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一樹の蔭、一河の流れ

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ブログ名
一樹の蔭、一河の流れ
ブログ紹介
文芸サイト「文学夢街道」管理人の杉山武子です。
五十代からが人生楽しい!をモットーに、読書・映画・旅行など日々の活動から思うこと感じることを、水曜日に書いています。
ブログ名は平家物語の「一樹の蔭に宿るも前世の契り浅からず、同じ流れにむすぶも他生の縁なほ深し」に由来しています。どうぞよろしく! 
(メールマガジン【僕らはみんな生きている!】で配信中)
 
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うなぎ

2009/07/01 00:09
鹿児島に住むようになって、やがて10年になろうとしている。鹿児島産といえば芋焼酎はつとに知られているが、意外だったのは鰻(うなぎ)の生産量。ちなみに農水省が公表した2008年の「内水面養殖業のうなぎ生産量」によれば、鹿児島県の鰻生産量は全国一だ。

   1位:鹿児島 7444トン
   2位:愛知   6272トン
   3位:宮崎   3498トン
   4位:静岡   1632トン
   5位:高知    593トン

近年の生産量の上位4位は、だいたいこの4県のようだ。私が鰻の焼いたのを初めて食べたのは、小学4年生(昭和34年)のころだった。日本が高度経済成長期に入る前のことで、まだテレビのある家は少なく、衣食住とも決して豊かではないが、田舎なので食料にはさほど事欠かない、のんびりした暮らしだったように思う。

私の住んでいたのは稲作地帯で、田んぼにはクリーク(用水路)が縦横に走り、溜め池も多かった。小川や側溝にはまだコンクリートなど打たれておらず、自然のままに草が生い茂り、夏にはホタルが飛び交い、ドジョウやカニが家の横の側溝でもよく捕れた。そんなのどかなある日、わが家に川で捕まえたという大きな鰻の到来物があった。

さっそく金タライに放された鰻。蒲焼きにしたらさぞかしうまかろうと話し合っている大人たちの横で、私はヘビのように長い鰻をこわごわ見ていた。やがて鰻をさばくというので、父がまな板代わりの厚い板を持ってきた。父はタライを逃げ回る鰻を何とか掴まえ、さらにその頭を押さえて目の下あたりに大きな釘を打ちつけて、鰻を板に固定した。

けれどそれまでが大変で、鰻も運命を察したのか暴れること甚だしく、父は釘を打ちつけるところでもう汗びっしょり。次に頭のほうから尻尾に向かって鰻をさばいていくと、中は白身だった。はっきり覚えているのは、残酷な場面を目撃したそのあたりまで。最近母が言うには、そのときの鰻の処理が父にはたいそう苦痛だったらしく、二度と自宅で鰻は食べなかったそうだ。

私の生家は福岡県南部にあって、水郷柳川に近い。柳川といえば市内をめぐる掘割りをどんこ舟で下る川下りが有名だ。私も柳川に遊びに行ったとき、初めて名物の「鰻のセイロ蒸し」を食べて、その美味しさに驚き、大好きになった。だから私にとっての鰻料理は、セイロ蒸しと決まっていた。

ところが鹿児島へやってきて、鰻屋さんはあっても、鰻のセイロ蒸しがない。期間限定でたまにやっているくらいだ。メニューは「うな重」と「うな丼」が中心。うな重の作り方は土地によって違うらしいが、当地のうな重は白ご飯と鰻の蒲焼きが別々の重箱に入って、2段重ねで出てくる。松・竹・梅の3ランクが基本で、味ではなく、鰻の量が違う。

あるとき初めて通りがかった鰻屋さんで「ひつまぶし」という看板を見た。私はそれを読み違えて「ヒマ潰し」って、一体どんな食べ物だろうと頼んで、おひつに入った刻み鰻を見て、ヒマ潰しではないことに気が付いて大笑い。でも食したのはその一度だけ。いまは連れの好みに合わせて、もっぱら「うな重」ばかりだ。セイロ蒸しは、帰省した時の楽しみということで。

先日も買い物帰りの昼食に、鹿児島市の繁華街にある鰻屋さんに入った。この店の蒲焼きは焼き加減が強めで、タレも濃く甘くて美味しい。店の周辺までプ〜ンと、蒲焼きの独特の匂いが立ち込めている。しかし周辺はブティックなどの商店街なので、匂いだけが妙に浮いていてミスマッチだと通るたびに感じる。それに鹿児島は生産量日本一と言う割には、鰻屋さんが少ないと私は思うのだけど。

鰻の匂いといえば、私の好きなこんな江戸小話がある。あるけちん坊が食事どきになると鰻屋の前に出かけて、腹いっぱい美味しい匂いを吸い込み、家に帰ってそれをおかずにご飯を食べていた。それに気づいた鰻屋のおやじさんが匂い代を請求すると、けちん坊は、チャラチャラとお金の音をさせて、匂いの代金をお金の音で払った。この勝負、けちん坊の勝ち、という小話。

そろそろ梅雨明けも近いが、夏の土用の丑の日といえば鰻の出番。ことしはそれがなんと7月19日と7月31日の2回もあるそうだ。土用丑の日の鰻は、バレンタイン・デーのチョコレートと似たようなものだけど、栄養面では夏バテ防止に良いと聞くから、そう信じて食べれば一段と元気が出てきそうだ。

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肯定的な生き方

2009/06/24 00:02
またしても文学ネタになるけれど、生誕100年の太宰治のマスコミの取り上げ方を見ているうち、私はやっぱり何か引っかかるものを感じてしまった。なぜそんなふうに感じてしまうのか。自分の気持の中のもやもやが何かを考えているうち、ふと肯定的な生き方と否定的な生き方、という考えが浮かんだ。

それと同時に、私の知る90翁の老作家たちよりさらに先輩格の、作家で詩人の伊藤桂一先生(92歳)のことを思い出した。師事してはいないのに先生と呼ぶわけは、毎年4月に東京で行われるある会合でいつもご一緒し、半日を過ごすご縁があるからだ。

日中戦争のとき20歳という巡り合わせで、敗戦まで6年10カ月の軍隊生活を送られたという伊藤先生。

  どっちみち私たちの世代にとっては、戦中は綱渡りをしていたようなもの
  で、落ちた者はみな死んだ。(中略)終戦の時、開戦責任者は、だれも
  責任をとらなかった。責任は私たちがとらなければならなかった。同世代
  の仲間の死者のためには、同世代の生き残った者が弔ってやらないか
  ぎり、だれも弔ってくれないからである。


戦後の一時期大病を患い、5年ほどかけて体質改善に務め、病が癒えてくると同時に、人生に対する考え方が素直に肯定的になってきたという。

  否定して行くことは純粋で強烈だ、とぼくは思っていたが、しかし穏健に
  肯定していくことこそ、より勁(つよ)い精神を必要とするのである。(中略)

  否定的な生き方は、狭量で、自己を時には暴力を以ても守ろうとする弱
  さに通じるが、肯定的な生き方は、是(ぜ)を是とし、非を非とする識別力
  を高め、かつその見識をはっきりと提示して行く勇気につながっているの
  である。悲しければ嘆くし、嬉しければ素直に喜ぶが、しかしその底に、
  感情に流されることのない、きびしく貫いたものは持っている、ということ
  である。(中略)
  そこにこそ平凡に生きる価値がある、と、それが自然に、胸のなかで氷
  の解けるようにわかって来たのである。


数年前の会合で伊藤先生とご一緒する機会があったとき、『小説の書き方』という本を出されていたことを知り、さっそく買って読んだ。引用した文章はその本の一部で、詩や小説の勉強を志す人に向けて書かれているが、そのなかで次のような部分が、私にはとても勉強になった。

  マンネリズムの作品を、書き直すとよくなるのではないか、という問題が
  ある。しかし、書き直しても、原則としてだが、よくならない。なぜなら、
  マンネリズム作品を書いている能力をもって書き直してみても、よくなる
  はずはないからである。ただ、変化はすると思う。

  書き直せばよくなる、という幻想から、覚め切るのはむづかしいのである。
  小説勉強というのは、結局、幻想からどう覚めるか、ということに尽きるか
  もしれない。


そして次の部分が、私には一番胸にストンと落ちたところだ。私が太宰治に対して感じるあのもやもや……。太宰の生き方とは対極にあるような伊藤先生の生き方、考え方のほうに私は魅力を感じるし、寄り添って行くのだと、久しぶりに本を紐解いて肝に銘じたことだった。このことは単に文学に限らず、どんな分野であれ、真面目に取り組む人に当てはまる普遍的な言葉だと。
 
  私は、初心の人たちには、文学勉強には、人間としてのしっかりした
  志(こころざし)(志というのは何らかの意味で社会をよくするということ
  である)と、それを遂行してゆく戦闘力がだいじだと、話した。

  小説勉強でいちばん大切なことは、自分で自分を鞭撻(べんたつ)し
  つづけることだ、と、私は話した。人はだれも助けてはくれない。
  人は、あなたが挫折するのを待っているのだ、と。
 

  ※引用は 伊藤桂一著 『小説の書き方』副題:文章作法
       講談社刊 1997年4月24日発行 定価2,000円

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生誕百年の太宰治

2009/06/17 02:55
とにかく本が売れない、と言われて久しい出版界で、いま村上春樹さんの新刊本『1Q84』(上・下)が売れに売れて、ベストセラーになっているという。一応もの書きを自認してはいても、売れないものばかり書いている私など、少しは村上さんの作品など読んで、学んだほうがいいのかもしれないなどと最近やっと思い始めた。

「私はいま現在生きている作家の作品しか読まない」と断言した人に会ったことがある。いくら有名な作家や文豪の作品だろうと、死んだ人のものは読まない、というその人の意見に一度は驚いたが、本の読み方は人それぞれ。自分と同時代の作家の作品を読みたい。そんな読者の気持ちをバッチリ掴めるのが、たとえば村上春樹さんなのだろう。

私など真逆というか、古い人間の部類に入ってしまうと思うが、今年で生誕百年になる作家たちに、いま関心が向いている。百年前に当たる1909年、明治42年生まれの作家といえば、太宰治、大岡昇平、中島敦、埴谷雄高、松本清張などの名前が挙げられる。

特に北九州市にある松本清張記念館では、現在「1909年生まれの作家たち」と題した企画展が開催されている。(8月31日まで)私もぜひ行ってみたいと思っているが、先にあげた作家たちのうち、気管支喘息のため33歳で没した
中島敦、心中により38歳で没した太宰治以外は、大岡昇平79歳、松本清張82歳、埴谷雄高87歳と、戦後長く活動して亡くなった。(いずれも満年齢)

今回私が気になったのは太宰治だ。私は中学生の時、初めて教科書で読んだ「走れメロス」が良かったので、他の作品もいくつか読んだ。しかし太宰のユーモアより苦悶が私に伝染したのか、苦しく暗い中学時代を送ったので、
太宰を読むのが早すぎたと今でも思っている。太宰はちょうどいま頃の6月13日、愛人と入水心中し、39歳の誕生日6月19日に遺体があがった。

だから6月19日は、太宰の墓のある三鷹の禅林寺で太宰を偲ぶ「桜桃忌」が営まれる日でもある。先日たまたま、太宰が敗戦直後の1946年4月発行の総合文化誌「文化展望」創刊号に寄稿した「十五年間」を読む機会があった。
この作品は雑誌の編集担当者大西巨人が、太宰の初期作品から注目していたこともあって原稿依頼の手紙を出し、寄稿を得たのだという。

「十五年間」は太宰が上京した1930年ごろから敗戦直後まで、15年間の自分の暮らしぶりや文学について、思うがまま筆が運ばれている。そこには私が長い間敬遠してきた太宰の良き一面が見られたし、太宰治という作家の考えがよく表れている文章だと思った。

  私はサロン藝術を否定した。サロン思想を嫌悪した。要するに私は
  サ ロンなるものに居たたまらなかつたのである。

  自分を駄目だと思ひ得る人は、それだけでも既(すで)に尊敬するに
  足る人物である。半可通は永遠に、洒々然(しゃしゃぜん)たるもの
  である。天才の誠實を誤り傳(つた)へるのは、この人たちである。
  さうしてかへつて、俗物の偽善に支持を與(あた)へるのはこの人た
  ちである。日本には、半可通ばかりうようよゐて、國土を埋めたとい
  つても過言ではあるまい。  

  いつたい私たちの年代の者は、過去二十年間、ひでえめにばかり
  遭つて来た。それこそ怒涛(どたう)の葉つぱだ。めちや苦茶だつた。
  はたちになるやならずの頃に、既(すで)に私たちの殆(ほと)んど全
  部が、れいの階級闘争に参加し、或る者は投獄され、或る者は学
  校を追はれ、或る者は自殺した。東京に出てみると、ネオンの森で
  ある。


戦争が終わり、自由にものが言え、書けるようになって、太宰はかなり率直に心の内を吐露している。しかし私は、太宰が4回も自殺未遂をを繰り返し、そのうち2度女性を道連れし、一人は死亡一人は未遂に終わるものの、最後の心中入水では愛人ともども亡くなった。それを考えると私は、妻子も含め何人もの女性を不幸にした太宰を、やっぱり敬遠したい気持ちが残る。

 ※引用は 太宰治「十五年間」より 
    (財)西日本文化協会発行「西日本文化」通巻439号所収
 ※パソコンの関係上、既の旧字は新字に変えています。

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ケイタイ・ラプソディー

2009/06/10 01:04
題でいうケイタイとは、携帯電話。ラプソディーは「狂詩曲」とも呼ばれる。その携帯電話が一般に普及しだして20年近いが、電話以外の機能も日進月歩の勢いで進化し、デジタルカメラの機能、電子メール送受信はもちろん現在位置を示すGPS機能、さらにはインターネットやワンセグ(携帯電話向け地上デジタル放送)まで利用できる端末機能を持っている。

そんな進化を横目に私は、持ち主の都合に関係なくいきなりベルを鳴らす携帯電話の便利さが好きになれず、なかなか持つ気になれなかった。しかし私が東京や福岡に出かけて羽を伸ばしていると、すぐ行方不明になる(連絡がつかない)からと連れ合いにせっつかれて、とうとうケイタイを持つはめになったのが8年前。「電話機無料」のA社広告につられ契約したのだった。

そんなわけで私の電話番号は家族のほかは、ごく限られた知人にしか教えていないし、メールは家族間でしか利用しない。それでも私は何も困らない。とはいえ、私だけA社なのは不経済ということもあり、ある日、D社が電話機無料キャンペーンのをやっているのを見て、今だっ、と乗り換えた。

電話機がタダとはいえ、持つからにはこだわりがある。限られた機種のなかで気に入るものに出合うまで、販売店を3つもはしごしてワインレッドのスマートな機種に決めたが、付属のマニュアル本を見てびっくり。小さな体に最新機能が満載なので、買えば5万円ぐらいするのも納得いく。しかし携帯電話にあそこまでの機能が必要か、と思う私は古い人間だろうか。

自分が必要な時にすぐ電話を掛けられる、という理由でケイタイを持っている私だから、ケイタイはあくまで単なる道具。ところが世の中そうではないということに、最近気がついた。それはある日、カフェで一人ゆっくりコーヒーを味わっていたときだ。隣りのテーブルの女性4人が私の知らない世界の会話をしているので、思わず耳をそばだてた。

 「私は朝メール、昼メール、夜メールと決めてる」

 「私は、仕事が終わったときメールする」

 「今は都合が悪いよ、という意味でメールする」

 「食事中にケイタイ掛かってきても、面倒くさくて出ない」

 「メールの絵文字を探すのが面倒!」

 「私、メールする友だちそんなにいないから、楽!」

 「メールを打っている間に、どんどんメールが来る。ついていけない」

 「私もう、チャットの世界がうっとうしいの」

延々とケイタイの話がつづく。チャットというのは雑談・おしゃべりを意味するが、パソコンやケイタイでのチャットはお互い文字を入力して会話する方法だ。私も中国四川省在住のメール友達(中国人)とは、ときどきパソコンの無料サービスを利用して1時間ぐらい日本語でチャットする。けれどケイタイを使ってのチャットなんて、私はまっぴらごめんだ。

人が自分の時間をどう使おうと勝手だけれど、彼女たちの話を聞いていると、ケイタイが単なる道具を超えて、何だか逆にケイタイに使われている、振り回されているという印象を持った。あの小さなボディーに高度な機能を備え、まるで生き物のように進化し、持ち主の身代りのようにさえなっているケイタイ。

しかし一方で、人を不幸にする道具にもなっている。最近ケイタイがデートDV(恋人間での暴力的支配関係)に使われ、社会問題になっている。高校生や大学生のカップルの一方(多くは男性)が、相手に10分おきに居場所を知らせる写メール(写真付きメール)を送るよう強要したり、メールに即返事しないと誰と一緒かと疑うなど、監視と支配の手段にケイタイが使われている。

老いも若きも、ケイタイ持って、街に出て、人と目を合わすことなく言葉を交わさず、隣にいる友だちともケイタイ画面での意思疎通に必死になる。手の平にすっぽり収まる小さな機器は、魔法のような能力を備えて、現代人を虜にしてしまった。願わくはそれが災いの元となるパンドラの箱にならないよう、悪用されないよう、楽しくじょうずに付き合いたいものだ。

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90翁の魂

2009/06/03 00:38
今年4月下旬、ある打ち合わせのため東京に行った折、私の敬愛している老作家で俳人でもある眞鍋呉夫さんと3年ぶりに再会した。眞鍋さんは1920年1月生まれの、まもなく満90歳。杖は使っておられるもののお元気で、新宿区内のとある待ち合わせの駅まで、地下鉄を乗り継いで来ていただいた。

眞鍋さんとは5年前に取材をお願いして会ったのが最初で、3年前には福岡市で檀一雄を偲ぶ「花逢忌」でご一緒したので、それ以来だ。年齢的に私の亡き父に近く、第二次世界大戦末期と20代前半が重なったため、そのほとんどの若者たちが応召して、戦地で生死を分けるという運命に遭遇した世代だ。

眞鍋さんのお話はいつも私の知りたいことばかりで、しかもここでしか聞けないという、いわば生き証人としての内容を含んでいる。そのうえ面白くて熱く語られるので、こちらも思わず身を乗り出して聴く。幸い今回は私一人ではなく知人数名も同席していたので、皆とその幸運を共有できた。

「若いころ一緒に活動した仲間が、ほとんど亡くなってしまった」というご高齢なので、普通に話していても、雑談なのか取材なのかわからないような中身の濃い内容になっていく。3時間ほど話してその日はお別れしたが、帰りしなに刊行されたばかりの分厚い立派な句集『月しろ』(しろは白ヘンに魂)をいただいた。帯にはこんな言葉が書いてある。 

  「月しろ」が/この極大の宇宙の/魂の光であるならば/
  俳句は/その光に敏感に呼應した/極微なわれわれの/
  魂の詩である                眞鍋呉夫

「しろ」とは月の輪郭の光がないところ、人の陰の精気、などの意味がある。刊行にあたり「好きにやってくださいと何も条件をつけなかったら、こんな本が出来た」といわれるその句集は、1ページ1句のみの体裁で全213句が収録されている。その1句を味わえば、背景に1ページの散文に値する物語を想像させられる。私の好きな句、どっきりした句を、いくつか紹介したい。

   初夢は死ぬなと泣きしところまで

   残されし日をかく生きむ寒昴

   たましひの白桃に似し打身かな

   雪女その夜の月のすさまじく

   山ざくら空にも深き淵のあり

   月を背に遺骨なき兄黙し佇つ

   寒月光われより若き父ふりむく

   清明の胎児が腹を蹴るといふ

   青き夜の猫がころがす蝸牛

   犯人は月光と言ふ親殺し

   永(ながら)へてわが為に哭け雪女

   自爆死のひとりは娼婦だつたといふ

   去年今年海底の兵光りだす

   ※句中、残、清、児、青、雪の字は、原句は旧漢字。
   ※眞鍋呉夫句集『月しろ』より引用 巴書林発行 3,500円

この句集は平成14年刊の『眞鍋呉夫句集』以後、6年間の作から選ばれ編まれたという。また句集の名を「月しろ」とつけた理由の1つは、若いころから太陽よりも月のほうが好きな夜行動物だから、と「あとがき」にあった。この句集を一読した人から「恐ろしくて夜、眠れなかった」と電話があったという。

90翁といえば、作家大西巨人さんもそうだ。敗戦直後の昭和21年、福岡市で眞鍋さんは文芸誌「午前」、大西さんは総合文化誌「文化展望」の創刊と執筆活動を開始。ともに戦後復興の一翼を文芸・文化の面から担ってこられ、現在に至るまで厳しい創作の道を歩まれたという共通点がある。私の父と同世代のよしみで、半端ではないその一筋の道を知りたくて、私は90翁の魂を追っかける。

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韓国の知人を思う

2009/05/27 03:04
このところ韓国関連のニュースが相次いでいる。盧武鉉前大統領の突然の死に驚いていた矢先、今度は北朝鮮が核実験を強行し、同じ日の午後には短距離ミサイル3発を発射したと報じられた。故前大統領に弔電を送ったその直後に核実験とは理解に苦しむが、それが今の北朝鮮ということなのだろうか。

付き合いにくく理解しがたい国ではあるけれど、朝鮮半島の動向は日本の平和と安全に密接な関わりがあるので、まるで無関心というわけにもいかない。私は以前国立大学に勤めていたことがあり、多くのアジアからの留学生と接していたが、1980年代の半ばごろは特に韓国からの留学生が多かった。

その韓国人留学生の中に、私の娘と同じ5歳ぐらいの息子のいるKさんがいた。日本語がだいぶん話せるようになったので、ある日1980年に起きた、軍事政権が民主化運動を弾圧した「光州事件」を話題にした。すると彼はその事件のことを全然知らず、逆に嘘だと言わんばかりに強く否定するので、私のほうがびっくりしてその話題はそれきりになった。

当時の韓国内では光州事件はタブーになっていて、国民には伏せられていたことを私はあとで知った。Kさんも日本で調べて光州事件のことを知り、いろんな意味でショックを受けていた。また韓国の留学生の話には「え?」と思うようなこともあった。例えば地域間で反目しあう場合があり、その地域を旅行するときは自分の出身地など一切口にしないそうだ。殴られるから。

朝鮮半島には古代、百済と高句麗と新羅の国があったので、そのときからの因縁が今に続いているのかと勝手に想像したが、詳しくは聞きそびれた。またKさんは政治家には絶対ならないとも言った。血族の中で誰か大統領になると、親類縁者はみな良い職にありつける反面、失脚すると全部職を失い、路頭に迷うからと。現在でもその伝統は続いているように思える。

あれから20年近くたって韓国に行く機会があり、ソウルから江原道の春川(チュンチョン)市、全羅北道の全州(チョンジュ)市など、元留学生たちと再会しながら旅したことがある。なかでも印象的だったのは、韓流ドラマ「冬のソナタ」のロケ地で有名になった春川に行った時のことだ。

知人が車でいろんなところへ案内してくれたが、途中、高い塀が延々と続く道を走った。地図を見てもその部分は空白になっている。聞けば、在韓米軍基地だという。どうりで周辺はひっそりと陰気な感じだった。春川は北朝鮮との軍事境界線まで、約30キロメートルしか離れてないと知人が言った。

韓国には徴兵制があるので、市内でも若い兵隊さんたちを数多く見かけた。また各都市などでは北朝鮮の空襲を想定して、民間防衛訓練が定期的に行われているそうだ。1950年から3年間続いた朝鮮戦争のとき、春川市内を流れる川には何千という戦死者が上流から流れて来て、川は血に染まったそうだ。知人は両親や祖父母からその話を聞いて育ったという。

日本で言う「朝鮮戦争」は、韓国では「韓国戦争」と呼ぶそうだ。韓国戦争は私の生まれたごろの遠い昔の戦争と思っていたが、とんでもない思い違いだった。38度線で南北に分断された国として私たちは韓国・北朝鮮と呼んでいるが、実は「韓国戦争」はまだ終結しておらず、軍事境界線をはさんでいまも北朝鮮と連合軍は「一時停戦中」の状態のままだ。

確かに韓国で買った地図には、北朝鮮との国境線などは何もなく、国道や地名など北まで一続きに「大韓民国全図」となっている。北朝鮮の地図も同様だという。かつてのベルリンで東西を分断していた「壁」が無くなった時、私は南北朝鮮の統一も非現実的な話ではないと思った。それを知人に言うと、彼も統一を願っていると言った。一方で北朝鮮を信用できないとも言った知人の言葉には、分断された民族の苦悩がにじみ出ているようだった。

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ミステリー劇の楽しみ

2009/05/20 00:32
普段あまりテレビを見ない私だけれど、18年以上使い続けたブラウン管テレビにヒマを出して、薄型テレビに買い替えたのが約2年前。画像は飛躍的に美しくなったけれど、見たいと思う番組が少ないので、昨年夏、スカパー!に加入してCS(コミュニケーション・サテライト)放送(衛星放送の一種)を楽しむようになった。

視聴したい番組を単独やセットで選んで月極めの契約をする。69チャンネルを見放題のパックもあるけれど、現実の自分の1日の活動時間割を考えると、テレビを見る時間はせいぜい1時間か長くて2時間だけ。料金もNHK受信料とは別になるので、契約は最小限のチャンネルだけにしている。

私が契約しているのは、日本や外国の映画専門のチャンネルと、外国の推理ドラマなどを放送するミステリーチャンネルだ。どちらのチャンネルも制作年の古いものが多いので、せっかくの薄型テレビなのに画質は良くない。ハイビジョン映像と比べると、昔はこんなぼやけた画像を見てたのかと思わされるが、それでも内容が画質に勝るので見ている。

中でも私が好んで観るのはアーサー・コナン・ドイル原作「シャーロック・ホームズの冒険」、アガサ・クリスティー原作「名探偵ポワロ」と「ミス・マープル」。舞台はいずれもイギリスで、時代背景はホームズが19世紀末から20世紀にかけて、ポワロは1930年代となっており、ミス・マープルの原作は1930年代から70年代まで書き継がれている。

どのシリーズも原作がしっかりしているため、話の展開に無理が無く、犯罪の動機、犯罪者の心理など、事件の表層と裏面の重層的な仕掛けを私なりに推理しながら観ていく面白さがある。そしてホームズやポワロやミス・マープルがどんなふうに手掛かりをつかみ、解明し、事件を解決していくのか。自分の推理とは違う方向に展開すると、ちょっとだけ悔しい思いもする。

私が現在観ている「シャーロック・ホームズ」はイギリスのグラナダテレビ制作のもので、ホームズ役をジェレミー・ブレットが演じている。ホームズはたぐいまれな観察力と洞察力で事件現場を見、そこで何が起き、何が起きなかったかまでも推理して難事件を解決していく。ホームズには同居人の医師ワトソンという相棒がいる。

ポワロは亡命ベルギー人という設定になっていて、身長は低くぽっちゃり型。先がピンと尖った独特なヒゲをはやし、紳士然とした身だしなみにステッキを持ち、探偵事務所に持ち込まれる難事件を解決する。その手法は現場検証はもちろん、犯罪者の心理や行動を分析する能力に優れ、元軍人のヘイスティングス大尉がよき相棒となっている。

ミス・マープルはもちろん未婚の女性で、若いころ両親に結婚を反対され、独身を貫いているお婆さんだ。村の中のことしか知らないと思われていたが、実は人間観察にすぐれ、長年の経験をフルに生かして難事件を推理し解決していく。ホームズやポワロなど男性探偵が論理的に推理を組み立てるのとは違い、マープルは関係者の人間関係を観察して動機の面から推理する。

私の好きなこの3つの番組には、いくつかの共通点がある。まずイギリスが舞台であること、主人公たちはロンドンかその郊外に住み、みな独身であること。男性のホームズとポワロには、それぞれ事件解決のため協力する相棒がいることだ。また「シャーロック・ホームズ」では19世紀末のロンドンの様子が再現されているので、そのほうも興味深い。

最近、NHKでアメリカのドラマ「刑事コロンボ」が放送されている。以前観ていたのでまた数回観たが、もう全然受け付けなくなった。「刑事コロンボ」では最初に事件の場面があり、犯人を視聴者に教えるところから始まる。それをコロンボ刑事が現場や手口や関係者の証言から犯人を推理し、突き止めて行く。しかし殺人の動機があまりに単純すぎてドラマとしての深みがなく、簡単に銃で人を殺すのでとうとう観なくなった。

人は何ゆえに犯罪を起こすのか。「ホームズ」や「ポワロ」や「ミス・マープル」はやや時代劇に近いので、生々しい現代の刑事ものより私は観やすい。人はどんな動機で、どんな心理状態に追い込まれた時、殺人という大罪を犯すのか。ミステリードラマの面白さは犯罪心理や結末を疑似体験できることであり、心の闇や罪と罰について考えさせてくれるところにあると思う。

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