ダラットの旅

林芙美子の長編小説である「浮雲」は、第二次世界大戦中、日本軍が進駐していた仏印(ベトナム)へタイピストとして渡った主人公ゆき子と、ベトナムに置かれた農林研究所所員富岡との出会いから始まります。南国での、戦時中とは思えない夢のような生活が冒頭に濃厚に描かれています。2人の勤める農林研究所は、サイゴン(現在のホーチミン市)から約300キロメートル離れたダラットという町にありました。

現在ではホーチミンから飛行機なら約1時間、車では6時間半程かかる、ランビァン高原にある町です。「浮雲」では、敗戦直後の混乱した東京でゆき子と富岡は再会します。ベトナム・東京・伊香保・屋久島と舞台を移しながら、主人公ゆき子の流転の人生を描いたスケールの大きい小説です。

私がこの小説を初めて読んだのは、20代の独身のとき。今思えば作中の男女の葛藤や恋愛の機微もよく理解できなかったし、横領まがいの行為で大金を手にして屋久島へ富岡とともに渡ったあげく、ゆき子の死に至るまでの最後の部分がどうしようもなく暗かった、そんな印象を持っていました。

それから30年経った2007年暮れ、ベトナムへ行くことになったとき、私の脳裏に「浮雲」の一節が不意によみがえって来たのです。それはベトナムを占領していたフランス人たちが、戦争中でもあるにかかわらず、ゆったりと生活を楽しんでいるようすをゆき子が垣間見て、贅沢を敵として戦争に邁進する日本人に疑問を感じる場面です。なぜかそこだけは映画でも見たように、鮮やかに私の記憶に刻まれていたのでした。

ベトナムへの途上、私は文庫版の「浮雲」を携えて飛行機に乗りました。機上で読み進むと、あの印象的な部分はこう書いてありました。

 悠々とした景色のなかに、戦争という大芝居も含まれていた。
 その風景の中にレースのような淡さで、仏蘭西人はひそかに
 のんびりと暮らしていたし、安南人は、夜になると、坂の街
 を、ボンソアと呼びあっていたものだ。(略)

 自然と人間がたわむれない筈はないのだ。湖水、教会堂、凄
 艶な緋寒桜、爆竹の音、むせるような高原の匂い、・・・

 ランビァン高原の仏蘭西人の住宅からもれる、人の声や音楽、
 色彩や匂いが、高価な香水のように、くうっと、ゆき子の心
 を掠めた。林檎の唄や、雨のブルースのような貧弱な環境で
 はないのだ。のびのびとして、歴史の流れにゆっくり腰をす
 えている民族の力強さが、ゆき子には根深いものだと思えた。

    (引用:新潮文庫『浮雲』、安南人=ベトナム人)


標高1,500メートルの高原に開けたダラットは、1887年以降にベトナム全土がフランス領となったのち、夏の暑さを避けるためにフランス人の手でつくられた避暑地です。現在はベトナム人憧れの場所で、新婚旅行のメッカになっているそうです。

私の滞在中(年末)のダラットの気温は、ホーチミン市より約10度も低い摂氏20度と快適そのもの。町の中心部にある湖を囲む小高い丘には、緑に囲まれた白い瀟洒なヴィラがいくつも建っていました。ベトナム戦争中、ダラットはその美しさゆえに空爆を免れたそうです。アメリカもベトナムを占領したときのために、残しておきたかったのでしょう。

そのダラットへ午後に着いた私は、荷物をホテルに置いて、ひとりで歩いて賑やかな花市場などを見学しつつ、あの「浮雲」に出て来る、農林研究所の建物が残っていないか探し回りました。事前に調べた市役所のあたりへ行ってみると、もう古い建物は壊されてしまっていました。ダラットで芙美子を偲び励みになったことが、なぜか思い出された秋の夜です。

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