スペイン・アンダルシア紀行 1
◆ひょんなことからスペイン行きが決まった。この数年、高齢の義母の体調が気がかりで、旅行といえばせいぜい1泊か2泊程度にして長期に家を空けることはなかった。ただ最近は体調も回復してすこぶる元気。なので思い切って、ある研究調査チームに誘われて同行することになったのだ。
日程は、羽田空港近くでの前泊も入れて8泊9日。羽田からパリ経由で、スペインの首都マドリッドへ。マドリッドで1泊し、国内線で地中海に面するアルメリアへ移動し、そこに3泊。さらに車で数時間離れたグラナダに移動して1泊。調査終了後はセビリア空港からマドリッドに戻り、1泊して翌早朝空路パリへ行き、羽田行きに乗り換え。最後に鹿児島行に乗り換えて帰宅した。
ヨーロッパへは数回行っているが、スペインは初めてだ。2002年に当時学生の娘と1カ月間、鉄道を使ってヨーロッパ5か国を周遊したが、スペインは行かなかった。というのもそのころ首絞め強盗やスリ被害に遭う日本人が多く、渡航注意情報が出ていたので止めたのだ。最近は治安も良くなっているらしいし調査チームは男性ばかりなので、心配はしなかった。
パリはシャルル・ド・ゴール国際空港に降り立ったが、飛行機が降下を始めてから着陸まで、ずっと緑と黄土色がパッチワークになった美しい田園地帯が続いた。木々がひとかたまりに生い茂ってはいても、あくまでも平地か丘であって、どこまでも平原が広がっていたのには驚いた。それは次のマドリッド空港も同じで、田園地帯の中に空港が開かれていた。
※写真をワンクリックすると拡大します。
シャルル・ド・ゴール空港近くの田園地帯
マドリッドでは空港近くのホテルに泊まり、翌日朝から調査開始。わたしは市内へ出る途中の地下鉄駅で調査チーム一行と別れて、ひとりでマドリッドの中心部へ移動。マドリッドには地下鉄の路線が12もあって、その路線図と市内地図を片手に観光のスタート地点となるプラザ・デ・エスパーニャ駅(スペイン広場)で下車。地上へ出たが、方角も現在地も全く分からない。現地の人に目的地や建物の名前を言って、道順を2度ほど尋ねた。
メトロから地上へ出た風景(以下プラド美術館までマドリッド市内)
アルムデナ大聖堂
プラザ・メイヤー(マヨール広場)
もちろんスペイン語は話せないし、片言英語もあまり役に立たなかったが、道路の案内板と勘を働かせて何とか最初の目的に地に着いた。そこからは観光地図を手に、歴史的な建造物や街並みを楽しみながら迷わず約2時間歩き回った。途中、日本人の団体を1度見たきり。中国や韓国からの観光客にはけっこうすれ違った。日本人は個人旅行が多いのかもしれない。
バンコ・デ・エスパーニャ メトロ駅付近
メトロポリス保険会社のビル
アルカラ門(かつて街への入り口だった)
昼過ぎに調査チームと地下鉄駅で合流し、レストランへ。パエリア2皿、サラダ1皿を5人でシェアしながら、昼間からビールやワインでランチ。これも旅の醍醐味かもしれない。午後の調査はないというので、プラド美術館へ行ってみたが、なんと長蛇の列。時間的に入館は無理と分かり、断念。建物周囲を散策してホテルに戻り、預けていた荷物を受け取って、マドリッド空港から次の調査地へと移動した。
プラド美術館
約2時間の飛行でアルメリアの小さな空港着。そこで通訳の男性と合流し、彼の車で宿泊先のホテルに着いたのは夜の8時だった。荷解きして30分後にロビーに集合し、夕食に出かけた。ホテルは中心部から離れていたので周辺の賑やかさはなかったが、少し歩いていくと窓越しに火が燃えているレストランがあった。子豚が鯵の開き状態で焼かれていたのでびっくり。宣伝用らしかったが、一同興味津々で、そのレストランに入った。
レストラン店頭 (子豚の開き焼きなどが歩道から見える)
お店の目玉商品である子豚を焼いた肉とサラダ、ビール、ワインを注文し、通訳さんも含めて6人でシェアしていただいた。豚肉にはポテトなどの付け合わせ、サラダは生野菜たっぷりで、パンが必ず最初に出てくる。子豚の肉は厚く切ってあったが柔らかくて、そのおいしいこと! ごめんねと内心詫びる気持で、初めて食べる味に感激しながらいただいた。
子豚の肉を焼いた一皿
ところでパリの空港とマドリッドの地下鉄出口で立っているとき、面白い体験をした。乗り換えのため空港で搭乗口の長い列に並んでいるとき、スペイン人らしい女性から、「この列はマドリッド行きですか?」と2度も訊かれた。地下鉄駅のところでも2度、観光客らしい女性からスペイン語で「○△へはここから出ればいいの?」みたいなことを訊かれたが、「私もツーリストだから分からない」と片言英語で返事した。
周囲にいくらでもスペイン人らしい人たちがいるのに、わたしって、よっぽど話しかけやすいのかな? それとも現地在住の東洋人に見えるのかな? 理由は分からないが、それならばとその経験を逆手にとって、いかにも現地人のふりをして歩いたので、ひとりでも全然平気だった。
老若男女、いろんな人に道を尋ねたが、スペイン人はとても親切だった。背丈も低めの人が多く、道路も歩行者優先が守られていて、親しみと温かさを感じながらの街歩きだった。とはいえ、マドリッドでは銀行入り口に2人の警備員が長い銃を構えて立っていたのを見たが、日本にはない光景だった。
♪ 管理人ウェブサイト 「杉山武子の文学夢街道」
日程は、羽田空港近くでの前泊も入れて8泊9日。羽田からパリ経由で、スペインの首都マドリッドへ。マドリッドで1泊し、国内線で地中海に面するアルメリアへ移動し、そこに3泊。さらに車で数時間離れたグラナダに移動して1泊。調査終了後はセビリア空港からマドリッドに戻り、1泊して翌早朝空路パリへ行き、羽田行きに乗り換え。最後に鹿児島行に乗り換えて帰宅した。
ヨーロッパへは数回行っているが、スペインは初めてだ。2002年に当時学生の娘と1カ月間、鉄道を使ってヨーロッパ5か国を周遊したが、スペインは行かなかった。というのもそのころ首絞め強盗やスリ被害に遭う日本人が多く、渡航注意情報が出ていたので止めたのだ。最近は治安も良くなっているらしいし調査チームは男性ばかりなので、心配はしなかった。
パリはシャルル・ド・ゴール国際空港に降り立ったが、飛行機が降下を始めてから着陸まで、ずっと緑と黄土色がパッチワークになった美しい田園地帯が続いた。木々がひとかたまりに生い茂ってはいても、あくまでも平地か丘であって、どこまでも平原が広がっていたのには驚いた。それは次のマドリッド空港も同じで、田園地帯の中に空港が開かれていた。
※写真をワンクリックすると拡大します。
シャルル・ド・ゴール空港近くの田園地帯
マドリッドでは空港近くのホテルに泊まり、翌日朝から調査開始。わたしは市内へ出る途中の地下鉄駅で調査チーム一行と別れて、ひとりでマドリッドの中心部へ移動。マドリッドには地下鉄の路線が12もあって、その路線図と市内地図を片手に観光のスタート地点となるプラザ・デ・エスパーニャ駅(スペイン広場)で下車。地上へ出たが、方角も現在地も全く分からない。現地の人に目的地や建物の名前を言って、道順を2度ほど尋ねた。
メトロから地上へ出た風景(以下プラド美術館までマドリッド市内)
アルムデナ大聖堂
プラザ・メイヤー(マヨール広場)
もちろんスペイン語は話せないし、片言英語もあまり役に立たなかったが、道路の案内板と勘を働かせて何とか最初の目的に地に着いた。そこからは観光地図を手に、歴史的な建造物や街並みを楽しみながら迷わず約2時間歩き回った。途中、日本人の団体を1度見たきり。中国や韓国からの観光客にはけっこうすれ違った。日本人は個人旅行が多いのかもしれない。
バンコ・デ・エスパーニャ メトロ駅付近
メトロポリス保険会社のビル
アルカラ門(かつて街への入り口だった)
昼過ぎに調査チームと地下鉄駅で合流し、レストランへ。パエリア2皿、サラダ1皿を5人でシェアしながら、昼間からビールやワインでランチ。これも旅の醍醐味かもしれない。午後の調査はないというので、プラド美術館へ行ってみたが、なんと長蛇の列。時間的に入館は無理と分かり、断念。建物周囲を散策してホテルに戻り、預けていた荷物を受け取って、マドリッド空港から次の調査地へと移動した。
プラド美術館
約2時間の飛行でアルメリアの小さな空港着。そこで通訳の男性と合流し、彼の車で宿泊先のホテルに着いたのは夜の8時だった。荷解きして30分後にロビーに集合し、夕食に出かけた。ホテルは中心部から離れていたので周辺の賑やかさはなかったが、少し歩いていくと窓越しに火が燃えているレストランがあった。子豚が鯵の開き状態で焼かれていたのでびっくり。宣伝用らしかったが、一同興味津々で、そのレストランに入った。
レストラン店頭 (子豚の開き焼きなどが歩道から見える)
お店の目玉商品である子豚を焼いた肉とサラダ、ビール、ワインを注文し、通訳さんも含めて6人でシェアしていただいた。豚肉にはポテトなどの付け合わせ、サラダは生野菜たっぷりで、パンが必ず最初に出てくる。子豚の肉は厚く切ってあったが柔らかくて、そのおいしいこと! ごめんねと内心詫びる気持で、初めて食べる味に感激しながらいただいた。
子豚の肉を焼いた一皿
ところでパリの空港とマドリッドの地下鉄出口で立っているとき、面白い体験をした。乗り換えのため空港で搭乗口の長い列に並んでいるとき、スペイン人らしい女性から、「この列はマドリッド行きですか?」と2度も訊かれた。地下鉄駅のところでも2度、観光客らしい女性からスペイン語で「○△へはここから出ればいいの?」みたいなことを訊かれたが、「私もツーリストだから分からない」と片言英語で返事した。
周囲にいくらでもスペイン人らしい人たちがいるのに、わたしって、よっぽど話しかけやすいのかな? それとも現地在住の東洋人に見えるのかな? 理由は分からないが、それならばとその経験を逆手にとって、いかにも現地人のふりをして歩いたので、ひとりでも全然平気だった。
老若男女、いろんな人に道を尋ねたが、スペイン人はとても親切だった。背丈も低めの人が多く、道路も歩行者優先が守られていて、親しみと温かさを感じながらの街歩きだった。とはいえ、マドリッドでは銀行入り口に2人の警備員が長い銃を構えて立っていたのを見たが、日本にはない光景だった。
♪ 管理人ウェブサイト 「杉山武子の文学夢街道」
この記事へのコメント
次回を楽しみにしてます。
きょう(3日)続きをアップしました。