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一樹の蔭、一河の流れ

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一樹の蔭、一河の流れ
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文芸サイト「文学夢街道」管理人の杉山武子です。
実りある60代をめざして、読書・映画・旅行など日々の活動から思うこと感じることを書いて、水曜日にアップしています。
ブログ名は平家物語の「一樹の蔭に宿るも前世の契り浅からず、同じ流れにむすぶも他生の縁なほ深し」に由来しています。
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国際オーガニック映画祭 in KAGOSHIMA 2016

2016/08/13 11:47
毎年秋に恒例となっている、国際オーガニック映画祭がわたしの住む鹿児島市内で開催されます。主催:NPO法人鹿児島県有機農業協会/オーガニック映画祭かごしま実行委員会、共催:一般社団法人鹿児島コミュニティシネマです。メインテーマは、

「いのちをつなぐ 食を見つめる」 食・農・環境 未来へつなぐ 暮らしをさぐる

9月9日(金)、10(土)、11日(日)の3日間、鹿児島市の繁華街にある商業ビル・マルヤガーデンズ(鹿児島市呉服町6−5 ) 7階のミニ映画館、「ガーデンズシネマ」で開催されます。

どの映画も、いわゆるシネコンと呼ばれる興業収入優先の映画館では上映しない、見ごたえのある映画ばかりです。

下記は映画祭のパンフレットです。鹿児島市とその周辺にお住いの、食の安心・安全にご興味のある方は、どうぞ小さな映画館へ足をお運びください。

チケット料金等は、上映スケジュールの下部のほうに明記されています。お得な前売り券1作品1,100円、全作品が1回ずつ鑑賞できる通し券 3,300円 もあります。

   ※画像をクリックすると、拡大します。

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また今回の映画祭では、9月19日(月・祝)に、「特別上映&講演会」も開催されます。場所は、鹿児島県歴史資料センター 黎明館 講堂 (鹿児島市城山町7−2)です。
詳しくは下記をご覧ください。講演会は無料ですが、映画鑑賞にはチケットが必要です。

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わたしたちの口に入る食料の大半を外国からの輸入に頼っている日本。その食べものについて、もう一度自分や家族の問題として、考えてみるきっかけにしませんか。マルヤガーデンズシネマは、以前わたしも受付やもぎりのボランティアをしていた大好きな映画館です。みなさまのご来場をお待ちしております。

※お問合せ先 
     NPO法人 鹿児島県有機農業協会 099−258−3374
     ガーデンズシネマ 099−222−8746



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ぎなのこるがふのよかと

2016/08/10 00:51
10年ほど前、昭和6年生れのKさんからこんな話を聞いた。Kさんは東京生まれ。その後家族と中国へ渡り、奉天(現・瀋陽市)のとある部隊の要塞の中の、高射砲陣地や憲兵隊のいる環境で生活し、飛行場を下に見ながら少年時代を送ったという。敗戦とともに状況は一変し、命からがら引き揚げの末、福岡県の筑豊地方へ。

食うや食わずの引揚者なので、何とか職にありつこうと、当時景気の良かった炭坑夫を志願。しかし入れないというので、会社の採用係を招待して、焼酎飲ませ酒飲ませ、ご馳走攻めの賄賂まがいの手を使ってめでたく就職したという。ここからKさん19歳の炭坑労働者としての人生が始まった。

それから約10年後の戦後日本は、1960年(昭和35)安保闘争を挟んで政治運動と労働運動が激化し、ピークを迎えていた時代。そのころ福岡県筑豊地方の中間市に、文学や詩や演劇・映画などの文化創造運動を旗印にした「サークル村」が誕生した。その中心となったのは、炭坑労働者・技術者・会社員・教員・紡績女工・主婦など一般の人々。当時日本中に高まっていた労働運動の熱気の中から、躍りだすように生まれた集団だった。

エネルギーの塊のような集団は、その言語表現・発表の場として月刊の機関誌「サークル村」を創刊。約3年間発行された。「サークル村」の中心的な推進者だったのは、詩人・谷川雁と作家・上野英信の2人。この「サークル村」から出発し、のちにそれぞれの課題を持って優れた書き手に育ったのが森崎和江、石牟礼道子、中村きい子である。

「サークル村」の中心的存在だった谷川雁は、炭鉱労働者たちを組織して活動したが、「サークル村」の終焉とともに筑豊を去り、あっさり東京へ行く。その後の彼には「転向者」「裏切り者」などのレッテルが貼られたが、「サークル村」の活動を一緒にやって谷川雁と身近に接してきたKさんは、そんな風評を真っ向から否定した。

谷川雁は多くの詩を書いているが、ある詩の最後に「ぎなのこるがふのよかと」の一行がある。それにはごていねいに(残った奴が運のいい奴)という注までついているのに、Kさんにはその一行の意味がずっと理解できなかったそうだ。福岡地方では「ふ」は「運」の意なのでわかるが「ぎなのこる」の意味と、全体として何をいいたいのかが理解できない。

70歳を過ぎたころ水俣市在住の知人にこの話をすると、それは子どもの遊び唄にあるという。誰かを選ぶときに、左手をグーにして凸凹になった指の節を、「ぎなのこるがふのよかと」といいながら、1つずつ数えていく。それを聞いた東京育ちのKさん、ピンと閃いたそうだ。関東では左手をパーに開いて、誰かさんを指名するとき「だれにしようかな かみさまのいうとおり」とやるのを。

Kさんはいう。私は昭和一ケタ生まれ。僕らはゆりかごの中で育って、平和な中で今日あるわけではないんです。本当に食うや食わずで、戦場で、爆弾で犠牲になって死んだ人も多いのに、戦争をくぐり抜けてよう生きとった。つまり「ふがよか」生き残りなんです、と。そのKさんは数年前に亡くなった。

こんなことを思い出したのも、8月には広島と長崎の原爆忌があり、被爆者も高齢化して語り部が少なくなっていると聞いたからだ。少し前のこと、修学旅行生に被爆体験を語っていたご老人に、「この死にそこない」と暴言を吐いた高校生のことが話題になった。このニュースを見たとき、突然わたしは「ぎなのこるがふのよかと」という言葉を思い出したのだ。

わたしはその高校生に言いたかった。「あなたには親がいて、祖父もいるはず。その祖父の世代は戦場に送られ、帰って来た生き残り組ですよ。つまり死にそこなったからこそ、あなたの親が生まれ、あなたが生まれたんです。おじいさんが戦死したなら、あなたはこの世に存在しません」と。私を含めいまの日本人の大多数は、あの戦争で「ふがよくて」生き残った人々の子孫であることを、終戦記念日を迎える暑い夏に思いおこしたい。

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クシシュトフ・ヤブウォンスキを聴きに行く

2016/07/26 10:46
現在鹿児島で開催されてる「霧島国際音楽祭」ですが、先日のザビエル教会コンサートに続き、昨日はピアニストのクシシュトフ・ヤブウォンスキさんのさんのコンサートに行ってきました。ヤブウォンスキさんは1965年ポーランドのヴロツワフ生まれで、1985年第11回ショパン国際ピアノコンクール第3位入賞。このときの1位はブーニンで、4位に小山実稚恵さんが入賞されています。

わたしが初めてヤブウォンスキさんの演奏を聴いたのは、2012年。霧島国際音楽祭・ザビエル教会でのピアノリサイタルでした。ポーランド出身の彼は、同じポーランド人・ショパンの曲を得意としています。教会で初めて聴いたショパンの曲の数々は、繊細な旋律はあくまでの繊細でありながら、盛り上がる所では情熱的でダイナミックな演奏。その力強いショパンがとても印象的で、心をわしづかみにされてしまったのです。

霧島国際音楽祭に来鹿されるたびに、ヤブウォンスキさんの演奏を聴きに行っています。今年は鹿児島市民文化ホール第2を会場に、オールショパンプログラムでした。ヤブウォンスキさんの演奏は、端的に言えば、わたしには疾走するイメージです。繊細でかつスピードがあり、力強さが魅力だと、わたしは感じています。

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       当日のチケット半券

前半は「2つのノクターン」「子犬のワルツ」「舟歌」「3つの華麗なる大円舞曲」、練習曲の「黒鍵」「革命」「木枯らし」と約45分間の熱演でした。ピアノリサイタルを聴きに行くときは、いつも演奏者の手先が見えるように、舞台の中央に置かれたピアノに向かって、やや左寄りの席を取ります。今回もばっちり、鍵盤のうえを舞うように動くヤブウォンスキさんの指の動きが見えて、その音色と共に2倍楽しめました。

休憩をはさんで、後半にはこれもショパン作曲「ピアノ協奏曲 第1番」が演奏されました。この曲はふつうオーケストラ編成で演奏されます。協奏曲の名の通り、オーケストラとピアノが交互に、あるいは一緒に、文字通り双方が協奏する演奏スタイルです。

しかし今回はオーケストラとではなく、「室内楽版」でのピアノ協奏曲第1番でした。共演は、カルテット・アマービレのみなさんにコントラバスの長谷川信久さんが加わり、総勢5名の弦楽器のみの構成です。当日入場の際いただいたプログラムには、「ヤブウォンスキ氏が考える、ショパン作曲 ピアノ協奏曲第1番の聴きどころとは?」と題した文章が掲載されていました。

その出だしは「この曲の私の解釈は、いわゆる世界でトレンドとなっている、主流の解釈とはちょっと違うかもしれません」で始まり、ヤブウォンスキさんの考えが詳しく述べられています。

ショパンは協奏曲を第1番と第2番の2曲作っていて、そのどちらもわたしの大好きな曲です。これまでいろいろなピアニストとオーケストラとの組み合わせて、ライブ演奏やCDで、数多くこの2つのピアノ協奏曲を聴いてきましたが、室内楽版で聴くのは初めての経験です。

通常数十人から時には100人近い大編成のオーケストラとの協奏ではなく、わずか5人の奏者との協奏曲はどんなものかと、大いに興味がわきました。冒頭の長い導入部は弦楽器のみでスタート。第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスそれぞれが奏でる音はあくまでもシンプルで、音量も大きいとは言えません。でもその分、繊細な旋律が手に取るように、1つ1つの楽器の旋律の違いまではっきり、しかもピタリと合わさって聞こえます。

そこにやがてピアノが力強く、最初はソロで始まります。オーケストラをバックの演奏では、時にピアノとオーケストラの競争のように聴こえて、それがまた魅力でもあります。けれども室内楽版では、ピアノの部分が曲の大きな幹だとしたら、5つの弦楽器はその幹をやさしく覆っている小枝や木の葉に思えました。主役はあくまでもピアノであっても、そこに風にゆれる木の葉の揺らぎのような繊細さが加わり、幹を盛り立てていくのです。

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         CDのジャケット

ますますヤブウォンスキさんの演奏が好きになり、今回もまたCDを1枚買いました。こちらはベートーベンのピアノソナタ曲集です。ヤブウォンスキさん、来年も霧島国際音楽祭にぜひ来てくださいね。

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ザビエル教会コンサート

2016/07/24 14:52
ことしもやってきました「霧島国際音楽祭2016」。何と第37回目を迎える歴史ある音楽祭です。鹿児島県霧島市の「みやまコンセール(霧島国際音楽ホール)」をメイン会場に、鹿児島市内の宝山ホール、市民文化ホール、ザビエル教会などで、ことしは7月15日に始まり、8月7日までの日程で現在開催中です。

つい先日の7月22日は、ザビエル教会でコンサートがあり、行ってきました。今年は午後の部@と、夜の部Aと、1日に2回公演という初めての試みでした。毎年ザビエルコンサートに行っているわたしは、もちろん@A両方のチケットをゲット。

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    第37回「霧島国際音楽祭」パンフレット表紙

14時00開始のコンサート@は、バッハ(グノー):アヴェ・マリア、ヘンデル:歌劇「リナルド」より゛私を泣かせてください″、イタリア古典歌曲等を、鈴木優人さんのチェンバロとパイプオルガンの伴奏で、鹿児島県出身の馬原優子さんが艶やかで豊かな声量で歌い上げられました。

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    開演前。祭壇に置かれたチェンバロ

後半は、ヴィバルディの「四季」です。演奏者は、鈴木優人さんの指揮&チェンバロ、川久保賜紀さん・成田達輝さんのヴァイオリン、猿渡友美恵さんのヴィオラ、原田哲男さんのチェロ、長谷川信久さんのコントラバスという豪華な編成です。40数分に及ぶ「四季」全曲を思い切り堪能。400人の聴衆がいるとは思えないほど静まりかえった教会内に、弦楽器の豊かな強弱の音色が充ち充ちて、ほんとに贅沢な時間を過ごしました。

今回初めて14時スタートという公演でした。空調はあったようですが、わたしのいた2階席は、かなり暑かったです。外は35度近い猛暑。「四季」演奏中は教会のステンドグラスを通して西日が楽器や奏者に降り注ぎ、光り輝いて見えました。演奏者には長時間日が当たり、相当暑かったろうと思いましたが、それでも7人の熱演に聴衆も集中して聴き惚れ、双方汗をかきかきの、すてきな真夏の教会コンサートでした。

19時開始のAコンサートは、オール・バッハ・プログラム。わたしの大好きなバッハの曲を、オルガンとチェンバロでしかも教会で聴けたのです。演奏者は@にも出演された鈴木優人さんで、オランダにお住まいだそうです。

演奏されたのは、オルガン・ソロ5曲、チェンバロ・ソロ5曲でした。オルガン・ソロはもちろん教会の2階にあるパイプオルガンでの演奏です。特に最後の3曲は、トッカータとフーガ 二短調 BWV 565、フーガ ト短調「小フーガ」 BWV 578、パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV 582、と超有名な大作ばかりです。久しぶりのパイプオルガンの音色に、心満たされました。チェンバロ・ソロではイタリア協奏曲や平均律クラヴィーアなど、バッハらしい音色を楽しむことができました。

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     2016年7月23日付 南日本新聞朝刊記事

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      パイプオルガン


教会ですので、1回の公演で400席しかありません。そのためいい席を取ろうと、発売開始と同時にいつもチケットを手に入れます。毎年夏の楽しみの1つが終わってしまいましたが、来年はどんなコンサートかなと考えて、もういまから楽しみにしています。明日はまた別のコンサートに行ってきます。

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アトランタとマーガレット・ミッチェル 

2016/07/20 01:42
アトランタはアメリカ合衆国南部に位置するジョージア州の州都で、1996年夏にオリンピックが行われ一躍世界の注目を集めました。そこに17年前、個人旅行で行ったことがあります。泊まったホテルも利用した地下鉄も圧倒的に黒人で占められ、さすがに南部の町だと実感したものです。最近アメリカ各地で黒人と警官の間で銃撃での殺し合いが続いているので、ふとアトランタのことを思い出したのです。

アトランタは現在では住民の約6割が黒人だそうで、公民権運動指導者だったマーチン・ ルーサー・キングJr.の出身地でもあります。またニュース番組で有名なCNNセンターやコカ・コーラの本社があります。CNNセンターの巨大な建物に入ると見学コースがあり、放送中のスタジオや編集室などをガラス越しに見られます。大勢の観光客で賑わっていました。

アトランタには別の目的で行きましたが、丸一日の自由時間があったので、地図を片手に一人で街歩きをしたのです。次にマーガレット・ミッチェルが住んでいた家を目指しました。そこは記念館になっており、市の中心部からマルタ・トレインを利用してミッドタウン・ステーションで下車、歩いて2、3分の場所にありました。

ミッチェルは1900年にアトランタで生まれ、育ち、1925年にジョン・マシューと結婚します。新婚当初から住んだのがアトランタのアパートで、そこで10年をかけて「風と共に去りぬ」を書いたのです。この長編小説はアトランタ郊外の架空の大農園タラが舞台。南北戦争を背景に、勝気と虚栄心と行動力で生き抜くヒロインのスカーレット・オハラはあまりにも有名です。小説を読んでいなくても、映画を見られた方は多いと思います。

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         マーガレット・ミッチェル記念館(1999年 筆者撮影)

記念館として保存されている建物は、外見からは大きな一軒家のようにも見えますが、内部は10世帯ほどが住んでいたアパートだったそうです。玄関は共同で、ミッチェル夫妻が使っていた部屋は割と狭い、日本でいうところの2DKくらいの広さでした。コンパクトにまとまり、新婚夫婦にはぴったりの住まいだったことでしょう。

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        タイプライターの置かれた居間(絵葉書)

室内には家具や調度品、台所の調理器具などが当時のままに復元されて、ミッチェルの使っていたというタイプライターが居間の小さなテーブルに置いてあり、当時の雰囲気を偲ぶことができました。主婦業の傍ら図書館に通いつめ、南北戦争の歴史を調べて書き上げた大河小説がこんな場所で生まれたのだと、ジンと胸に迫るものがありました。

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          マーガレット・ミッチェル(絵葉書)

実はこの建物は放火などで2度も火災に遭ったそうで、現在は修復されて「Margaret Mitchell House & Museum」として公開されているのです。見学はビジターセンターで申し込み、30分おきにガイドさんが20名ほどを連れて、各部屋を英語で説明しながら回ります。管理が厳重なので自由に見て回ることはできませんでした。またガイドさんの説明も私の英語力では理解不十分でしたが、目で見て楽しみました。

各国で翻訳された本やミッチェルの自筆手紙などの展示もあります。最後の展示室でガイドさんは、ミッチェルが晩年に出版や映画化などで得た収益の一部を、黒人の地位向上のため慈善事業に使ったことを力強く説明していました。記念館内では写真などの撮影は禁止されていたので、代わりとなる絵はがきを購入しました。

隣接する博物館では映画「風と共に去りぬ」関係の写真や衣装が展示されていました。世界中で聖書の次に売れたという大ヒット作を書いたミッチェルは、大きな名声と莫大な利益を得ましたが、その後は再びペンを取ることはなく、「風と共に去りぬ」の著作の権利を守ることに奔走させられたともいわれています。

作品が世界中で読まれている半面、奴隷制度を美化しているとの批判を受けて元の住まいが放火されるなど、「風と共に去りぬ」はアメリカ社会の全ての人々に受け入れられていない側面も根強くあるようです。黒人の地位向上のための慈善活動も、 ミッチェルは匿名で行っていたそうです。マーガレット・ミッチェルは1949年8月、アトランタで交通事故のため、49歳で亡くなりました。

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夕暮れの桜島と虹のアーチ

2016/07/07 20:20
きょうは7月7日、七夕です。朝からすっきりとした夏空でしたが、夕方からにわかに厚い雲が空を覆いました。どうやらはるか南の海上に発生した大型の台風1号の影響のようです。

夕食後、ふと桜島を見てびっくり。なんと桜島全体が朱く染まって、しかも大きな虹がアーチを掛けているではありませんが。本当に色といいい、構図といい、うっとりする風景が広がっていました。

実物の美しさはとうてい携帯カメラの写真では十分にお伝えできませんが、きょうの日没前の、美しい桜島の様子をごらんください。(写真は全て筆者撮影)

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      7月7日午後7時22分撮影

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      午後7時23分撮影 左側に副虹もうっすら見える

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     午後7時28分撮影 ほんの数分で、空全体が薄紫色に



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見えない世界

2016/07/06 12:06
たくさんの物に囲まれ、目に見える世界に暮らしているわたしたちは、それが全てとは思わないにしても、かなりの部分満足して生活していると思う。また例えば目の見える人は、見えない人より優位に立っていると思い込んでいるかもしれない。ところが最近、わたしは見えない世界のことがどうも気になってきた。

わたしの勤め人人生30年のうち、20年間を某国立大学ですごした。辞める前の数年間は理学部数学教室に勤めていたが、そこに1年に1度、フランス人の教授が集中講義にみえていた。滞在は1週間程度で、専門は幾何学の、しかも盲目の教授だった。休憩時間にはこちらの理解力などお構いなく、英語で話しかけられる。そのとき空間の数学というものを、大学院生などを介して間接的に簡単に教わった。

ゼロ次元の世界は、針の先のような点の世界。全ての点には隣り合う点が存在しているという。離れた点と点を結んだ直線が一次元の世界。それをX軸として、もう一つの直線Y軸と交わってできる板のような平面が二次元の世界。この平面と別の平面が交差してできる空間が、いわゆる立体で、前後・左右・上下のある三次元の世界ということになる。

わたしたちの生きている物質世界は、この三次元の空間ということになるが、空間内の物は三次元空間座標を定義することによって、正確な位置を決定することができる……等々、説明されたような気がするが、それ以上はうろ覚えでこの説明が正確かどうかも、あまり自信がない。

問題はその次の四次元の話。三次元空間に、時間軸を加えたものが四次元の世界だそうだ。三次元空間のエネルギーや物質は、全てが時間軸の方向に動いているらしいけれど、人間には四次元を認識するだけの感覚器官がないという。その四次元の世界は時間の連続体であって、しかもその空間は曲がっているそうだ。

教授はそういう研究をされていて、例えば幾何学的な形のものを頭の中で、どんな位置からも自由に見ることができるらしかった。ひっくり返したり、多面体を平面的に広げてみたり、自由自在にどのようにでも認識できるのだと。盲目であることが有利であるという話だ。なまじ目が見えるために見えるものから自由になれないから、逆に見えない人より想像力に乏しい不自由な世界にいるのかもしれない。盲目の教授はわたしにそんなことを考えさせてくれた。

ミヒャエル・エンデの小説に『モモ』がある。この本には「時間どろぼうと盗まれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語」という長い副題がついている。毎日忙しくせかされ過ぎて、自分の時間を取り戻せない現代人を描いているこの小説は、本当の豊かさとは目に見えるものではなく、自分の内面にある無限の時間を大切にすることの大切さを教えている。

四次元の世界を認識できない人間は、三次元の世界で感じることができ、見えるもの、つまり科学の発達で得た文明社会を謳歌してきた。逆にいえば科学に頼りすぎて、人間にとって必要な目に見えない世界――霊や魂や心などの精神世界的なもの―を、非科学的、非現実的として排除しすぎてきたのかもしれない。何かが多すぎて何かが足りないのだろう。

誰しも見える物に、手に入る物に執着したい。いい家に住み、いい物を身につけ、美味しいものを食べたい。それらの欲求が大量生産へとつながり、経済を回し、社会全体や個人の生活を豊かにしてきたのだから。それはいわば人間の向上心の結果であり、いいことには違いない。一方で、不平等や不公平が生じてしまう現実もまた否めないけれど。

健康や幸福がお金では買えるなら誰しもそうしたい。不老長寿の薬があれば大富豪が一番先に駆けつけるかもしれない。けれど人間はいつか死ぬから、1度きりの人生を楽しみ、よりよく生きたいと努力するのだろう。見えない世界とは、実は自分の人生のことなのかもしれないと最近思うようになった。老人の部類に仕分けされたこの先、わたしなりの世界を心豊かに過ごせるよう心掛け、もっと時間を大切にしたい。

  「本当に大切なものは目に見えない」
        サン=テグジュペリ『星の王子さま』より

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