成人式から半世紀
◆一昨日の1月13日は「成人の日」だった。戦後間もない1948年(昭和23年)7月20日に公布・即日施行された「国民の祝日に関する法律」によって、成人の日は1月15日と定められたという。それはこの日が奈良時代以降、男子が成人になったことを示す「元服の儀」が行われていた日だったから、というのが主な理由らしい。
約半世紀続いたこの祝日だったが、法改正によって2000年(平成12)から「1月の第2月曜日」に変わり、現在に至っている。月曜日を祝日にすれば週休2日制とのつながりで土曜日から3連休となり、観光や運輸などの活性化が期待できるという目論見もあったらしい。
これは「ハッピーマンデー制度」と呼ばれ、その後の法改正で現在は成人の日のほかに海の日、敬老の日、体育の日が月曜日休みになっている。要は3連休が増えたことになり、有給休暇(年休)を取りづらい働き過ぎの会社員にとっては、堂々と休める良い制度なのかもしれない。
団塊世代のしんがりに生まれた私の場合だけでなく、1999年までに成人となった人にとっては、成人の日といえば1月15日という印象が強いのではないだろうか。かくいう私も1970年1月15日に成人の日を迎えた。あれからちょうど50年。もう半世紀も経ったのかと思うと、なにやら感慨深い。
福岡県南部の田舎町に生まれ、育ったわたしは、いわゆる団塊世代のしんがりという時代背景もあり、とにかく人数が多かった。押し合いへし合いの教室は小・中・高とも満員御礼状態。高校では1学年450人いて、後ろの壁際ギリギリまでびっしりと机が並んでいたものだ。
高校受験も大学受験も就職も競争競争と煽られたが、いま思えば教師も親も必死だったのだろう。しかも20歳前後に「70年安保闘争」や全国の大学で吹き荒れた「学園紛争」にも遭遇。過激な思想に感化されて学生運動に走り、ケガをしたり殺されたり、自死する人も多かった。青春時代は決して明るいだけではなかった。
逆に学生運動や政治運動に関心がない人たちは「ノンポリ」(ノンポリティカル)と呼ばれて、わたしもその中の一人だった。当時はベトナム戦争の真っ只中であり、日本では水俣病が大問題になっていた。それらの社会問題に関心はあっても、次第に過激化しセクト化を強める学生運動から離れる人も多かった。
わたしの成人式はそんな頃で、実家で迎えた。3人姉妹の長女だったこともあって、親が振袖を誂えてくれた。この振袖は就職して初めて迎えたお正月の仕事始めの日に、髪まで結って職場に着て行ったし、すぐ下の妹も成人式に着て、兄の結婚式でも着たので、何かと出番が多かった。
成人式は各地でやり方がいろいろあると思う。わたしたちの場合、町の方針で当事者たちによる実行委員会形式で運営することになり、会場は中学校の体育館だった。2カ月ほど前に地元にいた有志10数名で実行委員会を立ち上げ、数回集まって式次第や役割分担を話し合った。
町との調整役、プログラム作り、司会進行役など次々に決めて行った。そしてどういうわけか一番なり手のなかった、式の最後の方で「成人の誓い」を読み上げる役をわたしがやる羽目になった。原稿も自分で書かないといけない。どんな内容だったのか何も覚えていないが、とにかくそれが半世紀前の、わたしの成人式の思い出になった。
♪ 管理者ウェブサイト 「杉山武子の文学夢街道」
約半世紀続いたこの祝日だったが、法改正によって2000年(平成12)から「1月の第2月曜日」に変わり、現在に至っている。月曜日を祝日にすれば週休2日制とのつながりで土曜日から3連休となり、観光や運輸などの活性化が期待できるという目論見もあったらしい。
これは「ハッピーマンデー制度」と呼ばれ、その後の法改正で現在は成人の日のほかに海の日、敬老の日、体育の日が月曜日休みになっている。要は3連休が増えたことになり、有給休暇(年休)を取りづらい働き過ぎの会社員にとっては、堂々と休める良い制度なのかもしれない。
団塊世代のしんがりに生まれた私の場合だけでなく、1999年までに成人となった人にとっては、成人の日といえば1月15日という印象が強いのではないだろうか。かくいう私も1970年1月15日に成人の日を迎えた。あれからちょうど50年。もう半世紀も経ったのかと思うと、なにやら感慨深い。
福岡県南部の田舎町に生まれ、育ったわたしは、いわゆる団塊世代のしんがりという時代背景もあり、とにかく人数が多かった。押し合いへし合いの教室は小・中・高とも満員御礼状態。高校では1学年450人いて、後ろの壁際ギリギリまでびっしりと机が並んでいたものだ。
高校受験も大学受験も就職も競争競争と煽られたが、いま思えば教師も親も必死だったのだろう。しかも20歳前後に「70年安保闘争」や全国の大学で吹き荒れた「学園紛争」にも遭遇。過激な思想に感化されて学生運動に走り、ケガをしたり殺されたり、自死する人も多かった。青春時代は決して明るいだけではなかった。
逆に学生運動や政治運動に関心がない人たちは「ノンポリ」(ノンポリティカル)と呼ばれて、わたしもその中の一人だった。当時はベトナム戦争の真っ只中であり、日本では水俣病が大問題になっていた。それらの社会問題に関心はあっても、次第に過激化しセクト化を強める学生運動から離れる人も多かった。
わたしの成人式はそんな頃で、実家で迎えた。3人姉妹の長女だったこともあって、親が振袖を誂えてくれた。この振袖は就職して初めて迎えたお正月の仕事始めの日に、髪まで結って職場に着て行ったし、すぐ下の妹も成人式に着て、兄の結婚式でも着たので、何かと出番が多かった。
成人式は各地でやり方がいろいろあると思う。わたしたちの場合、町の方針で当事者たちによる実行委員会形式で運営することになり、会場は中学校の体育館だった。2カ月ほど前に地元にいた有志10数名で実行委員会を立ち上げ、数回集まって式次第や役割分担を話し合った。
町との調整役、プログラム作り、司会進行役など次々に決めて行った。そしてどういうわけか一番なり手のなかった、式の最後の方で「成人の誓い」を読み上げる役をわたしがやる羽目になった。原稿も自分で書かないといけない。どんな内容だったのか何も覚えていないが、とにかくそれが半世紀前の、わたしの成人式の思い出になった。
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