帯の不思議

いま私が毎週楽しみに見ている韓国ドラマは「チュモン(朱豪)」だ。紀元前百年ごろの古代朝鮮を舞台に、漢軍から滅ぼされた大帝国古朝鮮の流民たちを率い、祖国再建と失地回復へ奮闘するヘモス将軍とその遺志を受け継ぐ息子チュモンの、英雄親子二代にわたる壮大なスケールの高句麗建国物語だ。

私は「チュモン」を観ている時、どうも気になることがある。それは登場人物の着物というか衣装のことで、紀元前百年のころの話にしては豪華にして華美すぎと思った。けれど歴史エンターテイメント、歴史ファンタジードラマと割り切れば、それもありかなと、いまでは日本の着物の源流を思わせる衣裳デザインの数々をけっこう楽しめるようになった。

主人公チュモンは高句麗建国の始祖として、『三国史記』などにもその名が出てくるそうだ。またチュモンと結婚を誓い合う聡明なヒロインとして登場するのが、ソソノ(大商団を率いる君長ヨンタバルの娘)という女性。二人は結局すれ違いでそれぞれ別の人と結婚してしまうが、ソソノはのちに韓民族最初の女王となったことが、歴史書にも記されているという。

ドラマを観ていて私が気になることに2つ目は、チュモンなどが刀(かたな)を持って城内や城下を歩く時、刀を常に手に持っていることだ。部屋に入り椅子に腰を下ろす時は、刀はテーブルに立て掛けて置いている。また彼らが馬に乗って移動するときも、片手は手綱を持ち、もう片手には刀を持っている。それが不自由にみえるし、何となく違和感がある。

騎馬戦が主力のこの時代のこと、大きくて長い武器なので刀というより太刀というべきかもしれない。それを手に持っているのは、じゃまで重たいだろうなと思ってしまう。日本の時代劇の場合は、打刀(うちがたな)と脇差は腰の角帯に差しているから、両手はあいている。しかしチュモンの時代は日本の弥生時代中期にあたり、日本の武士の台頭まで千年以上の開きがあるので、服装や刀の持ち方について単純に比較はできない。

洋画などで古代の戦記物を観ていると、剣などの武具は腰のベルトなどに紐(ひも)状の道具で吊さげていることが多い。日本では奈良や平安時代にはまだ帯というものがなく、細いくけ紐(縫目が表に出ないように縫ったひも)を使っていたらしい。それが室町時代ごろからだんだん紐の幅が広くなり、また二重三重に巻くようになり、江戸時代には遊女などが幅の広い帯を用い、また後ろに結ぶようになり、それがだんだん一般に広まったようだ。

日本語に「帯刀」という言葉がある。腰に刀を差すことで、帯という字が使われている。帯は腰に巻くものだから、「帯びる」とは「身につける」意味があり、「携帯」といえばまさに「身につけて持つ」ことだ。着物が現在の形になるにつれ、着物につける紐も帯に進化し、男性の場合は刀を差すのにちょうどいい幅になり、女性は着飾るために、織り方や素材を工夫できる幅広の帯になったという。

私の和ダンスには、最近やっと出番が来つつある和服と帯がしまってある。帯は袋帯、名古屋帯、半幅帯など結婚する時買ってもらったものや、母が使っていた帯のおさがりもある。それらの帯を見ていると、私は現在の形に帯が発達したのは、江戸時代に平和が長く続いたからではないだろうかと思う。また日本人の帯に対する思い入れや、こだわりの強さを感じさせられる。

たとえば柔道着の帯には特別な意味合いがあるし、相撲のまわしは「締込み」の進化したものらしいが、腰に巻くし技と密接な関係がある。また「横綱」はしめ縄に通じるそうだ。妊娠した女性が着ける腹帯(岩田帯)も、日本独特の風習のようだ。昨年北欧に行ったとき、夏だったこともあるのか、妊婦さんがTシャツの下から裸の大きなお腹をはみ出したまま闊歩していた。しかも何人も見かけ、それじゃあんまり無防備でしょと、あ然としたものだ。

帯は締めるものだ。神社の御神木にしめ縄を巻くのも、何かを頑張るときに頭に巻く鉢巻も、帯との関係を感じさせられる。人ばかりか新刊本にも帯を巻く。日本人にとっての帯は、機能的な便利さ以上の特別な意味があり、帯と帯びるの不思議な関係は日本独自の文化でもあるのだろう。私はときどきゆるい日常を引き締めるように、和服を着て帯を締める。そのときの背筋を伸ばした姿勢と身の引き締まる感じが、何とも心地よくて好きだ。

 ♪管理人ウェブサイト「杉山武子の文学夢街道」 

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