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一樹の蔭、一河の流れ

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一樹の蔭、一河の流れ
ブログ紹介
文芸サイト「文学夢街道」管理人の杉山武子です。
実りある60代をめざして、読書・映画・旅行など日々の活動から思うこと感じることを書いて、月に2回、水曜日にアップしています。
ブログ名は平家物語の「一樹の蔭に宿るも前世の契り浅からず、同じ流れにむすぶも他生の縁なほ深し」に由来しています。
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苦しい時の『文読む月日』

2019/06/13 11:46
小さな子どもたちが命を落とす事故やいわれなき無差別殺人、高齢者の運転による交通死亡事故の連鎖、母親による幼児殺し、老いた父親による息子殺し、毎日毎日これでもかと目を覆うような事件事故の連続で、精神的にへとへとな状態になっている。

政治に目を向ければ、必要以上に盛って大きく見せたり、ウソや騙しのテクニック満載の内容ばかりで、気分が悪くなる。そんなわけでニュースのたぐいは見たくない・知りたくない・聞きたくない心境の日々だ。

こんなときのわたしの栄養剤は、愛読書の北御門二郎訳、『文読む月日』。これはトルストイの言葉と古今東西の聖賢たちの言葉を集めたものだ。文章が古風なので硬い印象は否めないが、ITやバーチャル世界がもてはやされるいま、長い歴史の中で培われた言葉には現代でも色あせない、人を惹きつける力がある。

まだ自分の中から言葉が湧いてこないので、この本の中から好きな言葉を紹介したい。

・優しい心は、いっさいの矛盾を解きほぐす人生の花である。
 それは紛糾したものを解明し、困難なものを容易にし、陰鬱
 なものを明るくする。

・憤怒がどんなに他人にとって有害であろうと、それは何にもま
 して憤怒する当人にとって有害である。憤怒は必ずそれを呼
 び起こした相手の行為以上に有害なのだ。

・われわれの生活――それはわれわれの思想の結果である。
 それはわれわれの思想から生まれる。もし人が悪しき思想に
 よって語ったり行動したりするならば、ちょうど荷車の車輪が、
 それを牽(ひ)く牝牛の踵(きびす)につきまとうようなものであろ
 う。われわれの生活は―― われわれの思想の結果である。
 それはわれわれの心の中で生まれ、われわれの思想によっ
 て育(はぐく)まれる。もし人が善き思想によって語ったり行動
 したりすれば、影の形に添うごとく、喜びが彼につきまとうで
 あろう。(仏陀の言葉)

・人は自分で自分の体を持ち上げることができないように、自
 分を褒(ほ)めることで評判を高めることもできない。むしろ反
 対に、自分を褒め上げれば褒め上げるほど、人々の評判は
 下がるものである。

・自分の努力以外の何かに救いや幸福を見出そうと思うこと
 ほど、人間の力を弱めるものはない。

・人間の真の力は激情のなかにはなく、破らるることなき平安
 のなかにある。

・われわれはみな罪深い人間で、人の悪口を言う場合、それ
 はいつもわれわれ自身にも当てはまるものである。互いに
 赦し合おうではないか。われわれが平和に生きる唯一の方
 法は、互いに赦し合うことである。

・人間にとっての功績は、ただその人の努力のみである。人間
 は努力することのなかにその真の姿を現わすものである。


  ※引用図書 『文読む月日』(上・中・下刊)
           トルストイ 北御門二郎訳 ちくま文庫

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東京駆け足ミュージアムめぐり

2019/05/23 00:19
先週末から今週月曜日にかけての数日間、用あって上京し、東京港区の長女宅に居候していた。その最初の日は1日フリーだったので、いつか行きたいと思っていた所へ行こうと決めて、即実行。天気も上々だった。

娘の出勤に合わせてわたしも一緒に家を出て、2人の孫を近くの保育園に送り届け、新橋駅で娘と別れて鉄道を乗り継ぎ、上野の近くの湯島で下車。まず湯島天満宮を目指した。ここは10年ほど前に娘と夫の3人で初詣して願掛けしたままだったので、お礼参りがしたかった。
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     湯島天神
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     湯島天神境内
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     湯島天神本堂(正面)

次に歩いて、近くにある都立文化財9庭園のうちの1つ、旧岩崎邸庭園へ。明治29年にイギリス人の建築家ジョサイア・コンドルの設計により、岩崎弥太郎の長男で三菱第三代社長の久弥の本邸として建てられた洋館で、別棟の撞球室と増設された和館や庭園の一部が現存している。
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     旧岩崎邸洋館

洋館の左半分は工事中のため外観を見ることができなかったが、邸内の柱や階段、壁紙、ベランダなどにさまざまな様式の意匠が取り入れられ、贅を尽すとはこういうことかと納得。外国人を招いてのパーティーや私的な迎賓館として使用されたという洋館を見ることができた。
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     装飾された柱
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        階段手すりの装飾

少し歩くと上野の不忍池に出たので、近くに森鴎外の居住跡が水月ホテル鴎外莊になっていることをふと思い出し、館内のレストラン「沙羅の木」に行ってランチタイム。メニューにドイツ産の「鴎外ワイン」があったので、昼間からフルーティーなワインを京懐石と一緒にいただいた。
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        水月ホテル鴎外莊
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        ホテル入口の説明板
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        ホテル内の鴎外旧居跡
  
次に、JRを利用して御徒町駅から両国駅へ移動し、数年前に行ったことのある江戸東京博物館の巨大な建物を見ながら、歩いて10分足らずで、墨田区の「すみだ北斎美術館」へ。館内は欧米人でいっぱいで、北斎の作品の数々を堪能することができた。超現代的な建物の横は公園で、真っ青な空を背景にスカイツリーが映えていた。
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        すみだ北斎美術館

近場をもう1カ所めぐりたいと思い、今度は地下鉄の両国駅からひと駅、森下駅まで南下して下車。江東区芭蕉記念館を目指した。スマホで位置確認しながら隅田川へ向かって10分ほど歩いたが、たどり着けず、数分間ウロウロと探して何とか到着。
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     江東区芭蕉記念館


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           芭蕉記念館入口

俳句が大好きで、最近勉強していることもあって、ぜひ行きたかった場所だ。人も車もあまり通っていない場所にひっそりと建っており、「芭蕉記念館」を示す大きな石の横には芭蕉の木が植えられていた。
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        芭蕉記念館

館内には芭蕉関連の書簡や短冊、与謝野蕪村筆の芭蕉座像図など、興味深い展示物をたくさん見ることができた。ここで常設展示図録のブックレット「芭蕉と深川」を買って、大満足で記念館をあとにした。

朝の9時ころから夕方4時過ぎまで、自分では効率よく回れたと思う。というのも、「東京・ミュージアムぐるっとパス」を利用したからで、都内の公立・私立の美術館や博物館の入場券や割引券が短冊状の冊子になっていて、これを参考に移動。さすがに帰りには足が棒になった。

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大久保様の水祭り

2019/05/09 01:51
ことしの3月末、鹿児島市花尾町にある大雄山南泉院に行って来た。明治維新で活躍した大久保利通の供養が行われるからと誘われ、俳句仲間と数台の車に分乗して、連れて行ってもらった。

鹿児島中央駅から国道3号線を10キロメートルほど北上。右折して県道をさらに10キロメートルほど走って右手にある花尾山神社をめざし、花尾山の北側に位置する広大な傾斜地に、そのお寺はあった。鹿児島市中心部はまだ蕾だった桜が、この周辺ではもう満開だった。

略縁起によれば南泉院は東叡山寛永寺の末寺であり比叡山天台宗の寺院。1710年に東照宮の別当寺として創建され、寺領500石を持つ藩内有数の大寺院だった。当時は薩摩藩の中心部、現在の照国神社のそばにあり、背後に城山を従える広大な境内の寺院だったとか。

しかし明治初年の廃仏毀釈(神仏分離令)によって、薩摩藩内の寺院はすべて廃寺され、1876年(明治9)9月5日の「信教自由の布達」まで、鹿児島には全く寺院が存在しなかったそうだ。

南泉院も廃寺され、天台宗の寺院は再興されないままだったのが、2007年12月12日に鹿児島市花尾町の新天地に「大雄山南泉院」として寺籍復興され、宮下亮善さんが住職をされている。亮善さんは十数年前からミャンマーに小学校を造る活動もされている人だ。

大久保利通の供養には東京から玄孫の女性も参加され、地元の人など100名以上の方が集い、満開の桜の下でおだやかな時間が流れていった。昨年は明治維新から150年ということで、NHK大河ドラマ「西郷どん」が放映され、鹿児島は大いに盛り上がりを見せた。

明治維新の立役者として西郷隆盛と大久保利通は同時に取り上げられることが多い。しかし鹿児島では西郷さんの絶大な人気に比べて、大久保さんの不人気が気になっていた。大久保は西郷を死に追いやった冷酷な人物として、いまだに恨みを持つ人が多いのだという。

そんな大久保利通をまつる大久保神社が福島県郡山市にあることを、今回初めて知った。郡山市周辺の安積(あさか)地方は古来から雨量が少なく、作物が育ちにくい原野だったという。1876年(明治9)明治天皇の巡行の下見で訪れた大久保はその窮状を知って、猪苗代湖から水を引く安積疎水事業を計画する。

大久保は西南戦争の翌年に暗殺されたが、安積疎水の計画はやがて国の事業として実現し、大久保の死から4年後の1882年、分水路も含めて延長130キロメートルに及ぶ水路が完成。久留米藩・松山藩などから旧士族と家族ら約2千人が入植し、米の収量は増大したという。

安積疎水の恩恵を受けた牛庭(うしにわ)地区の住民たちは、1889年に大久保神社を建て、毎年9月の「大久保様の水祭り」を100年以上続けているという。現在は顕彰碑が残るだけの大久保神社に今月、創建130年を記念して鹿児島市民の有志により灯籠が贈られるそうだ。

「維新から150年がたち歴史となったのだから、いつまでも大久保憎しではいけない。日本のために命がけで尽くした郷土の偉人を、ともに顕彰しよう」と、亮善さんは供養の参加者に訴えられた。

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運転免許

2019/04/24 22:59
自動車の運転免許を取得したのは33歳の春だった。そのころのわたしは小学2年生と2歳の娘がいて、フルタイムの仕事をしていた。毎朝、上の子を学校に送り出し、下の子を連れて出勤。当時の姿は、抱っこバンドで娘をかかえ、布オムツと着替えの入った大きな袋と自分のバッグを持って、バスに乗り込んでいた。

朝の8時ころに乗るバスは、通勤客でほぼ満員状態。乗車時間は15分程度とはいえ、娘を含めて3つの荷物をぶら下げての乗車はけっこう大変だった。空いた席など無く、ゆずる人もなく、停留所に止まるたびに押し合いへし合いしながら、前へ前へと移動。

バスを降りたら職場の近くの保育園へ行って娘を預け、着替えの袋を置いて、職場へと駆け足で急ぐ毎日だった。仕事が終われば保育園へ直行して、娘と濡れたオムツでずっしり重くなった袋を受け取り、またバスに乗って帰った。

赤ん坊だった娘が1歳、2歳と大きくなるにつれて、当然体重が増えて重くなる。満員バスに乗るのに幼児の手を引いてというわけにもいかないので、大きな荷物をぶら下げ、娘を抱っこして、行きも帰りもヘトヘトになる日々が続いた。

とうとうある日、「もう、こんな生活は嫌だ!」「免許を取って、自動車で通勤する!」と叫んだ。気持ちが切れてしまった。そして仕事を終えたその足で送迎バスに乗り、自動車学校へ通った。その間、娘のお迎えは夫が引き受けてくれたが、夕食はどうしたのやら覚えていない。

あれから36年も経った。そんなことを思い出したのはことし運転免許証の更新年となって、先日、初めて見る「高齢者講習通知書」のハガキが届いたからである。免許証更新までの6カ月以内に受講しないといけない、と書いてある。それとは別に「チャレンジ講習制度」があり、合格すれば高齢者講習は免除されるという。手数料もこっちのほうが安い。

さっそく自動車学校に電話したが、2カ所は数カ月先まで空き無しだった。おまけに「チャレンジ講習はプロの運転手さんでないと合格しませんよ」と言われてびっくり。普通に乗っている程度ではだめらしい。3カ所目に電話した自動車学校に、なんとか高齢者講習の予約を取ることができた。

運転歴36年になったが、いまは都市部の集合住宅に住んでいるので交通の便もよく、車を運転する機会はほとんどない。免許証がなくても生活できる環境にいる。かつては九州自動車道を北から南まで飛ばして楽しかったが、いまでは鹿児島・博多間はもっぱら新幹線での往復になった。

近年、高齢のドライバーが引き起こす悲惨な交通事故が多い。長く車を運転してきた人ほど、運転に妙な自信を持っていて、人の警告に耳を貸さない傾向があると聞いた。転ばぬ先の杖というから、わたしの運転免許の更新は今回が最後になりそうな気がしている。

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平成最後の満月と桜島

2019/04/19 21:59
きょうは平成最後の満月ということで、お天気も良かったので、桜島に寄り添うように輝く満月を撮りました。
ただし桜島周辺には薄雲が広がっていたために、ぼんやりとした満月です。

写真を撮ってから1時間後くらいには満月は桜島から完全に離れ、雲もない中空にくっきりと浮かんでいました。
別に何の変りもない月ですが、平成最後ということで記念に撮りました。

3枚の写真を撮ったのは15分くらいの間でしたが、時間の経過とともに夜のとばりがおりてきました。

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      4月19日 午後7時5分ころ

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    4月19日 午後7時10分ころ


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        4月19日 午後7時20分ころ

 
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再就職から8カ月

2019/04/10 00:32
昨年春に、ひょんなことから仕事の話が舞い込み、8月7日から18年ぶりに会社勤めを始めた話はこのブログでも書いた。勤めといっても正社員ではなく、午後1時から5時までのパート勤務なので、60代も終わろうとしている身にはちょうどいい長さ。

仕事の内容も庶務と経理を一緒にしたような事務職なので、ハードではない。しかも事務所には70代半ばの営業マンもいる。彼も退職後の再就職とのことで、日勤ではあるものの嘱託的な立場らしい。

久しぶりに会った友達に、「就職したよ。午後だけのパートだけど」と言うと、「その年で雇ってもらえるなんて、ラッキーね」という反応がいちばん多かった。働きたいと思っても、そうそう仕事の話など無いのだと。

わたしの場合、20代初めから40代の終りまで約30年間の勤めを辞めて、50歳で福岡から鹿児島市に移住した。ところが1年間ハローワークに通ったものの前職同様の仕事が無かったので就職を諦め、専業主婦になった。

とはいえ長年勤めていたので、急に仕事をやめると病気になるかもと心配になり、1年近く初心者向けのパソコンのインストラクターなどをしていた。それも期限つきだったので終わり、それ以来無職状態が続いていた。

世の中にはいろんな仕事があり、いろんな働き方があるけれど、毎日決まった時間に決まった仕事をする、いわゆるお勤めをする人と、時間や人間関係に縛られずに働く自営業的な仕事をする人がいる。わたしはどうやら、勤め人向きらしい。

勤め人の多くは、仕事をすることでストレスを抱えてしまうという話をよく聞く。そのストレス解消のために、お酒を飲んで憂さを晴らすとか。そんな話を聞いていつも不思議に思っていた。なぜならわたしの場合は、仕事をすることが自体が、ストレス発散になっていたからである。

主婦をしているとき、たまに「奥様」と呼ばれることがあって内心嫌だった。自分では思ってもいないことを言われると、戸惑いのほうが強い。また無職無収入という状態は精神衛生上よくないので、パソコンを使ってできる内職をずっとやっていた。

特にこの5、6年は一人暮らしの義母の介護問題が出てきて、洗濯やクスリの管理、買い物、通院などに手がかかるようになった。あと20年もすれば、わたしもこんなふうに人の世話になるのかと学びにはなるものの、介護のために自由な活動を制限される生活が負担になってもいた。

しかし就職したことで、義母の世話は平日の午前中と日曜日に済ませ、午後は気持ちを仕事モードに切り替えて出勤。若いころも仕事をすることで救われてきたが、いまもまた介護の現実を忘れて、半日なりとも自分らしく過ごす時間が持てて、ストレス解消にもなって本当に良かった。

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きょうの桜島と甲突川河畔

2019/04/07 18:10
西日本の中でも一番遅く開花したのは、鹿児島市内の甲突川河畔の桜並木かもしれません。1週間前の土日は、まだ2分咲きぐらいでした。その後、寒の戻りで気温は上がらず、冷たい風が吹く毎日でしたので、なかなか開花が進みませんでした。

きのう・きょうと晴天に恵まれ、気温も上がったので、甲突川河畔の桜も、やっと7〜8分咲きとなりました。川下のほうの桜は、まだ5、6分咲きのようです。鹿児島県内でも、おそらく一番遅くに、この数日間のうちに満開を迎えるのではないでしょうか。
  ※画像をクリックすると拡大します

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   高見橋から川下側の風景(午前11時50分ころ)

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   8分ほど開花した桜と、木漏れ日の遊歩道(午前11時50分頃)

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   川下側の桜は、まだ5分咲きくらい(午後0時10分ころ)

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   対岸から桜並木を見る(午後0時10分ころ)


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   お花見のにぎわい(午後5時45分ころ)

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   夕日を浴びる桜島(午後5時45分ころ)

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