兄とは一回り年が離れていたこともあり、ただ可愛がられた思い出だけで、けんかした経験などなかったという。一人娘なので競争相手がおらず、我慢する必要がないので自由気ままに育ち、けっこう「ワガママ娘」だったと母は自分でも言っていた。

「思いやり」を辞書で引くと「他人の身の上や心情に心を配ること」と書いてある。「思いやり」という言葉を知って以来、私って人に対して「思いやり」の心があるのだろうかと考えてみたがわからなかった。それで母のどんなところが父を怒らせたのだろうかと、実践的に学ぶことにした。

工務店を営んでいた父は、大きなバイクを愛用していた。家には建築資材を運ぶトラックはあったが、運転はもっぱら兄の仕事。暑い日も寒い日も、父はバイクに乗ってあちこちの建築現場を監督するために駆け回っていた。冬は革のジャンパー姿だったが、やはり寒かったのだろう。よく風邪をひいた。

ある日、父が私をバイクの後ろに乗せて10分ほどの場所まで送ってくれたこことがあった。真冬ではなかったがバイクが走り出すや寒風をまともに受けて体中が冷えた。着いた頃には寒さで手足も口もガクガクと震えて、しゃべることさえままならなかった。父がひと冬に何度も風邪をひく理由が分かった気がした。

ところが風邪をひかないことを自慢にする丈夫な体の持ち主の母は、「また風邪ひいて」などと平気で言っていた。風邪気味の父の為に滋養のある温かい食べ物を作るとか、防寒着の心配をすることもなかった。その無頓着こそが「思いやり」がないことなのだと、私はそんなふうに思った。

私の結婚した相手はよく風邪をひいて寝付く人だった。私は母に似たのか冬でも風邪をひいたことがなく、子ども2人を保育園に送り、仕事が終われば迎えに行って夕食・入浴等々、毎日子供の世話でてんてこ舞いの忙しさ。つい、風邪ひきさんは楽でいいなと、愚痴めいた感情が湧いて来る。

そんな気持は顔に出るのか相手に伝わるようで「病人の気持も知らないで」と、痛い言葉が返って来た。そのとき、病気をしない私は病人の辛い気持にとんと疎いのだと気づかされた。母と同じで「思いやりがない」と父に叱られた気がした。それから数十年経つが、亡き父の教えはいまも日々新しい。

 ♪ 管理者ウェブサイト 「杉山武子の文学夢街道」 

記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 7


手帳の言葉

2017/09/28 00:01
いかにIT技術が発達し、パソコンやタブレットやスマートフォンを使いこなしている人でも、手書きの手帳を愛用したり、ちょっとしたことをメモ帳などに書き留めている人は、案外多いのではないでしょうか。そういうわたしも、パソコンやスマホを使う一方で、日常的に手帳やメモ帳が手放せません。

それはテレビはもちろん、パソコンも携帯電話もなかった戦後まもなくの時代に生まれたアナログ世代だからでしょうか。手帳には、その時々に読んだ本の中から気になる言葉などがあると、後ろの余白欄にすぐさま書きつけます。気に入った言葉は新しい手帳にまた書き写して、何年も繰り越すものもあります。そうやって何から引用したのか出典が分からないまま書き写していたのが、下記のような言葉でした。

  そもそも個性とは、集団の中で鷹のように目立ってしまう強い性格
  のことではなくて、ひとりひとりを、それぞれ少しずつ他とは違えて
  いる何かのことである。だから正しく言って、ひとりひとりは生きて
  あるだけで充分に個性的なのである。すべての生命は、等しく尊い。

  男と女の世界も例外ではないだろう。言うまでもないことだが、男と
 と女は同等の価値を持ち、君と彼女はそれぞれが相手と少しずつ
  違 う何かを持っている。それゆえ君が自分の生き方を語るならば、
  彼 女の生き方に耳を傾けることがフェアだ。

 男女関係において大人になるというのは、物理的な距離の近さでお
 互いに影響しあう抜き差しならない関係を、自覚的、意識的に受け
 入れていくことと言っていいが、そこではどちらももとのままではあ
 りえない。

 二つの個性はついに二つの個性の重みをそのままに火花を散らす
  のだ。男女関係のロマンも絶望もそこにある。

 そこにあるのは優劣の問題ではないし、ましてひとりの人間の重み
 は抱き上げてわかる種類のものではない。人間が性をめぐって傷付
  きやすいのは、ここにもっとも人間的なものが集中してあらわれて
  いるからだろう。


以上がかなり以前から、手帳に繰り返し書き写してきた言葉の1つです。誰の何の本から引用したのか、長い間不明のままでしたが、最近やっとその出所が分かりました。筑摩書房刊『高校生のための文章読本』です。本というより参考書に近いかもしれません。

文章の書き方について指導者がいるわけではなく、自分で勉強するための参考書のつもりで買った本でした。買ったのは1989年で、当時のわたしは高校生どころか2児の母親でしたが、非常に分かりやすい内容なので長く愛読していたのです。

それをまた手元に置いて折に触れて読み返していくうちに、なんと先に引用した文章に出くわしたのです。この本は有名な作家の文章を取り上げて、それをいろんな角度から解説したもので、引用部分は「男と女」をテーマにした9章の最後の解説文の一部でした。筆者名はありませんから、編者4人のうちのどなたかでしょう。文章について学ぶ楽しさを教えてくれた本です。

  ※引用文献 「高校生のための 文章読本」筑摩書房
         1986年3月25日 初版 680円

 ♪ 管理者ウェブサイト 「杉山武子の文学夢街道」
記事へナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0


きょうの桜島

2017/09/18 13:17
◆しばらく音無しの構えだった桜島が、この夏より、再び活動を開始しました。1日に10回以上爆発・噴火することも珍しくありません。そのため風向き次第では、火山灰の襲撃を受け、道路には砂状の灰があちこちにかたまり、風が吹けば舞い上がって目に入ります。(トホホ)

台風一過でまた残暑厳しいお天気となったきょう、朝から桜島が元気です。1回噴煙が上がると、数分後にはまた新しい黒い噴煙が上がり、それが上昇して拡散を始めると、また下から黒い噴煙が頭を出します。その繰り返しです。1年以上おとなしかったので、たっぷりエネルギーをおなかの中に蓄えたのでしょう。大爆発ではなく、小出しにしてくれるのでそれはいいのですが。(写真は今朝、自宅から撮影)

画像


画像


画像


画像


画像


画像


噴煙は上昇するに従い、黒い色から灰色へ、そして白っぽくなり、上空の風に乗って火山灰は広がり、風下のほうに流されて行きます。きょうは西北の風に乗って、鹿児島市街地とは逆の大隅半島方面(写真では右方向)へ灰が流されています。そして空から降り注ぎます。
記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0


憤怒について

2017/09/13 22:33
喜怒哀楽の感情を持つのが人間だ。喜び、怒り、哀しみ、楽しみながら日々過ごしている。とりわけ2番目の「怒」の感情に火が付くと、爆発して手が付けられなくなる人がいる。怒りは他の感情とはちがい、後味の悪さが付きまとうものだ。それは相手を傷つけ、自分も傷つくからであろう。

最近、高齢者が突然怒り出して周囲に迷惑をかけたというニュースをよく耳にする。こらえ性が無くなり、ちょっと待たされたり、相手の態度が気に食わないなどと難癖つけては、異常なほど怒ったりわめいたりして感情の歯止めがきかなくなるのだ。

この怒り、言い換えれば憤怒の感情について、わたしの愛読書であるトルストイの『文読む月日』の中の文章を紹介したい。この書は1日に1章ずつ、トルストイが膨大な読書の中から古今東西の聖賢たちの名言を集め、1年365日分、心の糧となるように編んだものだ。

その本の1月23日の項は、「怒り」「憤怒」について書かれている。引用文の場合は文末にそれを言った(書いた)人の名前が記され、名前のないものはトルストイ自身の言葉だ。以下はトルストイの言葉からの引用。

 (二)ローマの賢人セネカは(中略)怒る癖をなくする
    ためには、人がぶんぶん怒っている恰好を見るの
    もいい、と言う。人が怒っているときの恰好、つ
    まりまるで酔っ払い同然に赤い顔、憎悪に満ちた
    醜い顔をして不愉快なきいきい声を出し、口汚い
    言葉を吐く恰好を見て、自分はあんな醜態は演じ
    たくはないと思え、と言うのである。

 (四)憤怒がどんなに他人にとって有害であろうと、そ
    れにもまして憤怒する当人にとって有害である。
    憤怒は必ずそれを呼び起こした相手の行為以上に
    有害なのだ。

 (八)われわれが腹を立てるのは、なんでそんな腹の立
    つことが起きたかの原因がわからないからである。
    なぜならもしその原因がわかれば、われわれは結
    果ではなくてその原因に腹を立てるであろうから
    である。しかしながらあらゆる現象の外的原因は
    非常に遠くにあって、これを発見することはでき
    ないが、その内的原因は――いつもわれわれ自身
    なのだ。どうしてわれわれは人を責めるのが好き
    で、こんなに意地悪く、こんなに理不尽に責める
    のだろう? 人を責めることで自分の責任を免れ
    ようと思うからである。われわれは自分に困るよ
    うなことがあると、これは自分が悪いからでなく
    て、人が悪いからと考えたがるのである。

 (十)人々が互いに憎々しげに口論していると、子供は
    どちらが正しくてどちらが悪いかわからないまま、
    心で双方を非難しながら憂わしげに二人のもとか
    ら走り去る。そしていつも二人のどちらよりも、
    その子供のほうが正しいのである。


トルストイの『文読む月日』には傾聴に値するいろいろな考え方や思想が詰め込まれており、折に触れてその日の項を開いたり、無作為にパッと開いたページを読んで、心の栄養にしたり思索の道しるべにしている。

とはいえ、怒りの感情を抑え過ぎたり溜め込んでしまえば、逆に身体のほうに悪影響が生じる。また明らかな差別や人権無視などの行為に対しては、怒りをもって抗議したり理路整然と反論することは必要だと思う。理不尽なことに対しては、怒りの感情は押さえたり泣き寝入りせずに外に出していいものだと思っている。

怒りの感情というのは、なかなかコントロールが難しいが、この扱いにくい感情に振り回されないよう、日々おだやかに暮らしたいと願っている。そのためには新聞やテレビのニュースなど見過ぎないようにして、心安らかな気持ちで日々を送るのが理想だけれど……。

 参考図書:トルストイ『文読む月日』(全三冊)
      北御門二郎訳 ちくま文庫 本体各1500円+税

  ♪ 管理者ウェブサイト 「杉山武子の文学夢街道」 
記事へナイス ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0


港区芝界隈を歩く

2017/08/23 11:35
現在、東京都港区内の長女夫婦宅に8月1日から滞在しています。というのも、長女が第二子を出産したので、産後の家事支援のために来ているのです。わたしの主な役目は、食事作り、買い物、掃除、上の子(3歳児)を保育園に送迎することです。たまには娘に代わって赤ん坊の世話もします。

今年1月には次女の第二子出産に伴い、2月末まで福岡市内の娘夫婦宅に滞在しておりました。2人の娘がそれぞれ2人ずつ出産したので、この数年で孫が4人になりました。娘たちは仕事を持っており、当世風に晩婚・高齢出産になりましたが、子宝に恵まれ、有難いことです。

産後の娘の支援とはいえ、実は赤ん坊よりも上の子(3歳児)の方に多くの手がかかります。いうことを聞かず口答えする、飛んだり跳ねたり、急に走り出したりと、60代後半のわたしにとっては連れて歩くというより追いかけるのが大変で、結構重労働です。

自由な外出はままならないものの、保育園からの帰り道、歴史を感じる旧跡などを見て歩くのがせめてもの安息のひと時です。JR田町駅近くから北上する日比谷通りの周辺一帯は、江戸時代に多くの大名屋敷があった場所で、歴史を感じさせられる見所がたくさんあります。

保育園を出るとまもなく、NEC本社の大きなビルがあり、それを横目に通り過ぎると、緑の多いゆったりした敷地の中にホテルやオフィスビルが並んでいます。そのあたりは江戸時代に薩摩藩の大規模な上屋敷があった場所で、「芝さつまの道」として緑地帯が整備されています。
画像
   NEC本社ビル

画像
    芝さつまの道 案内板

画像
    さつまの道 緑地帯

その一角に、「旧町名由来板20」と書いた案内板があります。それには「三田四国町」「三田同胞町」「松本町」の3町名の説明が書いてあり、「三田四国町」の場合は、一説に、四国の諸大名であった阿波の徳島、土佐の高知、讃岐の高松、伊予の松山の各藩邸があったことに由来する町名とのこと。

画像
   旧町名由来板

そこから東側の表通りに出ると、現在の日比谷通り。その通りを北上すると、まもなく左側に芝公園が広がります。広大な園内には芝東照宮、通りに面した三解脱門、その奥には増上寺があり、さらに奥には東京タワーが屹立していて、新旧の趣が感じられます。
画像
    三解脱門

画像
   東京タワー

日比谷通りを挟んだ反対側の芝公園内にも寺院が多く、尾崎紅葉生誕の地や「万延元年 遣米使節記念碑」、黒船でやって来た「ペルリ提督の像」、また公園内には災害時に使えるトイレや防災パーゴラと呼ばれる簡易な災害対策施設が、数箇所ありました。
画像
   ペルリ提督像

芝公園内にある港区役所に寄り、港区の観光マップや歴史ガイドブックなど、無料で配布されている資料を何種類かいただきました。港区には芝・新橋地区以外にも、白金・高輪、麻布・六本木、青山・赤坂、ベイエリア地区など、歴史的なものと近代的なものがうまく融合した場所が数多くあります。

今回はそれらを見て回る時間はありませが、いずれまた上京の機会があったら、下調べをして、歴史の勉強も兼ねがら徒歩やバスを利用してじっくり見て回りたいと思います。

 ※ 管理者ウェブサイト 「杉山武子の文学夢街道」 
記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 2


続きを見る

トップへ

月別リンク



一樹の蔭、一河の流れ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる