写真でつづる 私の一葉文学散歩(復刻版)

◆2000年に文芸サイトのホームページ「杉山武子の文学夢街道」を立ち上げましたが、中心テーマにしたのが明治の女性作家・樋口一葉でした。

前年の1999年に一葉の評伝を自家版として出版したこともあり、現地取材の際に撮っておいた写真をもとに、「写真でつづる 私の一葉文学散歩」のタイトルで、コンテンツの1つとしてアップしました。写真は全て、筆者が撮影したものです。1980年代から上京の際に、一葉ゆかりの場所に足しげく通い、一葉について考えてきました。このページは一葉の生きた場所と時代を考える、わたし自身の一葉探訪の旅でもありました。

ホームページは、HTMLを使って自分で作りましたが、その後16年がたち、何度かパソコンを買い換えたり、HTMLのスタイル指定の不備もあり、画面が見づらくなっていました。

そこで、内容はそのままに、新しい写真も加えてくアップし直すことにしました。

というのも、以前撮影した同じ場所へ行ってみると、建物や周辺の様子がずいぶん変わっています。そのため、20年以上前に撮った写真をそのまま掲載することに、逆に記録としての意味を感じるようになりました。

このページを参考に、それぞれの一葉文学散歩をされれば、また新しい発見があるかもしれません。

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明治5年に東京で生まれた樋口一葉は20世紀を目前にした明治29(1896)年、24歳の若さで亡くなりました。20代のころ、いつか樋口一葉の評伝を書こうと決心した私は東京へ行く機会をとらえては、一葉ゆかりの土地を探し歩き、自分の目と足で一葉の場所を確認してきました。その時々に撮った写真を織り交ぜながら、一葉の生きた場所を散歩してみましょう。



浄土宗 法真寺
(地下鉄丸ノ内線本郷三丁目下車、東京大学赤門向かい側)

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     法真寺入り口(2014.10.8 撮影)

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     対面にある東大赤門(同上)

一葉は四歳から九歳まで、法真寺と隣り合わせの大きな家に住み、 桜の木のあるこの境内で遊び、幸福な少女時代を送った。一葉の時代には境内中央に築山があり、そこに観音様が置かれていたため「濡れ仏」とも呼ばれた。
写真中央の軒下には「ゆく雲」の中で<腰衣の観音さま、濡れ仏にて おはします御肩のあたり膝のあたり、はらはらと花散りこぼれて・・・>と うたった「腰衣観音」が見える。
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    (1986.11.20撮影)

2009.1.2no2_LI.jpg   法真寺境内(2009年1月2日)

idonoie2009年1勝ち2日 (2).JPG    腰衣観世音菩薩様(2009年1月2日撮影)

その後、法真寺が改修されてると教えてくれた人があり、2014年10月8日の上京の折に、訪ねてみた。

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   本堂を改修中の法真寺(2014.10.8 撮影)

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     改修に伴い、境内に仮置きされた“濡れ仏” (同上)

※現在本堂は改修され、腰衣観音様は屋根付きのお堂に安置されている。 

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   (2015年5月27日撮影)
    
安藤坂―右側ビルのあたりに「萩の舎」(はぎのや)があった。
(地下鉄三田線春日駅近く)

一葉は通算して5年半、小学高等科第4級卒業の11歳で学校をやめさせられた。女子に学問は 不要と主張する母親と、勉強好きの娘を進学させたい父親が争そったという。 一葉は「死ぬばかり悲しかりしかど、学校は止めになりにけり」と のちの日記に記している。
14歳のとき、和歌を学ばせようとの父親の計らいで、 向学心の強い一葉は小石川の中島歌子の歌塾「萩の舎」へ入門した。
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   (1986.11.20撮影)

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    中央白いビル付近に「萩の舎」があった(2018.5.25撮影)

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    ビル前に立つ「萩の舎」跡の説明版(同上)

路地奥の本郷菊坂町旧居跡と手前は使ったと思われる共同井戸
(本郷から白山通り方面へ抜ける菊坂通りのもう一段低い道の路地を入る)

一葉は「萩の舎」で上流階級の女性達に交じり、持ち前の負けん気で めきめき和歌の実力をつけたが、長兄泉太郎に続き負債を残して父親も病没。17歳で女戸主となった一葉は、 あとに残った57歳の母と15歳の妹を養う立場に立たされた。
母娘3人は、明治23年9月、本郷菊坂町の借家に移り住んだ。樋口家の没落の始まりだった。一葉はここから小石川の 「萩の舎」へ稽古に通った。
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      (1986.11.20撮影)

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     この路地の奥に井戸がある(2014.10.8 撮影)

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     近隣に配慮されて、案内板は撤去されていた(同上)

伊勢屋質店 
(本郷五丁目に現存。昔の面影のまま建つ)

姉妹で洗い張りと仕立物で生計を立てたが貧困はつのるばかり。 「萩の舎」の姉弟子田辺龍子が小説を書いて高額の原稿料を得 たことに刺激を受けた一葉は、朝日新聞の小説記者半井桃水に 頼み込んで弟子入りする。
桃水は大衆受けのする小説の指導をし、一葉は必死で書いたが すぐにお金になるはずもなく、一葉親子は着物や帯を持って、幾 度となく近所の伊勢屋質店へ走って急場をしのいだ。
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       (1986.11.20撮影)

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      〈2014.10.8撮影〉

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         (同上)

旧伊勢屋質店は所有者個人での維持管理が困難となり、売却される危機にあったが、2015年に跡見学園女子大学の所有となり、保存・活用されている。

※週末に建物内部を一般公開(ただし休館日に注意)
【問い合わせ先】
  跡見学園女子大学 文京キャンパス事務室:03-3941-7420 又は
  文京区:文化資源担当室(文京ふるさと歴史館):03-3818-7221


傳通院
(文京区小石川三丁目、淑徳学園高校に隣接)

長兄、父と相次いで働き手を失った一家は、一葉の小説が売れ ることに期待をかけるがうまくいかない。一葉は一時期「萩の舎」に 住み込みで師の手伝いなどもした。
師の中島歌子は一葉一家の窮状を見かねて、傳通院にあった 学校の教師の口を世話すると約束するが、実現しなかった。一葉 の小学校4級卒業までの学歴では無理な相談だったのだろう。
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          (1986.11.20撮影)

旧大音寺通り 道路奥右手に荒物屋を開店
(地下鉄日比谷線三ノ輪下車徒歩約7分)

萩の舎での醜聞が原因で半井桃水と絶交し、小説も売れない一葉は食い 詰めて商売を思い立ち、新吉原に隣接する竜泉寺町に転居する。
遊郭への道沿いの長屋に雑貨屋を開き、一葉は買い出し、妹が店番を担当した。早朝の買い出しが終わると、 一葉は上野にあった東京図書館へ通って、 小説を書くための勉強を始め、読書に励んだ。
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       旧大音寺通り(1986.11.20撮影)

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    旧大音寺通り(2016.11.4撮影)右端があらき薬局

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    あらき薬局外壁にある案内板(2016.11.4撮影)

樋口一葉旧居跡碑 下谷竜泉寺町(現 竜泉寺3-15-2)
(地下鉄日比谷線三ノ輪下車徒歩約6分)

転居第1夜の日記に一葉は「此家は下谷よりよし原がよひの只一筋道にて、 ゆうがたよりとどろく車の音、飛ちがふ燈火の光り、たとへんに詞なし。行く車 は午前一時までも絶えず、かへる車は三時よりひ ゞ きはじめぬ」と以前住んで いた本郷の静かな夜との違いに驚き、不安を抱いて書き記している。
一葉はこの町で貧民に交じって暮らし、日記の表題を「塵の中」として 萩の舎の上流階級の知人達を避けている。しかし遊郭に寄生する貧民街での 生活体験が一葉に新たな目を開かせ、大きな人間的成長となり、後の小説に結実する。
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     樋口一葉旧居跡碑(1986.11.20撮影)

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    同上の場所にて(2016.11.4撮影)

なつかしの旧一葉記念館(現在は新館に建替え)
(地下鉄日比谷線三ノ輪下車徒歩約5分) 

・建設の趣旨【記念館発行の資料目録『樋口一葉』より引用】
 明治文壇の天才一葉樋口なつは、この地に住み名作「たけくらべ」を書いた。 台東区はここに一葉の文学を顕彰し、その業績を永久に保存するため、一葉 記念館を建設したのである。  昭和三十六年五月  台東区長
 
※毎年一葉忌にあたる11月23日に館内は無料公開され、一葉祭として 記念行事が行われている。
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  (1986.11.20撮影)

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    2006年に建替えられた新館(2016.11.4撮影)

一葉記念館前に建つ「樋口一葉記念碑」
(地下鉄日比谷線三ノ輪下車徒歩約5分)

 <碑文>
 ここは明治文壇の天才樋口一葉旧居のあとなり。一葉この地に住みて 「たけくらべ」を書く。明治時代の竜泉寺町の面影永く偲ぶべし。今町民一葉を 慕ひて碑を建つ。一葉の霊欣びて必ずや来り留まらん。
 菊池寛右の如く文を撰してここに碑を建てたるは、昭和十一年七月のことなり き。その後軍人国を誤りて太平洋戦争を起し、我国土を空襲の惨に晒す。昭和 二十年三月この辺一帯焼野ケ原となり、碑も共に溶く。
 有志一葉のために悲しみ再び碑を建つ。愛せらるる事かくの如き、作家として の面目これに過ぎたるはなからむ。唯悲しいかな、菊池寛今は亡く、文章を次ぐ に由なし。
僕代って蕪辞を列ね、その後の事を記す。嗚呼。
       昭和二十四年三月
            菊  池   寛撰
            小島政二郎補並書
                 森田春鶴刻


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    旧記念館入口に設置されていた記念碑 (1986.11.20撮影) 

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   記念館向かいの公園に移設された記念碑(2016.11.4撮影)



一葉記念公園 (「たけくらべ」ゆかりの地)
一葉記念館前にある。右手奥に「一葉女史たけくらべ記念碑」が見える。
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       一葉記念公園(1986.11.20撮影)

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  以前と同じ場所にある一葉の碑(2016.11.4 撮影)

千束稲荷神社(「たけくらべ」の子供達が遊んだ神社)
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     千束稲荷神社 (1986.11.20撮影)


一葉一家は荒物屋を開店して10ヶ月足らずで店をたたみ、本郷区の丸山 福山町へ転居する。この家は本郷台地の崖下にあった。新開地にありがちな銘酒屋が建ち並ぶ一角で、一葉は 遊女たちと知り合い、明治の風俗の一端に直接触れることになる。その見聞の中から一葉は 真に自分の書くべきものを掴み取っていった。

一方、一葉は頻繁に訪れる『文学界』の若い青年たちとの交流を通して、 外国文学や新しい文学の潮流に目を開かれ、強い刺激を受ける。やがて『文学界』 に「やみ夜」「おおつごもり」「たけくらべ」「にごりえ」「わかれ道」と矢継ぎ早に小説を 発表。どれも激賞されるが、一葉は冷ややかに成り行きを見守る。

こんにゃく閻魔(えんま)(一葉終焉の地から徒歩10分たらず)
こんにゃく閻魔は正式名を源覚寺といい、江戸時代から庶民にしたしまれていたという。丸山福山町から安藤坂の萩の舎へ行く途中に位置することから、源覚寺は一葉の行動範囲内にある。「にごりえ」に縁日の夜の様子が描かれていることから、一葉は閻魔様の縁日に出かけていたと思われる。
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   源覚寺入口(2018年5月25日撮影)

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     源覚寺本殿(同上)

名声が高まる中、一葉の身体を肺結核がむしばみ、明治29年11月23日、一葉は ついに24歳の生涯を貧困のうちに閉じた。

一葉終焉の地に建つ碑  (地下鉄三田線春日駅近く)
終焉の地を最初に訪れたのは1980年代中ごろで、大通りから直角に入った奥の崖下に石碑が建っていた。2008年ころに再訪すると碑があった場所には大きな商業ビルが建っていて、周辺の様相は一変しており、一葉の石碑はビル前の歩道脇に移されていた。注意していないと分かりにくい。

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   (2008年ころ撮影)

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      一葉 樋口夏子碑(2018.5.25撮影) 

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     (2018年5月25日撮影)

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※拙著、樋口一葉の評伝『一葉 樋口夏子の肖像』第2刷発行のお知らせ
 長らく売り切れ状態になっておりましたが、第2刷を発行いたしました。
 アマゾンの中古市場では高額で出ておりますが、下記出版社へ直接
 ご注文いただければ定価で購入できます。 定価(本体1,800円+税)
 ご希望の方は、よろしくお願い致します。
 
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  注文先:績文堂出版
       〒101-0051
       東京都千代田区神田神保町1-64
       電話:03-3518-9940
       FAX :03-3293-1123 


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この記事へのコメント

kaz
2016年01月07日 10:04
一葉さんを調べていて、ブログに行き着きました。ご存知でしょうが伊勢屋質店は昨年から、週末だけ中が観覧できます。先日行きましたが大変興味深いものでした。一つ教えて頂きたいのですが、一葉さんの病状について、より詳細な記述や樫村博士や、青山教授のカルテなり何か知る手だてはありませんか?あったら是非お教えください。
2016年01月07日 22:34
kazさま。コメントありがとうございました。
私も長いあいだ一葉のことを調べて評伝まで書きましたが、お訊ねの樫村博士や青山胤通医師のカルテ等、詳細な病状や診断内容については見つかりませんでした。
妹邦子や一葉の友人がのちに書いた随筆等を手掛かりに、肺結核という病名を知るのみでした。もしカルテが見つかれば大発見になるかもしれません。一葉は研究者が非常に多いので論文や本もたくさん読みましたが、残念ながらお知りになりたい内容の資料は見たことはありません。お役に立てずにすみません。
なお上記本文に、伊勢屋質店の最新情報や腰衣観音の新しい写真を追加しました。ご指摘ありがとうございました。
kaz
2016年01月08日 10:02
不躾な質問に丁寧にお答え頂き、有難うございます。不躾ついでにもう一つご意見をうかがいたいのですが。一葉さんが亡くなる11月、馬場狐蝶が見舞ったのが、3,4日頃。その時は、話は叶わず、最早この世の人のようではなかった、と述べていますが、同じ頃、木枯らしの吹く音寒き冬の夜は、と詠んだといわれています。歌のことは分からないのですが、違和感があります。専門家としてのご意見はいかがでしょう?
2016年01月08日 11:30
kaz様。ご質問の「木枯らしの吹く音寒き冬の夜はかけても君の恋しかりけり」の歌は、私も亡くなるころの歌ではないと思います。ネットには「一葉最後の歌」と書いたものもありましたが、もっと前の、桃水に恋焦がれていたころの歌だと思います。いまは忙しくて調べる時間がなく、いつの和歌と特定できません。すみません。
kaz
2016年01月08日 11:53
有難うございました。納得しました。