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みんなの「文学・読書」ブログ


「樋口一葉生誕145年記念特別展」開催中

2017/11/13 11:53
明治の作家で、5千円札の顔にもなっている樋口一葉は、明治5年(1872年)に現在の東京都千代田区内幸町で生まれました。ことしは一葉の生誕145年にあたることから、東京都台東区立「一葉記念館」では、特別展 【樋口一葉と博文館 〜「奇蹟の14カ月」をプロデュース〜」】 を開催中です。

会期は来年(平成30年)の1月28日までとたっぷりあります。その間に、わたしも上京の予定がありますので、ぜひ行きたいと思います。お近くの方はぜひ、足を運ばれてはいかがでしょうか。下記はその案内チラシの表と裏面です。入館料は大人300円、小中高生100です。(20名以上の団体割引あり)
 ※「一葉祭」開催期間中の11月23日(木・祝)から25日(土)は入館無料。

  ※画像をクリックすると拡大します。

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展覧会関連行事も無料の朗読会(12月10日)、有料の文学講座(来年2月の10日と24日の2回)が企画されています。どちらも人数制限がありますので、各申込み締切日までに往復はがきでの申し込みが必要です。詳しくはチラシの裏面に書いてあります。または一葉記念館にお問い合わせください。

  台東区立 一葉記念館
   〒110−0012
   東京都台東区竜泉3−18−4
   電話:03−3873−0004 Fax:03−3873−5942

  ※毎週月曜日と年末年始は休館日ですので、ご確認の上お出かけください。

一葉記念館のウェブサイトでも、詳しい情報がご覧になれます。
   http://www.taitocity.net/zaidan/ichiyo/oshirase/news/1819/

  
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手帳の言葉

2017/09/28 00:01
いかにIT技術が発達し、パソコンやタブレットやスマートフォンを使いこなしている人でも、手書きの手帳を愛用したり、ちょっとしたことをメモ帳などに書き留めている人は、案外多いのではないでしょうか。そういうわたしも、パソコンやスマホを使う一方で、日常的に手帳やメモ帳が手放せません。

それはテレビはもちろん、パソコンも携帯電話もなかった戦後まもなくの時代に生まれたアナログ世代だからでしょうか。手帳には、その時々に読んだ本の中から気になる言葉などがあると、後ろの余白欄にすぐさま書きつけます。気に入った言葉は新しい手帳にまた書き写して、何年も繰り越すものもあります。そうやって何から引用したのか出典が分からないまま書き写していたのが、下記のような言葉でした。

  そもそも個性とは、集団の中で鷹のように目立ってしまう強い性格
  のことではなくて、ひとりひとりを、それぞれ少しずつ他とは違えて
  いる何かのことである。だから正しく言って、ひとりひとりは生きて
  あるだけで充分に個性的なのである。すべての生命は、等しく尊い。

  男と女の世界も例外ではないだろう。言うまでもないことだが、男と
 と女は同等の価値を持ち、君と彼女はそれぞれが相手と少しずつ
  違 う何かを持っている。それゆえ君が自分の生き方を語るならば、
  彼 女の生き方に耳を傾けることがフェアだ。

 男女関係において大人になるというのは、物理的な距離の近さでお
 互いに影響しあう抜き差しならない関係を、自覚的、意識的に受け
 入れていくことと言っていいが、そこではどちらももとのままではあ
 りえない。

 二つの個性はついに二つの個性の重みをそのままに火花を散らす
  のだ。男女関係のロマンも絶望もそこにある。

 そこにあるのは優劣の問題ではないし、ましてひとりの人間の重み
 は抱き上げてわかる種類のものではない。人間が性をめぐって傷付
  きやすいのは、ここにもっとも人間的なものが集中してあらわれて
  いるからだろう。


以上がかなり以前から、手帳に繰り返し書き写してきた言葉の1つです。誰の何の本から引用したのか、長い間不明のままでしたが、最近やっとその出所が分かりました。筑摩書房刊『高校生のための文章読本』です。本というより参考書に近いかもしれません。

文章の書き方について指導者がいるわけではなく、自分で勉強するための参考書のつもりで買った本でした。買ったのは1989年で、当時のわたしは高校生どころか2児の母親でしたが、非常に分かりやすい内容なので長く愛読していたのです。

それをまた手元に置いて折に触れて読み返していくうちに、なんと先に引用した文章に出くわしたのです。この本は有名な作家の文章を取り上げて、それをいろんな角度から解説したもので、引用部分は「男と女」をテーマにした9章の最後の解説文の一部でした。筆者名はありませんから、編者4人のうちのどなたかでしょう。文章について学ぶ楽しさを教えてくれた本です。

  ※引用文献 「高校生のための 文章読本」筑摩書房
         1986年3月25日 初版 680円

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憤怒について

2017/09/13 22:33
喜怒哀楽の感情を持つのが人間だ。喜び、怒り、哀しみ、楽しみながら日々過ごしている。とりわけ2番目の「怒」の感情に火が付くと、爆発して手が付けられなくなる人がいる。怒りは他の感情とはちがい、後味の悪さが付きまとうものだ。それは相手を傷つけ、自分も傷つくからであろう。

最近、高齢者が突然怒り出して周囲に迷惑をかけたというニュースをよく耳にする。こらえ性が無くなり、ちょっと待たされたり、相手の態度が気に食わないなどと難癖つけては、異常なほど怒ったりわめいたりして感情の歯止めがきかなくなるのだ。

この怒り、言い換えれば憤怒の感情について、わたしの愛読書であるトルストイの『文読む月日』の中の文章を紹介したい。この書は1日に1章ずつ、トルストイが膨大な読書の中から古今東西の聖賢たちの名言を集め、1年365日分、心の糧となるように編んだものだ。

その本の1月23日の項は、「怒り」「憤怒」について書かれている。引用文の場合は文末にそれを言った(書いた)人の名前が記され、名前のないものはトルストイ自身の言葉だ。以下はトルストイの言葉からの引用。

 (二)ローマの賢人セネカは(中略)怒る癖をなくする
    ためには、人がぶんぶん怒っている恰好を見るの
    もいい、と言う。人が怒っているときの恰好、つ
    まりまるで酔っ払い同然に赤い顔、憎悪に満ちた
    醜い顔をして不愉快なきいきい声を出し、口汚い
    言葉を吐く恰好を見て、自分はあんな醜態は演じ
    たくはないと思え、と言うのである。

 (四)憤怒がどんなに他人にとって有害であろうと、そ
    れにもまして憤怒する当人にとって有害である。
    憤怒は必ずそれを呼び起こした相手の行為以上に
    有害なのだ。

 (八)われわれが腹を立てるのは、なんでそんな腹の立
    つことが起きたかの原因がわからないからである。
    なぜならもしその原因がわかれば、われわれは結
    果ではなくてその原因に腹を立てるであろうから
    である。しかしながらあらゆる現象の外的原因は
    非常に遠くにあって、これを発見することはでき
    ないが、その内的原因は――いつもわれわれ自身
    なのだ。どうしてわれわれは人を責めるのが好き
    で、こんなに意地悪く、こんなに理不尽に責める
    のだろう? 人を責めることで自分の責任を免れ
    ようと思うからである。われわれは自分に困るよ
    うなことがあると、これは自分が悪いからでなく
    て、人が悪いからと考えたがるのである。

 (十)人々が互いに憎々しげに口論していると、子供は
    どちらが正しくてどちらが悪いかわからないまま、
    心で双方を非難しながら憂わしげに二人のもとか
    ら走り去る。そしていつも二人のどちらよりも、
    その子供のほうが正しいのである。


トルストイの『文読む月日』には傾聴に値するいろいろな考え方や思想が詰め込まれており、折に触れてその日の項を開いたり、無作為にパッと開いたページを読んで、心の栄養にしたり思索の道しるべにしている。

とはいえ、怒りの感情を抑え過ぎたり溜め込んでしまえば、逆に身体のほうに悪影響が生じる。また明らかな差別や人権無視などの行為に対しては、怒りをもって抗議したり理路整然と反論することは必要だと思う。理不尽なことに対しては、怒りの感情は押さえたり泣き寝入りせずに外に出していいものだと思っている。

怒りの感情というのは、なかなかコントロールが難しいが、この扱いにくい感情に振り回されないよう、日々おだやかに暮らしたいと願っている。そのためには新聞やテレビのニュースなど見過ぎないようにして、心安らかな気持ちで日々を送るのが理想だけれど……。

 参考図書:トルストイ『文読む月日』(全三冊)
      北御門二郎訳 ちくま文庫 本体各1500円+税

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人生のスパイス

2017/06/08 15:14
先月も蛍に関する俳句やエッセイを取り上げて書きましたが、なぜかまだ蛍のことが書き足りなくて、今回も蛍に関する俳句を鑑賞したいと思います。というのも、わたしはずっと以前から、短歌よりも俳句のほうに惹かれてきました。あの17文字という短さの中に、無限大の宇宙というか表現を取り込むことのできる俳句の世界に、憧れるのです。

最近知人に誘われて、とある先生の俳句の教室を見学に行き、俳句の歴史や現代俳句というものについてレクチャーを受けて、とても勉強になりました。俳句には大きく分けて、季語を入れる有季俳句と、季語を入れない無季俳句があり、最近は自由律俳句もあると知ったのは収穫でした。

それはさておき、ここに紹介するのは「蛍」が登場する俳句です。わたしの手元にある句集の中から選びました。作者名のあとに、その人の生年と没年を示しますので、作句のだいたいの時代が分かると思います。

・手のうえにかなしく消ゆる蛍かな
        向井去来(1651〜1704)

・梧(きり)の葉に光広げる蛍かな
        服部土芳(どほう)(1657〜1730)

・直(すぐ)に来た池の蛍や縁の露  
        内藤丈草(じょうそう)(1662〜1704)

・うつす手に光る蛍や指のまた
        炭(たん)太祗(たいぎ)(1709〜1771) 

・さびしさや一尺消えてゆくほたる
        立花北枝(ほくし)(?〜1718)

・子は寝入り蛍は草に放ちけり
        正岡子規(1867〜1902)

・蛍這(は)へる葉裏に水の迅さかな
        長谷川零余子(れいよし)(1886〜1928)

・親一人子一人蛍光けり
        久保田万太郎(1889〜1963)

・光洩るその手の蛍貰ひけり
        中村汀女(1900〜1988)

・銀行員等朝より蛍光す烏賊(いか)のごとく
        金子兜太(とうた)(1919〜 )

これらの句は江戸時代初期から現代まで、300年以上の時間の幅があります。時代は江戸から明治、大正、昭和、平成と移り変わっていますが、蛍はむかしのままでしょうし、蛍に対する日本人の感受性も、ここにあげた俳句をみ
る限り、そんなに変化はないように思います。

この300年以上にわたる時代の流れで、わたしたちを取り巻く生活様式や文物やインフラ等は、雲泥の差といえるほど発達し、変化しました。しかしそんな中で変わらぬものがあるとしたら、四季の変化を楽しみ、愛で、自然との関わりを大切にする日本人の感受性が、いまも保たれていることではないでしょうか。

俳句から季語をなくした無季俳句が進むと、川柳と同じといわれ、さらに五七五にとらわれない自由律俳句でいいじゃないか、という人も出てくるそうです。日本古来の詩歌の伝統を受け継いで成立した俳句ですが、素人でも簡単に作れることから、≪大家と素人の区別もつかぬ第二芸術に過ぎない≫(桑原武夫)という、否定的な意見もあります。

しかし日本語の持つ五・七・五のリズミカルな泊を活かして作る俳句や川柳は、誰でも作れるところがミソだと思います。某保険会社が毎年行う「サラリーマン川柳」は第30回を迎えるそうですが、芸術性云々よりも、気軽に作って楽しんで人を笑わすことができる点で、支持を得ているのだと思います。五七五は人生を楽しむ、素敵なスパイスになり得るのではないでしょうか。

  ※引用文献 『名俳句 1000』佐川和夫篇
         彩図社 平成14年2月1日発行

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2017/05/11 13:56
もうすぐ蛍の舞う季節になります。蛍の季語は「夏」で、俳句の世界では「蛍」に関するたくさんの名句があります。俳句の先人として有名なのは松尾芭蕉や高浜虚子ですが、近年では季語や五・七・五にとらわれない自由律俳句で登場した種田山頭火や尾崎放哉(ほうさい)などが知られています。

俳句について詳しくはありませんが、自分で作るとすれば短歌と俳句のどちら、と問われれば、わたしは俳句を選びます。川柳も好きです。あのビシッと凝縮された潔さ、十七文字という短さに惹かれるのです。

妙なたとえかもしれませんが、ゆったりした趣のある短歌は囲碁に、激しさの際立つ点では俳句は将棋のようだと考えたりします。これはもちろん私個人の印象にすぎません。また俳句は長い間、男性が作っていましたが、近年では杉田久女、三橋鷹女、橋本多佳子など女性たちも登場しました。

先に上げた女性たちの句には、激しい情念の表出したものが少なくありません。本題の「蛍」にちなんだ句では、橋本多佳子の作がその代表かもしれません。

 蛍籠(ほたるかご)昏(くら)ければ揺り炎(も)えたたす

 【出典:第3句集「紅絲」(1951年)】

これなど女の情念が感じられる句と言われています。蛍を入れた蛍籠なのに、だんだん光が失せて暗くなっている。もっと光れ、明るさが欲しいのだと籠ごと激しく揺り動かす作者の姿が見えるようです。その行為の中に、何かに苛立ち鬱屈しているかのような、激しい心情が伝わってきます。

次は男性ですが、前田普羅(ふら)の句も、また不気味な激しさを秘めています。

 人殺ろす吾かも知らず飛ぶ螢 

 【出典:「定本普羅句集」(1972年)】
 
これなどさらに、殺すか・殺されるか分からないという、激しい男の情念ともいうべき心の暗部が見て取れる句でしょう。蛍は光を放って舞う、はかない存在ですが、それは暗闇を背景にしているから際立つ光なのです。この句は作者29歳の1913年頃の作と言われ、日本が軍国主義の道をまっしぐらに進んでいた時期でもあります。

寺山修司は短歌・戯曲・俳句・詩など多彩な分野で活躍した、名実ともにマルチタレントと呼ぶべき才能豊かな人でした。彼の俳句を好きな方も多いのではないでしょうか。彼の随筆に「蛍火抄」という短文があります。最後にそれを紹介します。

彼には、少年時代のある夏の日につかまえた一匹の蛍について、忘れることのできない思い出がありました。学校の裏の草むらの中でつかまえたその蛍を、母に見せたくて急いで帰り、2階の母の寝室まであがっていきます。するとそこから男と女のうめき声が縄のようにねじれ合う、情事の声がしたのです。

「またきているのだな」と修司少年は思います。父に早く死なれた母子の暮しの中に、週末ごとに訪ねてくる中年の「おじさん」がいたのです。母に見せるのを諦め、少年は自分の部屋の机の引き出しに蛍を閉じ込めます。真暗な引き出しの中で光る蛍を想像して、少年は悲しい空想にふけります。

この随筆の最後の部分は、こうです。

 その夜、火事があって私の家は全焼した。
 だから、私は今でも、
 「あの火事は机の引出に閉じこめておいた蛍の火が原因なのだ」
 と思っているのである。


 
  ※引用は 『日本の名随筆 73「火」』古井由吉編
        1988年11月25日発行 作品社刊


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宮沢賢治の話を聴いた夕べ

2016/12/14 01:07
先日鹿児島市で開かれた<第4回文学の夕べ>という催しで、「宮沢賢治のこと」題する講演会がありました。講師は岩手県花巻市から遠路来鹿された宮沢和樹さんです。和樹さんの祖父は宮沢賢治の8歳下の弟・清六。つまり和樹さんは清六さんの孫にあたります。

宮沢賢治は5人きょうだいの長男で、2歳下の妹トシは賢治の詩「永訣の朝」に詠われている最愛の妹でしたが、享年24歳で病死します。長男の賢治も独身のまま37歳で、ともに結核で亡くなりました。あとの3人は長生きして、特に清六さんは長寿で、2001年に97歳で亡くなっています。

宮沢賢治は楽しい人だった、面白かったと、色んな話を和樹さんは清六さんから聞いて育ちます。また和樹さんが宮沢賢治の親類だと知った人のうち、いままで3人から「あのマキを背負った方ですね」と二宮金次郎を指して言われたとか。どちらも名前に「宮」の字があるので、間違われたんでしょうねと。

賢治は多才な人で幅広い分野で活躍していますが、文学作品は大きく詩と童話の2つに分けられると和樹さん。詩は「自分というものを表現する方法」、童話は「根っこに法華経」があると。実家は浄土真宗だそうですが、賢治は法華経を伝えるための方法として童話を書いた、という解説でした。

賢治の代表作とされる「雨ニモマケズ」は、あれは作品としては書いてない。病床にあった賢治が自分を励まし、祈りとして自分のために手帳に書きつけたものだと。だから題もなかったが、賢治の死後、清六さんが「雨ニモマケズ」の題で詩として世に出したものだとか。教育現場で無理に暗記させる教え方が多いが、それはしてほしくないということでした。

賢治の生前に刊行されたのは詩集『春と修羅』と短編集『注文の多い料理店』の2冊で、どちらも1924年の出版です。『春と修羅』は福島県いわき出身の詩人・草野心平を通して彫刻家で詩人の高村光太郎に紹介されたところ、光太郎は「この詩集は自分の詩より後世に残るだろう」と高く評価し、その後も賢治と交流があったそうです。

戦争末期の昭和20年4月の空襲で、東京にあった光太郎のアトリエは全焼し、多くの彫刻やデッサンは焼失。それを知った清六さんの勧めで、光太郎は花巻の清六さん宅に疎開します。そのとき光太郎は自分が空襲に遭った経験から、防空壕を造りなさいと勧め、その通りにして大事なものは防空壕に入れていたそうです。

はたして終戦間際の昭和20年8月10日、花巻もついに空襲に遭い、宮沢家も焼け落ちて、疎開中の幸太郎を含め清六さん一家はかろうじて助かったそうです。しかし防空壕に入れていた賢治の原稿は焼け残り、これがのちに出版されることになる数々の作品だったということです。

和樹さんによれば、宮沢賢治が今日のように知られるようになったのは、高村光太郎、草野心平、宮沢静六の3人がいたからこそだと。賢治の死後、光太郎や草野心平の尽力によって、詩や童話が出版されたこと。清六さんは兄を世に出すことに集中し、いわばプロデューサーとして兄よりも前に出ることはなかったそうです。

この話を聴いて、わたしは樋口一葉と妹・邦子の関係に似ていると思いました。一葉も肺結核のため24歳で亡くなりましたが、邦子は一葉が生活の為に命を削って創作に励んでいる姿を見ていて、一葉の書いたものは書きそこないの反古(ほご)紙まで、一枚たりとも粗末にせず、姉・一葉の作品・業績を生涯かけて守ったからです。

余談ですが、一葉と母妹が住んだことにある本郷菊坂町の住居跡のすぐ近くに、28年ぐらいあとですが、一時期宮沢賢治が住んでいました。そのことを示す文京区の案内板があります。

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  正面の建物あたりに賢治の旧居があった

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写真でつづる 私の一葉文学散歩(復刻版)

2015/11/02 14:17
◆2000年に文芸サイトのホームページ「杉山武子の文学夢街道」を立ち上げましたが、中心テーマにしたのが明治の女性作家・樋口一葉でした。

前年の1999年に一葉の評伝を自家版として出版したこともあり、現地取材の際に撮っておいた写真をもとに、「写真でつづる 私の一葉文学散歩」のタイトルで、コンテンツの1つとしてアップしました。写真は全て、筆者が撮影したものです。撮影日の記載のないものは1980〜90年代に撮影。その他は撮影年月を記しています。

ホームページは、HTMLを使って自分で作りましたが、その後16年がたち、何度かパソコンを買い換えたり、HTMLのスタイル指定の不備もあり、画面が見づらくなっていました。

そこで、内容はそのままに、この場に新しくアップし直すことにしました。

というのも、以前撮影した同じ場所へ行ってみると、建物や周辺の様子がずいぶん変わっています。そのため、20年以上前に撮った写真をそのまま掲載することに、逆に記録としての意味を感じるようになりました。

このページを参考に、それぞれの一葉文学散歩をされれば、また新しい発見があるかもしれません。

         ******************

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明治5年に東京で生まれた樋口一葉は20世紀を目前にした明治29(1896)年、24歳の若さで亡くなりました。20代のころ、いつか樋口一葉の評伝を書こうと決心した私は東京へ行く機会をとらえては、一葉ゆかりの土地を探し歩き、自分の目と足で一葉の場所を確認してきました。その時々に撮った写真を織り交ぜながら、一葉の生きた場所を散歩してみましょう。

撮影日の記入のない写真は、1980〜90年代にかけて撮ったものです。


浄土宗 法真寺
(地下鉄丸ノ内線本郷三丁目下車、東京大学赤門向かい側)

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   法真寺入り口(2014.10.8 撮影)

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   対面にある東大赤門(同上)

一葉は四歳から九歳まで、法真寺と隣り合わせの大きな家に住み、 桜の木のあるこの境内で遊び、幸福な少女時代を送った。
写真中央の軒下には「ゆく雲」の中で<腰衣の観音さま、濡れ仏にて おはします御肩のあたり膝のあたり、はらはらと花散りこぼれて・・・>と うたった「腰衣観音」が見える。
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     ※現在本堂は改修され、腰衣観音様は屋根付きのお堂に安置されている。 
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    (2014年10月8日撮影)
    
安藤坂―右側ビルのあたりに「萩の舎」があった。
(地下鉄三田線春日駅近く)

一葉は通算して5年半、小学高等科第4級卒業の11歳で学校をやめさせられた。女子に学問は 不要と主張する母親と、勉強好きの娘を進学させたい父親が争そったという。 一葉は「死ぬばかり悲しかりしかど、学校は止めになりにけり」と のちの日記に記している。
14歳のとき、和歌を学ばせようとの父親の計らいで、 向学心の強い一葉は小石川の中島歌子の歌塾「萩の舎」へ入門した。
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路地奥の本郷菊坂町旧居跡と手前は使ったと思われる井戸
(本郷から白山通り方面へ抜ける菊坂通りのもう一段低い道の路地を入る)

一葉は「萩の舎」で上流階級の女性達に交じり、持ち前の負けん気で めきめき和歌の実力をつけたが、長兄泉太郎に続き負債を残して父親も病没。17歳で女戸主となった一葉は、 あとに残った57歳の母と15歳の妹を養う立場に立たされた。
母娘3人は、明治23年9月、本郷菊坂町の借家に移り住んだ。樋口家の没落の始まりだった。一葉はここから小石川の 「萩の舎」へ稽古に通った。
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   この路地の奥に井戸がある(2014.10.8 撮影)

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  近隣に配慮されて、案内板は撤去されていた(同上)

伊勢屋質店 
(本郷五丁目に現存。昔の面影のまま建つ)

姉妹で洗い張りと仕立物で生計を立てたが貧困はつのるばかり。 「萩の舎」の姉弟子田辺龍子が小説を書いて高額の原稿料を得 たことに刺激を受けた一葉は、朝日新聞の小説記者半井桃水に 頼み込んで弟子入りする。
桃水は大衆受けのする小説の指導をし、一葉は必死で書いたが すぐにお金になるはずもなく、一葉親子は着物や帯を持って、幾 度となく近所の伊勢屋質店へ走って急場をしのいだ。
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    〈2014.10.8撮影〉

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      (同上)

旧伊勢屋質店は所有者個人での維持管理が困難となり、売却される危機にあったが、2015年に跡見学園女子大学の所有となり、保存・活用されている。

      ※週末に建物内部を一般公開(ただし休館日に注意)
       【問い合わせ先】
         跡見学園女子大学 文京キャンパス事務室:03-3941-7420 又は
         文京区:文化資源担当室(文京ふるさと歴史館):03-3818-7221


傳通院
(文京区小石川三丁目、淑徳学園高校に隣接)

長兄、父と相次いで働き手を失った一家は、一葉の小説が売れ ることに期待をかけるがうまくいかない。一葉は一時期「萩の舎」に 住み込みで師の手伝いなどもした。
師の中島歌子は一葉一家の窮状を見かねて、傳通院にあった 学校の教師の口を世話すると約束するが、実現しなかった。一葉 の小学校4級卒業までの学歴では無理な相談だったのだろう。
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旧大音寺通り 道路奥右手に荒物屋を開店
(地下鉄日比谷線三ノ輪下車徒歩約7分)

萩の舎での醜聞が原因で半井桃水と絶交し、小説も売れない一葉は食い 詰めて商売を思い立ち、新吉原に隣接する竜泉寺町に転居する。
遊郭への道沿いの長屋に雑貨屋を開き、一葉は買い出し、妹が店番を担当した。早朝の買い出しが終わると、 一葉は上野にあった東京図書館へ通って、 小説を書くための勉強を始め、読書に励んだ。
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    旧大音寺通り(2016.11.4撮影)右端があらき薬局

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    あらき薬局外壁にある案内板(同上)

樋口一葉旧居跡碑 下谷竜泉寺町(現 竜泉寺3-15-2)
(地下鉄日比谷線三ノ輪下車徒歩約6分)

転居第1夜の日記に一葉は「此家は下谷よりよし原がよひの只一筋道にて、 ゆうがたよりとどろく車の音、飛ちがふ燈火の光り、たとへんに詞なし。行く車 は午前一時までも絶えず、かへる車は三時よりひ ゞ きはじめぬ」と以前住んで いた本郷の静かな夜との違いに驚き、不安を抱いて書き記している。
一葉はこの町で貧民に交じって暮らし、日記の表題を「塵の中」として 萩の舎の上流階級の知人達を避けている。しかし遊郭に寄生する貧民街での 生活体験が一葉に新たな目を開かせ、大きな人間的成長となり、後の小説に結実する。
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   同上の場所にて(2016.11.4撮影)

一葉記念館前に建つ「樋口一葉記念碑」
(地下鉄日比谷線三ノ輪下車徒歩約5分)

<碑文>
 ここは明治文壇の天才樋口一葉旧居のあとなり。一葉この地に住みて 「たけくらべ」を書く。明治時代の竜泉寺町の面影永く偲ぶべし。今町民一葉を 慕ひて碑を建つ。一葉の霊欣びて必ずや来り留まらん。
 菊池寛右の如く文を撰してここに碑を建てたるは、昭和十一年七月のことなり き。その後軍人国を誤りて太平洋戦争を起し、我国土を空襲の惨に晒す。昭和 二十年三月この辺一帯焼野ケ原となり、碑も共に溶く。
 有志一葉のために悲しみ再び碑を建つ。愛せらるる事かくの如き、作家として の面目これに過ぎたるはなからむ。唯悲しいかな、菊池寛今は亡く、文章を次ぐ に由なし。
僕代って蕪辞を列ね、その後の事を記す。嗚呼。
       昭和二十四年三月
            菊  池   寛撰
            小島政二郎補並書
                 森田春鶴刻
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   記念館向かいの公園に移設された記念碑(2016.11.4撮影)

なつかしの旧一葉記念館(現在は新館に建替え)
(地下鉄日比谷線三ノ輪下車徒歩約5分)

・建設の趣旨【記念館発行の資料目録『樋口一葉』より引用】
 明治文壇の天才一葉樋口なつは、この地に住み名作「たけくらべ」を書いた。 台東区はここに一葉の文学を顕彰し、その業績を永久に保存するため、一葉 記念館を建設したのである。  昭和三十六年五月  台東区長
 
※毎年一葉忌にあたる11月23日に館内は無料公開され、一葉祭として 記念行事が行われている。
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   2006年に建替えられた新館(2016.11.4撮影)

一葉記念公園 (「たけくらべ」ゆかりの地)
一葉記念館前にある。右手奥に「一葉女史たけくらべ記念碑」が見える。
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  以前と同じ場所にある一葉の碑(2016.11.4 撮影)

◆千束稲荷神社(「たけくらべ」の子供達が遊んだ神社)
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一葉終焉の地に建つ碑 ( ビル建築により裏手より表通りへ移された)
(地下鉄三田線春日駅近く)

一葉一家は荒物屋を開店して10ヶ月足らずで店をたたみ、本郷区の丸山 福山町へ転居する。この地は新開地にありがちな銘酒屋が建ち並ぶ一角で、一葉は 遊女たちと知り合い、明治の風俗の一端に直接触れることになる。その見聞の中から一葉は 真に自分の書くべきものを掴み取っていった。

一方、一葉は頻繁に訪れる『文学界』の若い青年たちとの交流を通して、 外国文学や新しい文学の潮流に目を開かれ、強い刺激を受ける。やがて『文学界』 に「やみ夜」「おおつごもり」「たけくらべ」「にごりえ」「わかれ道」と矢継ぎ早に小説を 発表。どれも激賞されるが、一葉は冷ややかに成り行きを見守る。

名声が高まる中、一葉の身体を肺結核がむしばみ、明治29年11月23日、一葉は ついに24歳の生涯を貧困のうちに閉じた。
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樋口一葉ゆかりの質店、解体の危機について【続報】

2015/01/22 17:06
昨年末、樋口一葉一家が困窮を極めた生活の中で、たびたび着物や帯を持って行った旧「伊勢屋質店」のことを書きました。東京都文京区に現存し、いまは営業していませんが、解体の危機が迫っているということで、何かできないものかと気をもんでいます。その後、いろんな方が続報を寄せてくださるようになりました。ありがとうございます。

旧伊勢屋質店の建物現況を再度掲載しますので、ご覧ください。(2014年10月8日筆者撮影)
菊坂町の坂道に建つ「旧伊勢屋質店」。左側の白壁は蔵です。

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きょうは2名の方から、本日の読売新聞に、区が「一葉募金」を始めるというニュースが掲載されたことを知らせていただきました。その記事は下記のとおりです。

     *      *     *

   明治時代の女性作家、樋口一葉(1872〜96年)が通ったとされ、
   国の登録有形文化財にもなっている文京区本郷の「旧伊勢屋質店」
   の保存に向けて、 区は「一葉募金」を始めた。

   全国の一葉ファンらから寄付を募り、
   区内の大学が計画している土地と建物の買い取りを後押しする。

   区によると、旧伊勢屋質店の所有者が昨年、建物を解体し、
   更地にして売却する意向を区に示した。

   修繕費などがかさみ、「個人で維持するのは限界」という理由だった。
   地元の有志らが「一葉が通った伊勢屋質店を残す会」を発足。
   区議会も昨年12月、全会派の幹事長名で区に保存を求める要望書
   を提出した。

   区や残す会は、土地と建物の買い取りに名乗りを上げた区内の大学に
   期待を寄せる。大学は、建物を残して授業に使ったり、休日は一般開放
   したりする方針だ。

   だが、所有者が希望する売却金額と折り合わず、交渉はまとまっていない。
   この差額を穴埋めするため、区は新年度、寄付金をもとに基金を設ける
   ことにした。

   旧伊勢屋質店は江戸時代末期の1860年創業。
    一葉の日記にも衣類を質に出したとの記述がある。

   寄付の手続きはまず、所定の申込書に必要事項を記入し、区アカデミー
   推進課に郵送かファクスする。
   区から納付書が届いた後、金融機関で納付する。

   申込書は区のホームページからダウンロードできる。
   問い合わせは同課(03・5803・1307)へ。

   2015年1月21日付 読売新聞 Copyright © The Yomiuri Shimbun


     *     *     *

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『日本の感性が世界を変える』を読む

2015/01/21 00:44
2カ月に1回、福岡市での読書会に鹿児島から出掛けている。文学に関心のある仲間たちと始めた自由な集まりで、参加するのも辞めるのも自由。決まった会費も会則もなく、公的な施設の会議室を借りて午後1時から5時まで、その月の課題本について発表者がレジュメを用意して報告し、その後、参加者で討論し合うというシンプルな読書会だ。時には合宿しての勉強会もする。

かれこれ10年近く続いており、参加者は10人弱と少ないので発言の機会が多い半面、発表の当番が割と早く回ってくる。1月の読書会に使ったのは鈴木孝夫著『日本の感性が世界を変える〜言語生態学的文明論〜』(新潮選書)だった。88歳著者の書下ろしで、昨年9月に刊行されたばかり。論文とはいえ、話し言葉で書かれているので読みやすい。

第一章「全生態系の崩壊を早める成長拡大路線はもはや不可能」では、

 現在の世界はどこもかしこもが領土の争い、宗教の違い、そして
 イデオロギーの対立で溢れかえっています。アメリカを代表とす
 る西欧文明を標準として物事すべての正邪を決めて整理しようと
 する流れは、これまで人類の突き進んできた物質的繁栄を短期的
 には高めることに役立ったでしょうが、反面これまで地球社会の
 安定を支えてきた様々な面での多様性の一層の減少をもたらすこ
 とは間違いないのです。(p44)


だからこそ国際関係では不利と言われる、論理より感性を重視する日本人の「できる限り他者に善悪の二者選択を迫ることを避ける伝統的な生き方」を、資源に限りある地球上に生きる今後の人類の「生き方のモデルとして世界に提示すべき」であると、著者は提唱する。

第二章では、フランス語の「タタミゼ」という言葉が紹介されている。それは日本語と日本文化の持つ力についての現象を表す言葉で、<日本かぶれ><日本びいき>になるという意味だという。具体例で言えば、

  ・日本語を話すたびに、礼儀正しくなったと感じたアメリカ人
 ・「男性を立てる」ようなスタイルになってしまったアメリカ人女性
 ・日本語を使いつけると柔らかい人になる(母国に帰ったときに言われる)
 ・はっきり言わない。文脈・行間に意味を込める。


など、日本社会で身についた外国人の日本化の事例が挙げられている。

第三章「鎖国の江戸時代は今後人類が進むべき道を先取りしている」では、江戸時代は現代の人類社会が見習うべき、「持続可能な省エネのリサイクル社会」であり、戦後70年間平和を守ってきたその3.5倍もの長期間、鎖国のおかげで対外戦争で日本人は1人も死んでいない。その間、欧米では侵略戦争・略奪戦争を弱小民族に対して繰り返していた、と指摘する。

第五章「自虐的な自国史観からの脱却が必要」では、著者は日本が起こし
た大東亜戦争が、実は「アジア開放のためには絶対不可欠の必要悪だった」
として、日本の敗戦直後に全世界で起こった欧米植民地での独立ラッシュ
に言及して、日本の起こした戦争の「利点」を強調している。この章には
学校では学ばなかった歴史のことが書いてあり、参考になった。

この部分について読書会での発表者は、アジアの有色人種である日本の戦争が植民地の独立に大きな影響を及ぼしたのは確かだが、これをあまりに過大評価するのは「自虐史観」の裏返しではないかと、批判的な意見だった。読書会参加者からも第五章についてはいろいろな意見が出た。

面白いと思ったのは第六章「日本語があったから日本は欧米に追いつき成功した」、七章「日本語は世界で唯一のテレビ型言語だ」で、著者は日本が近代化に際し西欧社会の学問や技術をいち早く消化吸収できたのは漢字があったからで、しかも漢字の音訓二重読みが日本語の感性や言葉遊びの面白さ、日本文明の力の源泉になっていると強調しているが、同感できる。

アメリカに代表される人間中心主義的・一神教的世界観が、いまや凄惨な対立抗争を招きよせ、成長路線と地球環境保全は両立しえない、出口のない時代になっている。だからこそ2世紀半の江戸時代という実地体験を持つ日本の出番であり、日本語こそ世界共通語にふさわしい、と著者鈴木氏は述べている。日本語と日本文化について学ぶことの多い文明論だった。

 ※引用図書 鈴木孝夫著『日本の感性が世界を変える』新潮選書
        2014年9月25日 新潮社刊 定価1300円(税別)

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幸田文の作品に学ぶ

2014/10/29 00:36
幸田文(こうだ・あや)は明治の作家幸田露伴の二女として1904年に生まれまたしたが、少女時代に母と姉を亡くし、継母を迎えます。文は父露伴に家事や身辺の厳しいしつけを受けながら成長しますが、22歳のときに弟が夭折して一人っ子になります。平穏な少女時代ではなかったようです。

その後清酒問屋に嫁ぎますが十年後に離婚し、一人娘の玉をつれて実家に戻ります。露伴の死後、父の教えや行動を追憶する文章を発表するとたちまち注目され、エッセイストとして出発したのち、初めての小説『流れる』を書いたのは五十歳を過ぎてからでした。

発表する小説は次々と文学賞を受賞しますが、ジャーナリズムのおだてに乗ることなく、文壇の外側で着実に自分の足跡を刻んでいきます。特に私の愛読するのは、72歳から雑誌に連載を開始した樹木にまつわる旅と、全国の山の崩落地を訪ね歩いたエッセイです。その2つは文が1990年に86歳で亡くなった後に、『木』と『崩れ』のタイトルで出版されました。

『木』の中の「藤」の章には、幼いころ露伴が子どもたちに違う木をそれぞれ与えて育てさせ、草木に関心をもたせたことが書かれています。やがて母親となった文は、娘をつれて植木市に行くことになり、露伴は「孫娘の好む木でも花でも買ってやれ」とガマ口を文にわたします。

娘が欲しがったのは明日にも咲きそうな、蕾をたわわにつけた藤の鉢植えで、文の背丈ほどもあり、植木市では最上の花ものでした。幼い娘に高級品は不要と、文はあれこれの花や木に娘の気を散らして、小さい山椒の木をあてがうように買って帰ります。ところがそれを知った露伴は、かんかんに怒ります。

「植木市で一番の花を選んだのは、花を見る確かな目を持っていたからだ。金が足りなければガマ口ごと手付けに打てば済むものを、おまえは親のいいつけも、子のせっかくの選択も無にして、何と浅はかな。多少高くても、その藤を子の心の養いにしてやろうとなぜ思わないのか、その子一生の心のうるおいになればその子が財産をもったも同じことだ」というわけです。子育て中の私も似たような経験があったので、うなだれて読みました。

『木』には70歳過ぎて憑かれたように全国を訪ね歩いた文が、行く先々で出合った木の表情や、木に寄せるただならぬ思いが情感豊かに描かれています。木の魅力、不思議にとりつかれて、えぞ松の倒木更新を見に北海道の富良野へ、ひのきを見に何度も山へ通い、縄文杉に逢いに鹿児島県の屋久島へ行き、楓(かえで)の純林を見に安倍峠(静岡と山梨の県境)に踏み込みます。

その過程で静岡県の大谷崩や鹿児島県桜島の土石流を目にするうち、文はだんだん自然現象の崩壊や荒廃ということへ気持が傾いていきます。文は自分のうちに新しく芽生えたものに、無関心ではいられないのです。


 心の中にはもの種がびっしりと詰まっていると、私は思って
 いるのである。(中略)無意識のうちに祖父母の性格から受
 継ぐ種も、若い日に読んだ書物からもらった種も、あるいは
 また人間のだれでもの持つ、善悪喜怒の種もあり、一木一草、
 鳥けものからもらう種もあって、心の中には知る知らぬの種
 が一杯に満ちている、と私は思う。何の種がいつ芽になるか、
 どう育つかの筋道は知らないが、ものの種が芽に起きあがる
 時の力は、土を押し破るほど強い。(『崩れ』より)



幸田文の作品は日常生活を描いた作品が多かったのですが、70歳近くになってその世界を飛び出したのです。人の一生を木のありように重ね、崩れに老いを仮託して書かれた文章には、生活者として生きてきた人の文章らしく、抽象的な物言いも背伸びした理論もありません。自分の経験に根ざした確かなものだけ、知らないものは知らないと、自分の言葉で書かれた密度濃い日本語の文章に、教えられることがとても多いのです。

 ※引用は 幸田文著『崩れ』講談社文庫 1994年10月15日発行 より

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タイトル 日 時
一葉ゆかりの本郷めぐり
一葉ゆかりの本郷めぐり ◆先週用あって、2泊3日の日程で上京した。それより少し前に樋口一葉の大ファンの方から、突然メールが届いた。内容は、東大赤門の真向いにある法真寺が大改修されており、軒下に安置してあった「腰衣観音」さまが地面に降ろされています、という耳寄りな情報だった。 ...続きを見る

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2014/10/15 01:10
女性を恐れる今昔物語
◆九月も下旬となり、秋の夜長というにはまだ気が早いのですが、この季節になると、なぜか古典文学を読みたくなるのです。それで以前も取り上げたことのある『今昔物語』の中から、今回は滑稽な話を2つご紹介します。『今昔物語』は約千余話からなる説話集、いわば短編集で、成立は12世紀前半の平安末期といわれています。 ...続きを見る

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2014/09/24 02:05
好色女と薩摩の男色
◆井原西鶴はたくさんの浮世草子(いまでいう現代小説)を書いていますが、いまから約320年前に出版された『好色五人女』は、それまで西鶴が描いてきた遊女の世界とは違って、ふつうの女たちの命懸けの恋を描いた五話からなる物語。しかも実際にあった心中事件が素材になっています。 ...続きを見る

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2014/09/03 00:11
岩橋邦枝さん逝く
◆6月11日、作家の岩橋邦枝さんが亡くなった。岩橋さんは1934年(昭和9)広島生まれ。10歳のとき、広島に原爆投下される直前に父の実家のある佐賀県佐賀市に疎開し、高校卒業まで佐賀で過ごし、お茶の水女子大に進学。在学中に初めて書いた小説「つちくれ」が、『文藝』全国学生小説コンクールに当選します。 ...続きを見る

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2014/06/18 00:13
巨人さん逝く
◆巨人さん、とは作家・大西巨人(おおにしきょじん)さんのことで本名は巨人と書いて「のりと」と読みます。これは過去にも書いたことですが、名前の由来は母親のおなかの中に12カ月間もいて、たいそう大きな赤ん坊で生まれたため、巨人(のりと)と名付けられたのだと、これは本人から聞いた話です。 ...続きを見る

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2014/03/19 00:38
月白の道
◆福岡市で8年ほど続いている小さな読書会がある。今度の日曜日で41回目になるその会で、わたしは報告者になっているので、いまテーマに取り上げた本や参考図書を読んでレジュメの準備をしている。この読書会が始まったときにはもう鹿児島に転居していたが、それ以後、奇数月の例会日に古巣の福岡へと足を運んでいる。 ...続きを見る

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2014/03/05 02:27
一葉の危機
◆一葉というのは、五千円札の肖像にもなっているあの樋口一葉です。男ばかりの明治文壇に彗星のように現れ、すぐれた短編小説を矢継ぎ早に発表して、肺結核のためたった24歳で亡くなりました。文筆活動は実質4年ほどしかありませんが、最後の1年余りに発表した「にごりえ」「十三夜」「たけくらべ」などの作品が文壇で絶賛され、一躍注目されたのでした。 ...続きを見る

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2014/01/29 16:19
台所の音
◆昨年10月に越して来て現在住んでいるのは分譲マンションで、その一室が賃貸に出ていたのでオーナーさんから借りている。築33年と古いので、当然、共用玄関はオートロック式ではない。洗面台も浴槽も小さ目だし、新築当時は最新式だったと思われるステンレス製のシステムキッチンも、全体が若干低め。昔の女性の背丈に合わせて作られたようだ。 ...続きを見る

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2014/01/22 02:50
コンサートのお知らせ2つ
コンサートのお知らせ2つ いよいよ芸術・文化の秋もたけなわですね。 ...続きを見る

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2013/10/17 01:02
光の中に
◆最近、気になっているニュースがあります。それは東京や大阪などで毎週のように、在日韓国・朝鮮人などに対して「ヘイト・スピーチ」(憎悪表現)と呼ばれるデモが繰り返されていることです。なかでも特に激しいのが、東京の新大久保にあるコリアンタウンのようです。 ...続きを見る

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2013/06/19 05:22
杉田久女と鹿児島
  足袋つぐやノラともならず教師妻 ...続きを見る

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2013/05/22 07:10
誕生日の樋口一葉
誕生日の樋口一葉 ◆先週の5月2日午後、一葉の生誕地に建つ千代田区内幸町ホールで「樋口一葉お誕生日公演」が開催され、行ってきました。一葉の小説「十三夜」を松尾智昭さん、「わかれ道」を河崎早春さんの語りで堪能。「たけくらべ」はお二人の雑談を交えた朗読で進み、新内剛士さんの唄・三味線も加わるという、随所に工夫の凝らされた楽しい舞台でした。    ※手作りの美しい入場券。しおりに使っています。 ...続きを見る

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2013/05/08 02:20
「樋口一葉 お誕生日公演」のお知らせ
「樋口一葉 お誕生日公演」のお知らせ ◆耳寄りな・・・朗読会◆のお知らせが届きましたので、ご紹介します。 ...続きを見る

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2013/02/28 14:20
久女(ひさじょ)の覚悟
  女流の句はすなおで男子より成長が早いと言われるが、次第に男子に   追いぬかれて、遂には格別の差が出来るというのが定評です。(中略)   私なども永い俳句の歩みの中には、自分の句の拙いのを何十度がっか   りし、自分にはとても見込みはないと、俳句中止を何度思ったか知れ   ませぬ…… ...続きを見る

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2013/02/27 02:20
ぬくもりのある言葉
◆11月11日は東日本大震災から1年8カ月目となる日でした。突然家族を亡くされた多くの方の苦しみを思うと、娘や孫の見守る中で静かに逝った母は幸運な最期だったのだと思わずにはいられません。喪中ということで賑やかなことからは遠ざかっていますが、先日、詩人の黒田三郎展に出かけました。 ...続きを見る

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2012/11/14 00:51
いざ古事記の世界へ
就職してまもなくの昭和46年から、河出書房新社版『日本の古典』全25巻の刊行が始まった。毎月1冊の配本で、価格は1冊1,200円。当時の私の日給額に相当したように記憶している。造本も立派で、当時一流の日本画家の装画が数枚、折り込みで入っており、わくわくしながら手に取っていた。 ...続きを見る

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2012/10/10 00:28
益軒先生の養生訓
◆益軒(えっけん)先生とは貝原益軒のことで、筑前国(現・福岡県)の黒田藩に仕えた藩士です。益軒先生は幼年時代より読書家で非常に博識だったそうですが、書斎派ではなく、自分の足で歩きまわり、自分の目で確かめ、人と会って話を聴くなど実証的な面を重んじたそうです。70歳で宮仕えを辞めて84歳で亡くなるまで著述業に専念し、たくさんの本を著しています。 ...続きを見る

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2012/07/25 00:38
人形で甦る死者の書
◆先日の朝9時。たまたまテレビで「1/24秒に命を吹き込む 人形アニメ作家・川本喜八郎の世界」がありました。川本さんは人形作家として有名で、1982年からNHKで放送された人形劇「三国志」など、自作の人形を使ったアニメーション作家として日本だけでなく海外でも高く評価されています。 ...続きを見る

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2012/07/18 00:52
眞鍋呉夫さんの思い出
先日、作家で俳人の眞鍋呉夫さんが亡くなった。92歳だった。眞鍋さんと初めて会ったのは2004年9月上旬。その数日前上京していた私はリストアップしていた関東在住の5人に電話して、直接面談を申し込んだ。全員が80代のご高齢で、しかも紹介なしアポ無し。つまり初対面の方ばかり。 ...続きを見る

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2012/06/13 01:09
80年前の巴里(パリ) 
◆1931年から1932年にかけて林芙美子はパリにいました。「放浪記」を書いて一躍人気作家となり、その印税でパリに行ったのです。そのとき芙美子はまだ28歳の若さ。日本に夫・手塚緑敏と母を残しての渡欧は、宿命的な放浪者であった芙美子にとって、次の飛躍を考えての必然だったのかもしれません。 ...続きを見る

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2012/01/04 10:12
室生犀星のやぶれかぶれ
◆三姉妹の長女の私は、小学校に上がる前までひどく体が弱かった。すぐ風邪を引くし、呼吸をするたびヒューヒューゼイゼイとラッセル音がしていた。体は痩せていて、体力もなかった。若い母にとって初めての子なので育て方も分からず、昭和20年代後半はまだ食料事情もよくなかった…と母は言う。 ...続きを見る

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2011/10/12 01:48
1926年の宮澤賢治のねがい
◆あの3.11の大地震と大津波と原発事故以来、まもなく5ヵ月が経とうとしている。九州の南端に住んでいる私としては僅かな義援金を出す以外、支援と名の付くようなことは何一つできなかった。赤十字に集められた義援金とて、なかなか被災者にゆき渡っていない現実を知って、なおもどかしい。 ...続きを見る

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2011/08/03 01:12
『方丈記』を読む
『方丈記』を読む ◆東日本大震災から4ヵ月余りが過ぎた。この間、東日本の人々に追いかぶさっている新たな困難を見聞きするのも辛く、心の軋みから逃れたくて何かを求めていた。そんなときふと鴨長明(かものながあきら)の『方丈記』を読みたくなった。なぜなら中世日本を襲った災害の数々が記された随筆だったから。 ...続きを見る

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2011/07/20 00:25
阿武隈の雲
◆九州人の私にとって何の縁も無い福島県いわき市に初めて行ったのは、1985年(昭和60)のことだった。目的地は阿武隈山系菊竹山中腹にある作家吉野せいと農民詩人三野混沌(みのこんとん)夫妻の旧宅。二人は既に亡く、息子さんが農地を守っておられた。しかし5年後に再訪したときはもう人の住まない土地となり、開拓地は元の荒地に戻りつつあった。 ...続きを見る

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2011/05/18 00:52
あゝ小名浜
◆東日本大震災から1ヵ月余り。福島原発事故はまだ最悪の状態を抜け出ていないが、それ以外では着々と復興に向けての歩みが進んでいると報道で伝えられている。本州の一番南端の地に住む我が身としては、ささやかな義援金を差し出すことぐらいしかできない、もどかしい毎日が続く。 ...続きを見る

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2011/04/13 00:48
真に善きもの、必要なもの
◆世の中では刻一刻といろんな事件・事故が発生し、たとえ地球の裏側の話題であろうと容赦なく耳目に入ってくる。ニュースの時間まで待つのももどかしく、テレビ画面の上部にそれを知らせる合図の音とともにテロップ(文字)が流れ、ご丁寧に知らせてくれる。なんというありがたいご時世。 ...続きを見る

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2010/11/24 01:54
気迫の人
◆樋口一葉という人はまことに不思議な人だ。一読者にすぎなかった私の心の中に住みつき、静かな、しかし強烈なメッセージを発し続けてやまないので、とうとう評伝を書く気にさせられた。20年ほど心の内で対話したのち、十数年前に同人雑誌に連載した一葉の評伝が私家本となり、さらに単行本に生まれ変わったのは4年前のこと。 ...続きを見る

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2010/08/04 00:16
言葉のパワー
◆最近、テレビのニュースをあまり見たくない。楽しい話題ばかりを求めているわけではないけれど、見たくもない、聞きたくもない事件や事故、権力がらみの争いなどが、薄型テレビの鮮明な画面からとめどなく放出される。というか垂れ流し状態だ。たとえ間違った情報でも、回収などはされない。 ...続きを見る

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2010/07/07 00:14
貧乏でも人間らしく生きる
◆先月ノンフィクションの新刊本を出したが、本を出すと時間とともにネット上にもいろいろな評価が現れてくる。きちんと読んでもらったうえでの評価なら、褒められることより、自分でも気付かない点を辛口に批評したり反論してあるほうが書き手としては有難い。 ...続きを見る

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2010/06/16 00:24
『氷川清話』を読む
◆ 『氷川清話(ひかわせいわ)』とは勝海舟晩年の語録を集めたもので、文庫本で読むことができる。晩年というのは海舟75〜76歳の明治30〜31年ころのこと。当時海舟は東京赤坂氷川町の氷川神社の傍に住んでいて、海舟を慕う人々が回顧談を聞き出し、速記したものを海舟の没後編まれたものだ。現在の大河ドラマ「龍馬伝」も幕末の話なので、また本棚から引っ張り出してみた。 ...続きを見る

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2010/03/24 01:12
雑草の枕
◆いま折々に夏目漱石の小説『草枕』を読んでいる。高校の国語の教科書で習い、30代の頃読んだ記憶があるだけで、内容はあらかた忘れていた。それが、あるきっかけで三たび手に取ることになった。主人公は画工で、温泉場へ行く道すがら、自分の芸術論について延々と考えをめぐらせる。書き出しの数行が、すなわち結論でもあるという冒頭部分はあまりにも有名で、それは次のように始まる。 ...続きを見る

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2010/02/10 00:18
たまには詩をどうぞ
◆詩を書くことから文学的出発をして、のちに小説を書くようになった作家は多いものです。1903年(明治36)現在の北九州市門司区に生まれ(下関出生説あり)1951年(昭和26)に心臓マヒのため急逝した林芙美子もその1人です。その貧しい幼少時代やベストセラーとなった『放浪記』という名の本の印象が強いため、林芙美子は変に誤解されている面が多い作家だと思います。 ...続きを見る

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2009/12/16 00:05
誠実さ純粋さを貫く
◆先日、女友達と話しているとき、石垣綾子さんのことが話題になった。私は一度だけ石垣綾子さんを見ている。それは20年ほど前に講演を聴いたからで、その日、福岡市博多区の冷泉小学校講堂には多くの市民が集まっていた。先に石垣綾子さんは86歳のご高齢と紹介があったので、シワシワのおばあさんを想像していた。しかし登場されたとき、見事に裏切られた。 ...続きを見る

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2009/10/28 00:30
友への手紙
◆Mさん、お元気ですか。 例年になく長い梅雨が続きましたね。立秋近くになってやっと梅雨が明けたようですが、いかがおすごしでしょうか。 ...続きを見る

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2009/08/05 00:17
肯定的な生き方
◆またしても文学ネタになるけれど、生誕100年の太宰治のマスコミの取り上げ方を見ているうち、私はやっぱり何か引っかかるものを感じてしまった。なぜそんなふうに感じてしまうのか。自分の気持の中のもやもやが何かを考えているうち、ふと肯定的な生き方と否定的な生き方、という考えが浮かんだ。 ...続きを見る

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2009/06/24 00:02
生誕百年の太宰治
◆とにかく本が売れない、と言われて久しい出版界で、いま村上春樹さんの新刊本『1Q84』(上・下)が売れに売れて、ベストセラーになっているという。一応もの書きを自認してはいても、売れないものばかり書いている私など、少しは村上さんの作品など読んで、学んだほうがいいのかもしれないなどと最近やっと思い始めた。 ...続きを見る

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2009/06/17 02:55
90翁の魂
◆今年4月下旬、ある打ち合わせのため東京に行った折、私の敬愛している老作家で俳人でもある眞鍋呉夫さんと3年ぶりに再会した。眞鍋さんは1920年1月生まれの、まもなく満90歳。杖は使っておられるもののお元気で、新宿区内のとある待ち合わせの駅まで、地下鉄を乗り継いで来ていただいた。 ...続きを見る

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2009/06/03 00:38
八島太郎生誕百年展 in 鹿児島
八島太郎生誕百年展 in 鹿児島 ◆最大16連休もあるという、その人にとっては嬉しいより不安が先に立つだろうなと思われる話題もあった今年のゴールデン・ウィーク。私の場合、例年4月29日に行われるある催しに出席するため、今年も連休前半は東京で過ごした。帰宅して2日いて、後半の数日は福岡で過ごした。東京では長女のところに、福岡では母のいる実家に泊った。 ...続きを見る

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2009/05/06 01:52
セメント樽の中の手紙、再び
◆平穏な生活はニュースにはならない。けれど事件・事故・他人の不幸にメディアは飛び付く。そしてくる日も表面に現われている事象を追いかける。街頭の電光テロップのように、事件や事故は際限なく流れては消えていく。けれどその裏側には、見えないが人間の数々のドラマが息づいているはず。そんな目に見えない世界を描き得るものの1つに、例えば小説がある。 ...続きを見る

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2009/03/04 00:12
100年前の『五足の靴』
◆仕事を持っていた50歳までは、あまり海外旅行のチャンスはなかった。ところが仕事を辞めてから昨年までで、数えてみれば合計10回も海外旅行をしていた。どうりで貯金がさっぱり貯まらない訳だ。うち6回はアジアの国々で、誰もが一度はお腹をこわすと聞いていたインドにも1週間滞在したが、別に何ともなかった。そういえば旅行中、私はただの1度も具合が悪くなったことはない。それどころか旅に出ると、体調がすこぶる良好になっていく。 ...続きを見る

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2009/01/21 00:17
みたび大西巨人さんの話を聴く
◆現在福岡市では、福岡市文学館の企画展として、福岡市文学館と福岡市総合図書館1階ギャラリーの2つの会場を使って「走り続ける作家 大西巨人」展が開催されている(12月21日まで:入場無料)。その関連イベントとして先週、福岡市で「鼎談―大西巨人さんを迎えて」が開催されると知り、私も往復はがきで申し込んで、鹿児島から参加することができた。 ...続きを見る

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2008/12/17 09:19
今昔物語の食の教え
◆今年は、というか今年も食料品をめぐって、種々の偽装や改ざんなどがあとからあとから明るみになった。米の一粒も、野菜の一株・一本も生産しないので、食べ物全部を買って調達している私など、都市生活者の危うい一面を嫌というほど知らされた一年でもあった。 ...続きを見る

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2008/12/10 00:46
文学的に生きるとは
◆作家の大西巨人さんと会ったことは、4年前の3月と2年前の3月の2回ある。そのとき大西さんから聞いたことや話の内容は大変興味深いものだったので、独り占めするのも惜しく、このメールマガジンや文芸同人誌にエッセイという形で何度か書いた。そんなことをきっかけに大西さんとご縁ができて以来、新刊本を出されるたびにご恵贈いただいている。 ...続きを見る

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2008/04/16 09:08
吉村昭と城山三郎
◆昭和2(1927)年生まれの作家に、吉村昭と城山三郎がいる。生まれた年が同じだけでなく、どちらも実在の人物をモデルにした小説作品が多いところも共通している。あえて違いを言えば、吉村昭の小説は歴史小説が多く、城山三郎は現代の実在の人物をモデルにしたノンフィクション風の社会小説・経済小説が多いということだろうか。 ...続きを見る

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2008/04/02 00:04
紫式部が娘に伝えたこと
◆秋の夜長になると、なぜだか昔々の人の書いたものを読みたくなる。私は昭和46年(1971年)1月に職を得て働きだしたが、その直後から河出書房新社版『日本の古典』全25巻の刊行が始まった。当時としては決して安くない定価1200円。日給に相当する額だった。けれど給料を貰う身になったばかりの私は嬉しくて、すぐに注文した。『万葉集』に始まり『源氏物語』『今昔物語』『平家物語』そして最後の『江戸小説集』まで毎月1冊の配本で、完結まで2年かかった。 ...続きを見る

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2007/11/14 02:02
鎌倉文士から聞いたこと
◆昨年暮れ、鎌倉在住の文士、つまり物書きさん数名が忘年会をしたそうだ。その席上、いま日本で一番面白いのはどこかという話題になり、それは鹿児島だという発言があり、じゃあ来年その鹿児島へみんなで行こうと話はとんとん拍子。さっそく連絡を受けた鹿児島在住の詩人のかたが引き受け、年明けから企画を練り、先週土曜日にホテルを会場に「鎌倉文士鹿児島で語る」という催しがあった。 ...続きを見る

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2007/10/10 14:53
二つの原爆の日に
◆8月6日は人類史上初の原爆投下から62年の、広島「原爆の日」でした。明日は日本に2つ目の原爆が投下された、長崎「原爆の日」がめぐってきます。原爆投下については最近、被爆国日本の大臣でありながら「しょうがない」などと発言してその職を辞した防衛大臣がいました。また北朝鮮の核実験など核拡散の動きがあり、一方で地震に弱かった原子力発電所の実態が明らかになるなど、核をめぐる不安が一段と私たちの生活を取り巻いています。 ...続きを見る

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2007/08/08 08:40
ある農民詩人の軌跡
◆今年3月、作家の城山三郎さんが亡くなった。79歳だったという。経済小説の第一人者と称された城山さんのその方面の小説を、わたしは読んだことがない。そのかわり、ドラマになった「素直な戦士たち」「黄金の日々」「落日燃ゆ」などの作品をテレビで見て、その原作者という程度の関心しか持っていなかった。 ...続きを見る

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2007/05/23 09:11
文読む月日
◆たったこの一週間のうちに、なんと不自然な死が世の中に溢れたことだろうか。事件・事故・天地災害は、足音も立てず不意に私たちの生活に割り込んでくる。ときには人災であり、時には自然災害であり、生活を根こそぎ破壊するほどの出来事の前に、人間の弱さもまた強さも、それら非日常の中では試されるもののようだ。 ...続きを見る

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2007/04/25 01:40
金子光晴『絶望の精神史』を読む
◆明治28(1895)年生まれといえば、私には思い浮かぶことが2つある。その1つは樋口一葉の没年の1年前であり、もう1つは私の父方の祖母の生年と同じということだ。つまり戦中・戦後多くの作品を発表した詩人金子光晴は、私の祖父母と同じ時代を生きた人だと思えば、彼の書くものの時代背景を私なりに身近に引きつけて読み取ることができる。 ...続きを見る

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2006/12/13 08:44
老詩人に学んだこと
◆昨年の今ごろ東京で開催されたある集まりで、老詩人M氏と知り合った。私の亡父と同じ世代という親しみやすさ。お互い10代のころ詩人萩原朔太郎に傾倒したという共通点もあり、すっかり長話した。先日、本棚を整理していて、そのM氏の手紙と「萩原朔太郎先生とのこと」と題した原稿用紙12枚のエッセイのコピーが出てきた。 ...続きを見る

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2006/10/18 13:30
今は昔の物語
◆長引く梅雨、豪雨による災害が気がかりな所へ、連日の人殺し、海の向こうでは戦争状態と、殺伐とした世相に目も耳もふさぎたくなる毎日。えいままよ、たまには現実逃避でもしなくては身が持たないとばかり、手っ取り早く古典の世界にもぐりこみたくて、私は本棚から『今昔物語』を取り出した。 ...続きを見る

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2006/07/26 08:50
季語を楽しむ
◆電車通学を始めた高校生時代から勤めを辞めた50歳までの約35年間、通学通勤に電車を利用することが多かった私は、いつもバッグの中に一冊の文庫本を入れていた。鹿児島に住むようになった今でもその癖が抜けずに、出かけるときの必需品として文庫本を持ち歩いている。 ...続きを見る

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2006/05/31 22:51
文学碑のゆくえ
◆文学者には文学碑がつきものだ。有名な俳人や歌人なら行く先々で詠んだ俳句や短歌が、立派な石に刻まれ、全国津々浦々に建っている。作家も例外ではない。有名になると生きているうちから自分の文学碑を作りたがる人もいるが、たいていは本人の死後、友人知人や関係者たちが文学碑を建てようと奔走する。 ...続きを見る

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2006/05/24 20:17
大西巨人さんに訊く
◆作家大西巨人さんの最新作に『縮図・インコ道理教』という小説がある。一昨年春から約1年間インターネットに連載されていたが、私はそれを途中から読んでいた。完結の後、昨年夏に出版され、その本を大西巨人さんからいただいた。この小説はオウム真理教地下鉄サリン事件を材に、「宗教団体インコ道理教が、『皇国』日本の縮図である」という題意により書かれた意欲作。 ...続きを見る

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2006/04/26 21:55
真理がわれらを自由にする
◆いま書いている作品に関する文献調査のために、数日前から東京に来ている。創作にしろノンフィクションにしろ、テーマを決めて文章を書き始める前にはいろいろ関連の本を読む。いわゆる参考文献というもので、読めば読むほど参考文献は増え続ける。しかしその全部が自分に必要な情報とは限らないから、取捨選択の結果、読んでも実際に参考にしたり引用するものはずっと少なくなる。 ...続きを見る

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2006/01/18 08:04
一葉最後の四ヶ月
五千円札の肖像に登場している樋口一葉が亡くなったのは、明治29(1896)年11月23日。109年前のきょうです。ちょうど一葉の命日にあたる今回は、一葉最後の四ヶ月となった明治29年7月末から11月末までのことを紹介したいと思います。 ...続きを見る

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2005/11/23 09:16
藪の中
テレビニュースを見ていたら、インターネットに開設したサイトで殺人を請け負った(本人は否定)男性が、インタビューに応じてしゃべっていた。この人は、録画の24時間後に逮捕されたそうだ。容疑は、サイトを見て殺人を依頼してきた人に調査費・戦術費などの名目で約160万円を銀行口座に振り込ませ、騙し取ったことらしい。 ...続きを見る

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2005/10/05 06:00
父の世代
昨年夏、作家の大西巨人さんから『春秋の花』文庫版1冊をいただいた。それより前の昨年2月、20数年ぶりに福岡市に帰省された大西巨人さんを囲む卓話会があり、私は鹿児島から出かけてそれに参加した。以前私は大西さんが樋口一葉に関わる文章を書かれているのを目にしたことがあり、卓話会でも一葉の話題が出たので、一葉の生涯を書いた私の本を大西さんに読んでもらいたくて、会のあと厚かましく謹呈した。 ...続きを見る

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2005/09/14 06:24

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