この夏

日本には春夏秋冬の四季がある、というのが通説です。夏は一応6月からと日本人は季節を区切りますが、人によっては、特に外国から来た人たちは、四季のほかに雨期があると感じるようです。雨期はつまり梅雨のことですが、ジメジメして汗ダラダラの蒸し暑さには、びっくりするそうです。

特にカラリと乾燥した国(地域)から来た人が、運悪く梅雨の真っ最中に来日したところ、あまりの湿度の高さに呼吸ができないほど苦しかったそうです。例えばわたしたちが蒸し風呂かミストサウナに入って、息苦しくなるような感覚でしょうか。

そんな梅雨で始まった今年の夏。7月最初の土日には、夫婦で出雲方面に1泊2日の旅行にでかけました。私にとって山陰地方へは独身時代いらい2度目で、出雲大社へは約40年ぶりの再訪となりました。参道が長いのはそのままでしたが、周辺がずいぶんと様変わりしていたように感じました。

列車での移動が多かったのですが、車窓から見る田園風景はどこも同じようでも、かつては水田だった草茫々の休耕田が少し多いように感じました。宍道湖の周縁を巡り、今年7月8日に国宝に指定されたばかりの松江城へも足を延ばし、キリリとした風貌の天守閣を見てきました。

6月と7月にはそれぞれ1回ずつ上京しました。日ごろ住んでいる鹿児島は日差しが痛いほどに強い亜熱帯の暑さですが、東京ではそれとはまた違う暑さを感じます。何しろ人が多い。地下鉄への階段を下ったり上がったり、たくさん歩きました。そして思い立って、国立国会図書館に久しぶり行きました。

帰りの飛行機の出発まで時間を有効に使いたくて、朝一番に図書館に行き、4時間ほどかけて資料探しです。松江城に行った時、大手門を復元するために古い写真や設計図を探していることを知りました。なんと懸賞金が出ているのです。それに目がくらんで、国会図書館へ乗り込んだわけです。

めぼしい資料を何枚かコピーしてきましたが、大手門の決定的な古写真も設計図もみつかりませんでした。まだ諦めたわけではありませんが、お城周辺のどこぞの旧家の蔵に、設計図が眠っているかもしれません。宝さがしの感覚で、いまも熱心に探されている方が多いのではないでしょうか。

この暑い中、全国各地では安保法制に反対するデモや集会が開かれています。わたしの意見はすでに書きましたが、結論ありきの流れの中で、数で押し切られるのでしょうか。賛成する年寄りたちは絶対行かない戦場へ、若い人たちが行かされるのかと胸が痛みます。ただでさえ子どもが少ないのに、息子を差し出す親がいるのでしょうか。嫌なことには、はっきりと意思表示しましょう。

8月11日はつれあいの誕生日でしたが、川内原発が再稼働し始めた日でもありました。原発はトイレの無いマンションにたとえられますが、それは核のゴミ(プルトニウム)の最終処分場すら決まっていないからです。福島原発事故の収束もまだおぼつかなく、汚染水は垂れ流し。そのことが東京オリンピックの開催にも、だんだん影を落としていくことでしょう。

もっとも痛ましかったのは、中学生の少年少女が殺害された事件です。防犯カメラの威力で犯人は捕まりましたが、親もいるのになぜあの子たちは深夜に出歩いていたのか。子を守りたいなら手を離してはいけません。親の優しさも犯罪者には好都合でしょう。彼らはいつでもどこでも、少しのスキにつけ込んでくるのですから。その恐ろしさを見せつけられました。   

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文化冊子『草茫々通信』8号 虹の松原一揆を読み直す

佐賀市の書肆草茫々より、
     文化冊子『草茫々通信』8号が出ました。


  虹の松原一揆を読み直す 
     義民伝説から検証へ その深化を探る
 


 冊子とありますが、内容的には196ページもある「本」です。

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 佐賀の唐津藩で明和8年(1771年)に起きた惣百姓一揆が今回のテーマです。
 『草茫々通信』は、広く文化の視点の快復を願って編集・発行されています。

 古写真や地図など多くの資料が掲載されていて、一揆の歴史がひもとかれ、
 読み直され、新しい視点で検証されています。

 以下に、冒頭の言葉と、目次をご紹介します。

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  虹の松原一揆を生んだ風土・歴史

   唐津は明るい町だ。佐賀から行くと、そう感じる。冬は
  太平洋側気候の、夏は日本海側気候の一面をみせるという。
  「棚田」の蕨野など20指に上る「日本百選」をもつ。風光
  明媚なこの地で、かつて百姓は貧しく、度々一揆・騒乱が
  起きた。それはなぜか。それを探っていこう。

  もくじ

  虹の松原一揆を生んだ風土・歴史------------------2

                                  田島龍太
                                  田中好美

  虹の松原一揆はどう伝えられてきたか--------------10

                             古文書/山田 洋
                            明治以降/古藤 浩

  読む・観る-----------------------------------------27

                                 稲葉けい子
                                  福井寿彦
                                  宮脇永子
                              弥富栄恒(転載)
                               古川 工(転載)
                                  田中  明
                                  青木歳幸
                                  伊藤昭弘
                                  鬼嶋 淳
                                  高山智樹

  考察----------------------------------------------80

                                  宮崎克則
                                  山田 洋

  ほかにもあった百姓一揆--------------------------120

                                  小松多聞
                              岩松要輔(転載)
                                  田中好美

  一揆拾遺-----------------------------------------142


                                  模土 靭
                                  太田昌国
                                  田中 明
                                  田中道雄
                                  坂口 博
                              山崎猛夫(転載)

  「御屋形日記」(昭和8年を抜粋)---------------------160

                      読み下し・意訳/片倉日龍雄
             今になってわかった2つのこと/片倉日龍雄

  九州の主な一揆年表 作成7/模土 靭---------186~193

                        「草茫々通信」総目録   194
                                あとがき   196


       ***************

  ※「草茫々通信」8号 ( 2015年7月20日発行) をご希望の方は、
   直接下記へご連絡ください。 1冊 700円 + 税

  発行所 書肆草茫々  主宰 八田 千恵子(やつだ ちえこ)       
 
  住 所  佐賀県佐賀市高木瀬東5-12-6
  電 話 0952-31-1608 

ザビエル教会コンサート in 鹿児島

鹿児島の暑い夏をもっと熱くする「霧島国際音楽祭」が7月15日から始まりました。今年は第36回となる歴史のある音楽会です。

霧島市の「みやまコンセール」を主会場に、県内各地でのコンサート、鹿児島市内ではカテドラルザビエル教会や宝山ホールでのコンサートなど、8月7日までの約3週間開催されます。

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     第36回 霧島国際音楽祭 プログラム表紙

音楽監督の堤剛さんは、7月19日のみやまオープニングコンサートで、バッハ無伴奏チェロ組曲全曲を演奏されました。残念ながらわたしは北九州市に用があって、聴きに行けませんでした。

例年、霧島音楽祭のプログラムが発表されると、3つか4つの演奏会のチケットを買って出かけます。音響の良さでしられる「みやまコンセール」へは、車かバスで鹿児島市内から片道1時間かけて行っていましたが、公演時間帯が夜だと、帰りがかなり遅くなるので、今年は鹿児島市内の2公演だけにしました。

その1つ目が昨夜(23日)のザビエル教会コンサートでした。テーマは、~我が人生を語り、歌う~ で、出演は、ソプラノのアンドレア・ロストさん、ピアノの石野真理さんのおふたり。ハンガリーのブタペスト生まれのロストさんが、通訳付きでオペラ歌手としてのデビューからこれまでを、歌の間に語るという趣向でした。

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     開演前のステージ(ザビエル教会内部2階席より)

曲目は超豪華版。
モーツァルトの「フィガロの結婚」と「ドン・ジョバンニ」、ヴェルディの「リゴレット」「椿姫」「オテロ」、エルケルの「バーンク・バーン」、グノー「ファウスト」、レオンカヴァッロ「道化師」というオペラの中から、ロストさんが世界の有名歌劇場で主役として歌って来られたアリアや、思い出深い曲を集めたものでした。

駆け出しのころのエピソードや失敗談、よき指導者に恵まれたことなど、ちょっと自慢げなお話も加わって、そのあとに曲の紹介があり、アリアなどが歌われました。派手な声ではないのですがのびも声量もあって、「オテロ」のアヴェ・マリアは心に沁みました。

お約束のアンコールは3曲と大サービス。はじめにモーツァルトの「フィガロの結婚」より、≪恋とはどんなものかしら ≫、次にプッチーニ「蝶々夫人」から≪「ある晴れた日に≫、最後もプッチーニ「ジャンニ・スキッキ」より≪私のお父さん≫と、日本人になじみのある曲ばかり。情感たっぷりの歌声に引き込まれ夢み心地のひとときでしたが、熱狂的な拍手喝采のうちに終了。心充たされた、楽しい夜でした。

次は、7月29日、宝山ホールでの、下野竜也指揮、霧島祝祭管弦楽団によるコンサートに行く予定です。



中村哲先生のメッセージ

ご存知の方も多いかもしれませんが、中村哲先生はパキスタン北西のペシャワールに医師として赴任して以後、30年にわたって医療活動のかたわらアフガニスタンにも活動の場を広げ、自らも重機を操作して水利事業など医療外でも超人的な活動を続けておられます。

そんな中村哲先生の活動は、福岡市に拠点をおく「ペシャワールの会」が支えています。中村先生が「通販生活」2015 年1月号に掲載された文章をぜひみなさまにも読んでいただきたく、ここに掲載します。

というのも、きょう安保法制特別委員会理事会で、憲法違反の安保法案が強行採決されようとしているからです。以前にも書きましたが、憲法を変える権利は国民の側にあって、政府がその国民の権利を無視して強行採決するなどゆるされないと思うからです。しかもテレビ中継もなしに、です。

わたしにいまできることがあるとしたら、中村哲先生のメッセージを伝えることしかないと思い、戦闘と隣り合わせの危険地帯で活動されている中村哲先生の訴えをここにご紹介して、その思いを多くの人と共有したいと思います。


 中村哲(医師、ペシャワール会現地代表) 
         「通販生活」2015 年1月号掲載より
               
アフガニスタンは日本にとって再び遠い国になった。

だが報道がないからと言って、問題が解決した訳ではない。NATO (北大西洋条約機構)が指揮するアメリカ軍が中心となったISAF(国際治安支援部隊)が年内に戦闘任務を完了して、治安権限移譲が 終わるという。要するに敗北である。治安は一向に改善の兆しがない。

欧米軍が進駐した十三年前より著しく悪化している。一世を風靡した「アフガン復興支援」の掛け声も、莫大な援助額と共に、貧富の差を 絶望的に広げたあげく、どこかに消えてしまった。アフガンを皮切り に、集団的自衛権を名目とする不毛な戦で、世界中が振り回されたことは、想起されるべきだ。

政治や戦争の話題の陰で、恐るべき事態が進んでいる。農村に一歩足を入れると、光景は一変する。かつて100%に迫る食料自給率を誇った農村は、見る影もない。農地の乾燥化が進み、飢えた農民たちが職を求めて都市にさまようが、まともな仕事にはありつけない。平和であろうはずがない。

干ばつは依然として進行中である。食料自給率は既に半減し、最悪の食料危機国に指定された(2010年・世界食糧計画)。現在、国民の 三分の一に相当する760万人が飢餓線上にあると伝えられる。国民の病気の背景に栄養失調があり、特に子供の死亡率は最悪である。

食料を生み出す農業が壊滅的な打撃を受けているからだ。近年の温暖化の影響で農業用水が著しく欠乏し、農村の荒廃をひき起こしている。医療団体たる我々が水利灌漑事業に力を入れ、「緑の大地計画」を打ち出したのは、このような事情による。

穀倉地帯の復活を夢見て、用水路を建設し、取水堰を改修し、60数万農民が暮らせる1万6500ヘクタールの農地の安定灌漑を実現しようとしている。だが、日本から届く報道は、情けないものだ。人の命に関る重大事も、取ってつけた様な政治議論で薄れてしまう。

特に、集団的自衛権に絡む「駆け付け警護」には唖然とした。二流西部劇に似ている。現地がまるで野蛮人の巣窟で、文明国の部隊が護ってやらねばならぬような驕りである。これは主権侵害というものであって、我々の事業と安全を守るのは現地の住民と行政だ。そこには我々と同じく、血もあり文化もある人々が暮らしていることが眼中になかった。

日本はこれまで、アフガニスタン国内では民生支援に専念してきた。そのことが日本への信頼であり、我々の安全保障であった。それが覆されようとしている。戦争の実態を知らぬ指導者たちが勇ましく吠え、心ない者が排外的な憎悪を煽る。

「経済成長」が信仰にまで高められ、そのためなら何でもする。武器を売り、原発を復活し、いつでも戦ができるよう準備するのだという。それが愛国的で積極的な平和だとすれば、これを羊頭狗肉という。

アフガンへの軍事介入そのものが、欧米諸国による集団的自衛権の行使そのものであり、その惨憺たる結末を我々は見てきた。危機が身近に、祖国が遠くになってきた。実のない世界である。2014年12月、アフガニスタンより


 なかむら・てつ■1946 年、福岡県生まれ。
 九州大学医学部卒業。84 年にパキスタン
 北西のペシャワールに赴任。その後、アフ
 ガニスタン国内へ活動を広げ、干ばつの厳
 しい同国で、飲料水・灌漑用井戸事業や大
 がかりな水利事業に携わる。著書多数。


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明治日本の産業革命遺産

岩手・静岡・山口・福岡・佐賀・長崎・熊本・鹿児島の8県(8エリア)の23施設で構成する「明治日本の産業革命遺産」が5日夜、ユネスコの世界文化遺産に登録されることが無事に決まりました。登録実現まで長年にわたり奔走された関係者の皆さまにお祝いを申し上げます。おめでとうございます。

いよいよ登録という終盤になって、一部の施設に対し韓国側からの政治的な反対もありましたが、そのことについてはまた別の機会に譲ることにします。今回23の資産が登録されましたが、炭鉱・造船・製鉄関係が多く含まれていることからもわかるように、正式な登録名は「明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」となっています。

23の資産の中には、幕末の吉田松陰の松下村塾(山口県萩市)や旧グラバー住宅(長崎市)、旧鹿児島紡績所技師館(鹿児島市)、官営八幡製鐵所 旧本事務所(北九州市)などの建築物も含まれていますが、大半は近代日本のものづくりの基礎となった製鉄所・造船所・炭鉱関係の跡地です。中には現在も稼働中の工場や港も含まれています。

福岡県に生まれて50歳まで住んでいたわたしは、八幡製鉄所や三池炭鉱にはなじみがあり、高度経済成長時代にともに栄えていたころの活気ある風景も記憶に残っています。また現在は鹿児島市に住んでいるので、何度か行ったことのある旧集成館も、今回登録されました。

幕末期に薩摩藩主島津斉彬の主導で造られた工場群である旧集成館では、製鉄や紡績、ガラスなどの技術が培われたそうですが、現在は反射炉跡や機械工場跡などを見学することができます。さらに関連遺跡として関吉の疎水溝や寺山炭窯跡も登録されましたから、ぜひ行ってみたいと思います。

今回登録された23の資産の多くは九州・山口にあります。中には旧グラバー住宅など、小学校の修学旅行以来なんども行ったことのある場所もあります。また、5年ほど前には長崎市の端島炭鉱(通称:軍艦島)にも上陸して島内を見学する機会がありました。

九州・山口は鹿児島から新幹線でひょいと足を延ばせる範囲ですから、旅行のついでに各県の産業革命遺産を見て回る楽しみが増えました。たとえ世界遺産として登録されていなくても、現代まで生き延びて往時の姿を見せてくれる遺跡や文物などは、自分の目で見て何か感じることに価値があると思っています。

クレーンやユンボなどの重機や構造計算をしてくれるコンピュータなど無かった時代の遺跡は、人間や牛馬の力で木や石を積み上げたり穴を掘ったりしたのでしょう。それに要した膨大な時間や労力と、先人の知恵を大いに感じます。手間暇かけたものほど長く残っているわけで、現代人の使っている便利なものは、すぐに使えなくなり捨てるばかり。百年後に現代のモノの何が形として残っているか、疑わしい限りです。

登録された8つのエリアのうち、比較的産業遺産が集まっているのは長崎市の造船所関係と炭鉱関係でしょう。また福岡県大牟田市と熊本県荒尾市に広がる三池炭鉱施設もお勧め。鹿児島市の旧集成館関連は観光バスのルート上にあります。山口県萩市にも4つの遺産が集まっています。

世界遺産に登録された8つの県では、観光スポットとして大きな期待が寄せられていることでしょう。論語の古きをたずねて新しきを知る(温故知新)とは、先人の知恵から教訓を学ぶの意味ですが、23の遺産は日本人のものづくりの原点を知るための、学びの場所でもあるように思います。

 ※2010年8月25日配信 「軍艦島」上陸記録はこちら。(写真あり)

     http://bronte.at.webry.info/201008/article_2.html

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安近短の1泊旅行

同じトシのつれあいがこの春65歳で定年退職し、毎日サンデーになった。常勤ではない仕事に週数回は出掛けるものの、基本的に在宅の身分である。お弁当を作る必要は無くなったが、朝・昼・晩と日に3度の賄いが必要になった。そこでお昼はそれぞれ自分で、と決めたはいいが、同じものを食べるなら結局2人分作ることになる。それもまたよし。

定年まであと数年というころには、退職したら車で日本一周しよう、なんてプランもあった。午前中は夫が運転し、昼食時にビールを飲むので、午後はわたしが運転、という計画だった。キャンピングカーを買うお金は無いので、軽トラックを部屋のようにできないか、などと想像だけは気楽に膨らんだ。

しかし退職を迎えてみると、ひとり暮らしの義母は高齢になり要介護2。平日はヘルパーさんやデイサービスを利用するが、土日は嫁であるわたしの当番である。日本一周どころか1週間の旅行もままならない現実が待っていた。そこで発想を変えて、思い立ったらひょいと1泊2日の旅行をすることにした。義母がデイサービスに行く平日がねらい目である。

その第1弾は福岡旅行。1日目は福岡市博物館で「山本作兵衛の世界」を観て、夜はヤフオクドームで野球観戦してホテル泊。2日目はわたしの希望で北九州市の門司港へ足を延ばした。移動にはJR九州が発売しているアクティブ65という65歳以上の人が買える切符を利用した。九州新幹線ほか九州内の特急・在来線を3日間乗り放題できるすぐれものだ。

     ※「山本作兵衛の世界」展を紹介する毎日新聞の記事
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     ※ヤフオクドームと湾岸を走る都市高速道路
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    ※ヤフオクドーム内部
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今回行った門司港は明治初期に開港して120年の歴史を持ち、神戸・横浜と並んで近代日本を支えた日本三大港の1つ。明治から国際貿易の拠点として栄えた港町である。近年はJR門司港駅や旧門司税関など大正・昭和期に
建てられた建物群を整備して、門司港レトロ地区となっているので一度行ってみたかったのである。

     ※赤レンガの旧門司税関   
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門司港駅に到着早々、昼食のために通りがかりのお店に入った。半世紀前に門司港のお店で始まったという名物の焼きカレーを注文し、地ビールも頼んでさっそく飲んでいると、夫の名前を呼ぶ声が。なんと10年近く前の教え子さんと店内でばったり。2児の母親になったという彼女、びっくりするやらで、互いに大喜びの偶然の出会いだった。

     ※門司港名物「焼きカレー」と地ビール   
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門司港での目的は、国の重要文化財である旧門司三井倶楽部へ行くこと。木造2階建ての2階には「林芙美子記念室」があり、芙美子の小説が好きなわたしは、ぜひ一度は行ってみたい場所だったのである。芙美子の誕生から47歳で急死するまでの軌跡が、4つの部屋に丁寧にまとめられていた。

わたしが芙美子を好きなのは、その生き方の潔さ。不幸な生い立ちも貧困にも負けないバイタリティー、世界中のどこへでも出かけていく好奇心と行動力、お金のために書きまくっても良い作品をたくさん書いたことだ。のんべんだらりとした自分の生活に喝を入れたくて、わたしは芙美子に会いに行ったのである。

    ※旧門司三井倶楽部と門柱
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この建物は三井物産門司支店の社交倶楽部として大正10年に建てられ、同じ2階には大正11年、講演のため来日中のアインシュタイン夫妻が約1週間滞在して使った3部屋が、当時のまま保存されている。アインシュタインは日本に来る途中の船上でノーベル賞受賞を知り、日本に到着したときの姿はズボンにツギが当てられていたといい、生涯質素な生活を貫いた研究者だったと説明板にあった。それを知ったのも収穫だった。

今回の旅は、ホテルと野球観戦のチケットだけを早めに準備していたが、その他は出たとこ勝負、相談しながら次の行動を決めていく気ままな旅だった。10日間のヨーロッパ旅行は無理でも、東京以西なら1泊2日で行ける場所は多い。いのちみじかし。思い立ったら行けるときに行こう。

     林芙美子の詩

   風も吹くなり
   雲も光るなり
   生きてゐる幸福(しあはせ)は
   波間の鴎(かもめ)のごとく
   漂渺(ひょうびょう)とたゞよひ

   生きてゐる幸福(こうふく)は
   あなたも知ってゐる
   私もよく知ってゐる
   花のいのちはみじかくて
   苦しきことのみ多かれど

   風も吹くなり
     雲も光るなり

      ※「林芙美子記念室」でもらったリーフレットより転記

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立憲主義について

5月17日に「日本国憲法 前文 を読もう」を書きました。このブログでは政治的なことにはあまり触れないようにしてきましたが、いま国会で行われている憲法をめぐる国民不在の議論があまりにひどいので、業を煮やしているわけです。けれど感情的になるのではなく、今回も復習方々、憲法について書きたいと思います。

日本の憲法を変えたい人たちは、現憲法は「アメリカの押しつけ憲法」であると宣伝し、「自主憲法制定」を主張しています。このことに関してわたしは「本当にそうだろうか?」という疑問を長い間抱いてきました。押しつけだけではないという証拠が、何かあるはずだと。

最近「みんなの憲法入門講座」という冊子が手に入ったので読んでみると、日本国憲法の成立史を書いたものがありました。明治初期に自由民権運動が盛んだったころ、全国各地で憲法草案が出ていた歴史があったのです。その草案をつぶさに調査した人がいて、彼は昭和10年代の戦時中に、治安維持法で投獄された牢屋の中で、日本の憲法のあるべき姿について研究したのです。彼は鈴木安蔵という人でした。

敗戦になってまもなくの1945年10月25日、東大の高野岩三郎教授の提案で、民間人による憲法制定の研究会が発足し、その2カ月後の12月26日に、鈴木安蔵のまとめた「憲法草案要綱」が早くも内閣とGHQに届けられました。それは以下のような内容で、自由民権運動に源流をもっているそうです。

身分に基づく差別の廃止、言論学術芸術宗教の自由、健康で文化的水準の生活を営む権利を有す、男女は公的私的に完全平等の権利を享有す、民族人種による差別の禁止、民主主義と平和思想に基づく人格完成社会道徳確立、等々、現在の日本国憲法に近い内容の基本的人権条項を盛り込んだものでした。

当時、GHQ民政局のラウエル中佐がこの憲法草案要綱に興味を示し、検討を加えて本国の国務長官に報告し、アメリカ政府・ワシントンでも、この内容なら認められると評価したそうです。さらにラウエル中佐が1959年に憲法草案要綱を高く評価した文書も出て来たそうで、そういう歴史的な経緯があることを初めて知りました。

次に紹介するのは自由民主党の機関誌『月刊自由民主』2010年2月号の記事の孫引きですが「憲法は、主権者である国民が政府・国会の権限を制限するための法であるという性格をもち、その解釈が、政治的恣意によって安易に変更されることは、国民主権の基本的原則の観点から許されない」と明記されているそうなので、議員さんたちは勉強不足のようです。

先日、いま国会で審議中の安保関連法案をめぐり、衆議院憲法審査会に参考人として呼ばれた憲法学者3人が、そろって「法案は違憲」と指摘し、大きなニュースになりました。「合憲」のお墨付きをもらうはずだったあてが外れたわけです。これは憲法の「立憲主義」ということを考えると、当然の意見だと思います。

「立憲主義」を広辞苑でひくと、【憲法を制定し、それに従って統治するという政治の在り方。この場合の憲法とは、人権の保障を宣言し、権力分立を原理とする統治機構を定めた憲法を指し、そうでない場合には、外見的立憲主義という】とありますから、日本国憲法は立憲主義なのです。

分かりやすくいうと、憲法というのは「国家権力を拘束するもの」という考え方なのです。政府が好き勝手にできないよう、憲法という枠の中で政治をしなければなりません。公務員や国会議員等は国の最高法規の憲法を「尊重し擁護する義務を負ふ」(第99条)がありますから、いまの安保法案は「違憲」だと憲法学者たちは率直な意見を述べたのだと思います。

参考:「日本国憲法の成立史から今日の課題を考える」神田健策氏講演録

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