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zoom RSS 島原の夏草

<<   作成日時 : 2006/07/05 16:56   >>

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数年前から年に一度、福岡の自宅にひとり暮らしの母と一泊二日の旅行に出かけている。行き先は母が行きたいと希望する所で、昨年は湯布院へ行き、ことしは長崎県島原市だった。私は前日から母の家に泊まり、当日朝、近くを通る西鉄電車で終点の大牟田へ。さらにバスで10分の三池港へ移動して高速船に乗り、約40分有明海を南下して島原外港到着。

目の前に迫った眉山は上部を梅雨雲に覆われていて、姿を見せない。この眉山の奥には雲仙・普賢岳があり、1990年からの噴火活動で溶岩ドームが出現し、大火砕流が発生して多くの死者を出したことは記憶に新しい。10年前に火山活動終息宣言があり、頂きを溶岩で覆われた山は平成新山と名付けられ、観光名所になっている。

さっそく、母が乗りたいという島原鉄道に乗り、島原駅下車。駅から200メートルほど歩いて、お堀の向こうの島原城を眺めた。母のペースに合わせて足の向くまま気の向くままの旅行とはいえ、途中ゆるい坂道になっていたので疲れたらしい。もうきょうはこれでいいと母が言う。腰は曲り両手は後ろで組んで下ばかり向いて歩く母。なんだか信じがたい姿だ。

ホテルは海岸沿いの高台にあった。シーズン・オフのせいか二人なのに海側の広い部屋が用意してあった。大牟田と熊本と三角から港に入ってくる高速船やフェリーの往来が眼下に見え、海岸近くには九十九島と呼ばれる小さな緑の島々が点在しているのも眺望できて、見晴らしは上々。

母が島原行きを希望したのには理由がある。あの普賢岳・平成新山の裾野の一角に土地を持っているのだ。約40年前リゾート地として業者が開発した造成団地の1区画330坪を父が買い、いまは母がそれを相続している。高度経済成長期にあった当時、建築業をしていた父に業者が熱心に勧め、現地まで案内してもらい150万円で買ったという。追加で温泉の工事代名目の30万円も支払ったと母。

真面目で賭け事など一切しなかった父は、家業を長男に譲ったら温泉付の小屋でも建てて、のんびり島原暮らしもいいなと業者の描くユートピア・プランに自分の夢を重ねたのだろう。ところが数年後、土地の二重売りが発覚。悪徳不動産は逮捕され、被害者同盟が結成されて10数年かけて正式な登記にこぎつけたものの、いまでは父も、買った人の多くも亡くなった。

そこがいまどうなっているのか、母は自分の目で確かめたかったのだ。旅の二日目、タクシーで旧深江町役場へ向かい、土地台帳を見せてもらった。地目は「原野・山林」、評価額は9千円余のタダ同然。課税対象外だった。この付近一帯の開発計画の有無を尋ねると、担当者は「町が合併してますますお金がなくなり、計画は一切ありません」。母はまだ、町や業者が団地を一括買い上げしてくれることに望みをつないでいるのだ。

次に母のいう現地へタクシーを回してもらった。国道からゴルフ場へ行く立派な道路が伸びている。そこを少し入った右のあたりに自分の土地があると母。業者もこのゴルフ場の道路を使って現地を案内し、ゴルフ場に隣接した立地のよさや、将来ゴルフ場が拡張で買い上げてくれるかもしれないなどと話したらしい。あの慎重な父が、まんまと騙されたのだ。

そのあたりと母がゴルフ場との境界線の先を指さすが、そのあたりは一面背丈を越すような夏草に覆い尽くされ、自生した松の木があちこちに頭を出している。かつて人がブルドーザーで切り刻み、放置された土地は、いま人の進入を拒みゆっくり元の原野に戻りつつあった。自然を食い物にした人間の欲深さを、猛々しい夏草が葬り去ろうとしている。

こんな道もない山林の一角など町に寄付すればいいのにと内心思うが、母は「私にまだ運があれば」とまだ夢見ている。なまじ父とバラ色の夢を描いた場所だけに、思い切れないのだろう。この欲が生きる糧かと半ば呆れ、「願いがかなってよかった」と喜ぶ母のそばで、私は<夏草やちちははの見た夢の跡>と芭蕉をもじった句を胸にうかべて帰途についた。

♪ 「杉山武子の文学夢街道」 

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