アクセスカウンタ

<<  2017年5月のブログ記事  >>  zoom RSS

トップへ


0歳と90歳

2017/05/25 17:21
今年に入ってこれまでの5カ月は、正月早々に次女が出産した新生児との対面に始まり、続いて3カ月前に圧迫骨折して整形外科に入院した義母さんの見舞い。5月の連休明けに退院してからは、わが家で養生するため引き取って、生活全般の世話をする毎日だ。0歳児と90歳の両方を世話して、「人の一生」の重みを実感している。

義母は、わが家から徒歩5分のマンションに一人暮らしだったので、その生活に戻ることを目下の目標にしている。週2回のリハビリ通院に加え、今週から週2回のデイサービスも再開した。おかげで私自身も長時間の外出ができるようになり、昨日は久しぶりに美容院に行くことができた。

娘の出産後、1カ月半ほど産後の支援のため娘宅に滞在したが、それは赤ん坊の成長をつぶさに見る日々でもあった。毎日観察しているからこそ、それがよくわかる。おっぱい飲んで、ねんねして、出すものを出して、その繰り返しの中で目が見えるようになり、音に反応するようになり、笑うようになった。それは何度経験しても感じる、無上の喜びである。

赤ん坊は生命力そのものだけれど、母父など保護者が身近にいて世話を続けなければ、命は2日とは続かないだろう。大人になれば自分で生まれて育ったように錯覚しがちだけれど、そこに至るまでにどんなに人(特に両親)の手や愛情を必要としてきたことか。

それは実際には、自分が親になってみて初めて気づいたことでもあった。親にしてもらった恩を、今度は自分が子どもに返す番だと思って育ててきたように思う。かつて自分がそうであったように、娘たちも子育てをしながらだんだん母親らしくなり、先に生れた子も赤ん坊と接しながら、だんだん兄や姉らしくなっていく。

今年1月に90歳になった義母は、外出時に杖を使うようになったとはいえまだ自分の足で歩ける。直近の記憶が残らないなど認知機能の低下はあるものの、長年付き合ってきた人々の名前などは顔を見ればすぐ出てくる。歯は全部自分の歯、耳も良し、目も良し、バイタル(血圧・体温・脈拍等)も良好で、訪問看護師さんも太鼓判を押してくれる。

このぶんなら100歳も夢じゃないねと励ますが、本人は自分の実年齢があやふやになっている様子。耳といえば、4年前に亡くなった私の母も耳が良かったようで、自分で「地獄耳」と言っていた。年寄りには聞こえないだろうと思って人の悪口を言っている話し声ほど聞こえた、と生前私に自慢していた。「いじわるばあさん」を思い出す。

赤ん坊は昨日できなかったことが今日できるようになり、日々成長する。それと逆なのが高齢者だ。昔のように走れなくなる、跳べなくなる、目が見えづらくなる、耳が遠くなる、高い声が出なくなる、握力が弱くなる、長く歩けない、物忘れが増える、肌の張りが衰え皺が増える、重力に負けて体のいろんな部分が垂れ下がっていく。

長生きするほど肉体的な衰えは進むから、防ぎようがない。しかし生き物は常に新陳代謝を繰り返していて、人間の場合は約3か月で細胞が全部入れ替わるらしい。生きているということは細胞が新しくなっていることだから、人間の内部は日々生まれ変わっていることになる。そう考えると何だか元気が湧いてくる。

義母は独立心が強く、子どもに面倒を掛けたくないし施設に入るのも嫌だという。その覚悟は立派だと思うが、本人が思っている日常生活で出来ることと、実際に出来ることとの差が広がっている。いまは3人で食事をしているが、一人での食事よりも楽しいと言ってくれる。それを聞くにつれ、本人の希望とはいえ、高齢者の孤独な生活が決していいとは思えないと、日々考えさせられている。

 ♪ 管理者ウェブサイト 「杉山武子の文学夢街道」 
記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0


2017/05/11 13:56
もうすぐ蛍の舞う季節になります。蛍の季語は「夏」で、俳句の世界では「蛍」に関するたくさんの名句があります。俳句の先人として有名なのは松尾芭蕉や高浜虚子ですが、近年では季語や五・七・五にとらわれない自由律俳句で登場した種田山頭火や尾崎放哉(ほうさい)などが知られています。

俳句について詳しくはありませんが、自分で作るとすれば短歌と俳句のどちら、と問われれば、わたしは俳句を選びます。川柳も好きです。あのビシッと凝縮された潔さ、十七文字という短さに惹かれるのです。

妙なたとえかもしれませんが、ゆったりした趣のある短歌は囲碁に、激しさの際立つ点では俳句は将棋のようだと考えたりします。これはもちろん私個人の印象にすぎません。また俳句は長い間、男性が作っていましたが、近年では杉田久女、三橋鷹女、橋本多佳子など女性たちも登場しました。

先に上げた女性たちの句には、激しい情念の表出したものが少なくありません。本題の「蛍」にちなんだ句では、橋本多佳子の作がその代表かもしれません。

 蛍籠(ほたるかご)昏(くら)ければ揺り炎(も)えたたす

 【出典:第3句集「紅絲」(1951年)】

これなど女の情念が感じられる句と言われています。蛍を入れた蛍籠なのに、だんだん光が失せて暗くなっている。もっと光れ、明るさが欲しいのだと籠ごと激しく揺り動かす作者の姿が見えるようです。その行為の中に、何かに苛立ち鬱屈しているかのような、激しい心情が伝わってきます。

次は男性ですが、前田普羅(ふら)の句も、また不気味な激しさを秘めています。

 人殺ろす吾かも知らず飛ぶ螢 

 【出典:「定本普羅句集」(1972年)】
 
これなどさらに、殺すか・殺されるか分からないという、激しい男の情念ともいうべき心の暗部が見て取れる句でしょう。蛍は光を放って舞う、はかない存在ですが、それは暗闇を背景にしているから際立つ光なのです。この句は作者29歳の1913年頃の作と言われ、日本が軍国主義の道をまっしぐらに進んでいた時期でもあります。

寺山修司は短歌・戯曲・俳句・詩など多彩な分野で活躍した、名実ともにマルチタレントと呼ぶべき才能豊かな人でした。彼の俳句を好きな方も多いのではないでしょうか。彼の随筆に「蛍火抄」という短文があります。最後にそれを紹介します。

彼には、少年時代のある夏の日につかまえた一匹の蛍について、忘れることのできない思い出がありました。学校の裏の草むらの中でつかまえたその蛍を、母に見せたくて急いで帰り、2階の母の寝室まであがっていきます。するとそこから男と女のうめき声が縄のようにねじれ合う、情事の声がしたのです。

「またきているのだな」と修司少年は思います。父に早く死なれた母子の暮しの中に、週末ごとに訪ねてくる中年の「おじさん」がいたのです。母に見せるのを諦め、少年は自分の部屋の机の引き出しに蛍を閉じ込めます。真暗な引き出しの中で光る蛍を想像して、少年は悲しい空想にふけります。

この随筆の最後の部分は、こうです。

 その夜、火事があって私の家は全焼した。
 だから、私は今でも、
 「あの火事は机の引出に閉じこめておいた蛍の火が原因なのだ」
 と思っているのである。


 
  ※引用は 『日本の名随筆 73「火」』古井由吉編
        1988年11月25日発行 作品社刊


 ♪ 管理者ウェブサイト 「杉山武子の文学夢街道」

記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 3


春の甲斐路をゆく

2017/05/04 17:50
春の大型連休の前半は、東京都内と甲府市、つまり甲斐の国で過ごしました。

4月30日は晴天。新宿駅から朝10時発のスーパー「あずさ」号で出発。中央本線を走る事1時間半で甲府市に到着。出迎えてくれた甲府市在住の知人の車に乗り込み、春の甲斐路(かいじ)を走りました。この数年間、ちょうどこの時期に毎年甲斐路を走っているのです。さて今年はどこへ行くのか、行先は知人におまかせのドライブです。

しばらく走ると、山頂付近が白いままの山々が行く手に見えてきました。正面が甲斐駒ヶ岳、その左側が鳳凰山、そしてさらに左手奥には、南アルプスの一段と真白い峰々が見えます。私の育った九州では、この時期には見る事の出来ない風景です。(写真をクリックすると拡大します)

画像
   雪を頂く正面は甲斐駒ヶ岳、左手は鳳凰山

最初の目的地は甲府の名勝として名高い昇仙峡を登りつめた地に鎮座する、金峰山を御神体とした金櫻(かなざくら)神社でした。本殿は昭和30年の大火で焼失したそうですが、復元されています。この神社の御神木「鬱金(うこん)櫻」は、神社の名前の由来にもなっているそうです。   

画像
   金櫻神社本殿

この「鬱金櫻」は古くから民謡に唄われていて、「金の成る木の金櫻」として崇められているそうです。確かに、ウコン色をした、淡い黄金味を帯びた花がちょうど満開でした。またこの神社は「日本水晶発祥の地」ともいわれており、パワースポットとしても人気があるそうです。

画像
 

画像
   御神木の「鬱金桜」

急な石段を下ると、そこには昭和30年の大火のときに焼失を免れたという立派な社務所がひっそり佇んでいました。その周辺には、見事な枝垂桜がまさに満開を迎えていました。

画像
   しだれ桜

昇仙峡と呼ばれる渓谷ぞいの道を走りながら、対岸にそびえ立つ柱状節理の花崗岩の大きさに目を奪われました。山全体が石柱の塊で出来ているような絶景です。秋の紅葉の時期は、さぞかし美しいことでしょう。

荒川ダムの所で昼食。ざるソバもおいしそうでしたが、せっかくなので甲州名物の「ほうとう鍋」をいただきました。こってりした味噌の味が平たい麺と具だくさんの野菜にからまって風味もよく、おいしくいただきました。

そのあとは甲府市に戻りましたが、市内に入るといたる所から、雄大な富士山を見ることが出来ました。その富士山を眺めながら、次は私の希望で山梨県立文学館へ。ここは樋口一葉の両親の出身地ということもあり、一葉関連の文学館独自の図録なども充実していて、手に入れることが出来ました。

画像
   甲府市内から見た富士山

画像
   山梨県立文学館

画像
   文学館入口のポスター

5時間にわたる春の甲斐路を走る旅でしたが、青空高く晴天で、気持ちの良いドライブでした。今年も案内役の知人に感謝です。

最後に下手な自作の俳句を2句

   甲斐路ゆく 鬱金櫻のご神木

   蒼空に 甲斐駒岳の白き峰

   ♪ 管理者ウェブサイト 「杉山武子の文学夢街道」 

記事へナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0


<<  2017年5月のブログ記事  >> 

トップへ



一樹の蔭、一河の流れ 2017年5月のブログ記事/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる