戦争が始まってしまった

北京オリンピックが終わったと思ったら、とうとうロシアがウクライナに侵攻した。パラリンピックが始まろうとする、その1週間ほど前だった。スポーツは平和の祭典と言われているのに、ちょっと信じられない思いがした。

侵攻から2週間たったが事態は悪くなるばかりに見える。ロシアは軍事施設だけ攻撃していると主張しているが、一般人の住宅としか思えない高層アパートや病院も砲弾を受けて破壊されている。原発が攻撃されたというニュースまで流れて来て、心底ゾッとした。命令した人は頭がどうかしている。

ロシアとウクライナの双方に、それぞれ言い分があるのだろう。メディアではロシアへの批判の方が強いが、当然だと思う。一方でウクライナのプロパガンダを鵜呑みにするなという人もいるが、暴力的手段に訴える事自体が、前世紀の戦争の時代に何も学ばなかったのかと思ってしまう。

アメリカはさかんにロシアを批判しているが、そんなことを言える立場だろうかとツッコミを入れたくなる。中国はパラリンピック開催中でもあり、ロシアのウクライナ侵攻に対する世界の動きを、じっと息を殺して見ているという感じがする。

戦争ともなれば国家レベルで情報統制が強まるのはいつの時代も、どの国でも同じらしい。モスクワで「戦争反対」と書いたプラカードを掲げておとなしく行進していた市民を、警官が容赦なく拘束する映像が流れていた。なんでも数日間で数千人が逮捕されたとか。

日本でもかつて戦争を遂行するために、治安維持法や国民総動員法など国民の思想や行動を監視し規制する法律を次々に制定した歴史がある。反戦らしき本を持っているだけで逮捕され、プロレタリア作家として底辺労働者の実態を描き、地下活動をしていた小林多喜二は、密告で逮捕されたその日のうちに特高警察の手で虐殺された。国家に反抗すればこうなる、という見せしめだった。

ロシアでつい最近成立した法律は、国家が発表したニュースと違うことを発表した場合、それが真実かどうかに関係なく「フェイク(嘘)ニュース」と断じるものらしい。戦争の実態が国民の目に触れないように、大本営発表だけを信じ込まされてきた戦前の日本とそっくりだ。

パラリンピックの開催中でも、ミサイルが撃ち込まれて市民が犠牲になり、国境を越えて隣国へ退避した難民はすでに150万人に達しているという。政治とスポーツは別と頭ではわかっていても、晴れ晴れとした気持でオリンピックを楽しめない自分がいる。国と国の対決は、本当にスポーツの世界だけにしてほしい。

アメリカ主導型グローバリゼーションは技術革新によって国や地域の垣根を超えて、政治・文化・経済などが世界規模で拡大していくというメリット面ばかりが強調されてきたが、逆のデメリット面が形となって表れたのが、いま世界中が苦しんでいる疫病「新型コロナウイルス」の蔓延だ。

2020年4月3日に他界されたC.W二コルさんはこんなことを書き遺されている。「自然は、私たち人間が地球を傷つけ、共に生きる他の生命を虐げていることに多くの警告を発している。新型コロナウイルスは今後我々を襲うであろう厄災の先駆けにすぎない」(4月2日付毎日新聞)と。核攻撃をちらつかせて戦争している場合じゃないと思う。

  ♪ 管理者ウェブサイト 「杉山武子の文学夢街道」

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