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zoom RSS 憤怒について

<<   作成日時 : 2017/09/13 22:33   >>

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喜怒哀楽の感情を持つのが人間だ。喜び、怒り、哀しみ、楽しみながら日々過ごしている。とりわけ2番目の「怒」の感情に火が付くと、爆発して手が付けられなくなる人がいる。怒りは他の感情とはちがい、後味の悪さが付きまとうものだ。それは相手を傷つけ、自分も傷つくからであろう。

最近、高齢者が突然怒り出して周囲に迷惑をかけたというニュースをよく耳にする。こらえ性が無くなり、ちょっと待たされたり、相手の態度が気に食わないなどと難癖つけては、異常なほど怒ったりわめいたりして感情の歯止めがきかなくなるのだ。

この怒り、言い換えれば憤怒の感情について、わたしの愛読書であるトルストイの『文読む月日』の中の文章を紹介したい。この書は1日に1章ずつ、トルストイが膨大な読書の中から古今東西の聖賢たちの名言を集め、1年365日分、心の糧となるように編んだものだ。

その本の1月23日の項は、「怒り」「憤怒」について書かれている。引用文の場合は文末にそれを言った(書いた)人の名前が記され、名前のないものはトルストイ自身の言葉だ。以下はトルストイの言葉からの引用。

 (二)ローマの賢人セネカは(中略)怒る癖をなくする
    ためには、人がぶんぶん怒っている恰好を見るの
    もいい、と言う。人が怒っているときの恰好、つ
    まりまるで酔っ払い同然に赤い顔、憎悪に満ちた
    醜い顔をして不愉快なきいきい声を出し、口汚い
    言葉を吐く恰好を見て、自分はあんな醜態は演じ
    たくはないと思え、と言うのである。

 (四)憤怒がどんなに他人にとって有害であろうと、そ
    れにもまして憤怒する当人にとって有害である。
    憤怒は必ずそれを呼び起こした相手の行為以上に
    有害なのだ。

 (八)われわれが腹を立てるのは、なんでそんな腹の立
    つことが起きたかの原因がわからないからである。
    なぜならもしその原因がわかれば、われわれは結
    果ではなくてその原因に腹を立てるであろうから
    である。しかしながらあらゆる現象の外的原因は
    非常に遠くにあって、これを発見することはでき
    ないが、その内的原因は――いつもわれわれ自身
    なのだ。どうしてわれわれは人を責めるのが好き
    で、こんなに意地悪く、こんなに理不尽に責める
    のだろう? 人を責めることで自分の責任を免れ
    ようと思うからである。われわれは自分に困るよ
    うなことがあると、これは自分が悪いからでなく
    て、人が悪いからと考えたがるのである。

 (十)人々が互いに憎々しげに口論していると、子供は
    どちらが正しくてどちらが悪いかわからないまま、
    心で双方を非難しながら憂わしげに二人のもとか
    ら走り去る。そしていつも二人のどちらよりも、
    その子供のほうが正しいのである。


トルストイの『文読む月日』には傾聴に値するいろいろな考え方や思想が詰め込まれており、折に触れてその日の項を開いたり、無作為にパッと開いたページを読んで、心の栄養にしたり思索の道しるべにしている。

とはいえ、怒りの感情を抑え過ぎたり溜め込んでしまえば、逆に身体のほうに悪影響が生じる。また明らかな差別や人権無視などの行為に対しては、怒りをもって抗議したり理路整然と反論することは必要だと思う。理不尽なことに対しては、怒りの感情は押さえたり泣き寝入りせずに外に出していいものだと思っている。

怒りの感情というのは、なかなかコントロールが難しいが、この扱いにくい感情に振り回されないよう、日々おだやかに暮らしたいと願っている。そのためには新聞やテレビのニュースなど見過ぎないようにして、心安らかな気持ちで日々を送るのが理想だけれど……。

 参考図書:トルストイ『文読む月日』(全三冊)
      北御門二郎訳 ちくま文庫 本体各1500円+税

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