死に顔は美しく
◆この10年あまり、片手はゆうに超えるほどのお葬式に出かけた。自分の親の世代や叔父・叔母、まだ50代になったばかりのいとこのお葬式もあった。式の最後のほうで、必ずと言っていいほど死に顔を見て、棺の中を生花で埋め尽くして最後のお別れをする場面がある。
ずっと以前も何度かそういう経験をした。しかし高齢かつ病気で亡くなったとはいえ、その死に顔は横向きだったり、苦痛にゆがんだ表情のままだったり。会葬者が入れ替わり立ち代わり見ていくのに、あれではかわいそう、わたしだったらあんな苦しげな死に顔を見られたくない、と思うことがしばしばあった。
その頃は職場の関係上、高齢の男性のお葬式が多かったからかもしれない。ところがこの十年ぐらいは女性のお葬式に何度か参列したが、どんなに高齢で亡くなっても、棺の中のお顔はどの人も美しいのである。それを見るたびに、わたしもこんなふうに美しい顔で死ねたらいいなと、内心思っていた。
折も折、2008年に滝田洋二郎監督の『おくりびと』が上映された。その一年間に観た映画の中で一番感銘を受けたので、この作品は国や宗教が違っても理解される内容であろうと自分では評価していた。その後、日本アカデミー賞最優秀作品賞、モントリオール世界映画祭グランプリに続き、第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞したことは記憶に新しい。
この映画を観て初めて知ったのが、納棺師という仕事の存在だった。その仕事の具体的な中身、ご遺体を扱う大変さは、映画を観た人ならご存知だろう。あの映画を観て、わたしはなんだかほっとする気持ちが強くなった。それはなぜかというと、死んでのちの旅立ちを納棺師が手伝ってくれるからである。
臨終に際しての一連の儀式のひとつに、「死に化粧」というのがある。日本語だと直接的な表現になっているが、英語では「エンゼルメイク」と呼ぶらしい。女性ならば必ずといっていいほど死後に施されるが、男性でも無精ひげをそったり、顔色を良くしたり、髭のある人は整えたりしてもらえるという。
昨年秋に亡くなった実母の場合、病院に入院中で、丸一日意識がなく臨終を迎えた。ドラマのように縋り付いて泣き叫ぶこともなく、呼吸と心拍数を示すモニターと母の様子をかわるがわるただ静かに見つめていたように思う。背骨が曲がっていた母は常に横向きの姿勢だったから、床ずれ予防のため、1時間おきに体の向きを変えてもらっていた。
最後の息を深く吸って、そのまま呼吸が止まった。「息をひきとる」とは、そこからきているという。ところが心拍のほうはそれから10分ほど長く頑張ってくれた。主治医による臨終宣言のあと、看護師さんたちがおしろいや口紅で死に化粧をしてくれた。けれど母はやっぱり体も顔も横向きのまま。それがひどく気になっていた。
遺体はいったん自宅に戻った。翌日、葬祭場での通夜に先立ち納棺師が2人自宅に来られた。予想に反して30代ぐらいの若い女性たちだったのでびっくり。最初の30分ぐらいは身内は全員部屋から出されたので、彼女たちの仕事ぶりを知ることはできなかった。しかし「どうぞ」と親族一同招き入れられたのちは、白装束に着替えて死に化粧を終えるまでをつぶさに見ることができた。
一番驚いたのは横たわった母の姿。横向きに曲がっていた体と顔は上を向き、半開きになっていた口もしっかり閉じている。魔法のようだ。顔の産毛をそり、眉を整え、下地やファンデーション、おしろい、ほほ紅、口紅でメイクしてもらい、元気なころの母の顔になった。どんな姿で死んでも、こんなに美しく整えてもらえるんだ。よかったねお母さん、と言いながら、これなら安心だわと自分自身ほっとしたのである。
♪ 管理者ウェブサイト「杉山武子の文学夢街道」
ずっと以前も何度かそういう経験をした。しかし高齢かつ病気で亡くなったとはいえ、その死に顔は横向きだったり、苦痛にゆがんだ表情のままだったり。会葬者が入れ替わり立ち代わり見ていくのに、あれではかわいそう、わたしだったらあんな苦しげな死に顔を見られたくない、と思うことがしばしばあった。
その頃は職場の関係上、高齢の男性のお葬式が多かったからかもしれない。ところがこの十年ぐらいは女性のお葬式に何度か参列したが、どんなに高齢で亡くなっても、棺の中のお顔はどの人も美しいのである。それを見るたびに、わたしもこんなふうに美しい顔で死ねたらいいなと、内心思っていた。
折も折、2008年に滝田洋二郎監督の『おくりびと』が上映された。その一年間に観た映画の中で一番感銘を受けたので、この作品は国や宗教が違っても理解される内容であろうと自分では評価していた。その後、日本アカデミー賞最優秀作品賞、モントリオール世界映画祭グランプリに続き、第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞したことは記憶に新しい。
この映画を観て初めて知ったのが、納棺師という仕事の存在だった。その仕事の具体的な中身、ご遺体を扱う大変さは、映画を観た人ならご存知だろう。あの映画を観て、わたしはなんだかほっとする気持ちが強くなった。それはなぜかというと、死んでのちの旅立ちを納棺師が手伝ってくれるからである。
臨終に際しての一連の儀式のひとつに、「死に化粧」というのがある。日本語だと直接的な表現になっているが、英語では「エンゼルメイク」と呼ぶらしい。女性ならば必ずといっていいほど死後に施されるが、男性でも無精ひげをそったり、顔色を良くしたり、髭のある人は整えたりしてもらえるという。
昨年秋に亡くなった実母の場合、病院に入院中で、丸一日意識がなく臨終を迎えた。ドラマのように縋り付いて泣き叫ぶこともなく、呼吸と心拍数を示すモニターと母の様子をかわるがわるただ静かに見つめていたように思う。背骨が曲がっていた母は常に横向きの姿勢だったから、床ずれ予防のため、1時間おきに体の向きを変えてもらっていた。
最後の息を深く吸って、そのまま呼吸が止まった。「息をひきとる」とは、そこからきているという。ところが心拍のほうはそれから10分ほど長く頑張ってくれた。主治医による臨終宣言のあと、看護師さんたちがおしろいや口紅で死に化粧をしてくれた。けれど母はやっぱり体も顔も横向きのまま。それがひどく気になっていた。
遺体はいったん自宅に戻った。翌日、葬祭場での通夜に先立ち納棺師が2人自宅に来られた。予想に反して30代ぐらいの若い女性たちだったのでびっくり。最初の30分ぐらいは身内は全員部屋から出されたので、彼女たちの仕事ぶりを知ることはできなかった。しかし「どうぞ」と親族一同招き入れられたのちは、白装束に着替えて死に化粧を終えるまでをつぶさに見ることができた。
一番驚いたのは横たわった母の姿。横向きに曲がっていた体と顔は上を向き、半開きになっていた口もしっかり閉じている。魔法のようだ。顔の産毛をそり、眉を整え、下地やファンデーション、おしろい、ほほ紅、口紅でメイクしてもらい、元気なころの母の顔になった。どんな姿で死んでも、こんなに美しく整えてもらえるんだ。よかったねお母さん、と言いながら、これなら安心だわと自分自身ほっとしたのである。
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