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◆最近テレビで黒澤明監督作品の映画が連続して放映されているが、つい先日「天国と地獄」を夫と一緒に観た。ずっと以前にもテレビで最初から最後まで観ているはずなのに、はっきり記憶に残っているのは、ゴミ焼却場の高い煙突から吐き出される煙が、白黒映画なのにそこだけ赤く染まる印象的な場面だけ。その前後のストーリーも展開もほとんど覚えていないのには我ながら驚いた。 ところが一緒に観ていた夫も、映画が進行するにつれ、こんな場面あったかなあと頼りない。ついに、あの煙突の煙の場面しか記憶にないと発するにいたって、私ら二人の脳ミソもいよいよ縮みつつあるのか、はたまた記憶装置の不具合なのか、揃いも揃ってあやふやとは。日本映画史上屈指と言われるサスペンス映画を観ているのに、私らの現実のほうがよっぽどサスペンス。 印象的なことが記憶に残るというのは、実体験でも良くある話だ。私の父は私が生まれる前から建築現場の飯場暮らしで、2週間に1度しか帰宅しない生活だった。それは私が10歳のとき祖父が亡くなるまで続いた。舅や姑や小姑に仕えて何かと気苦労も多い若い母は、気が立つと、不平不満のはけ口を長女の私へぶつけることがあった。 そんなある日、母と姑との間で争いがあり、盾つけない母は苛立っていて、何かの拍子に怒って私の頬をぶった。母からぶたれたのはあとにも先にもそれ1回だったので、私はそのことを恨んでしっかり記憶にとどめていた。いつか機会が来たらこのことを母に言ってやろうと、30年ぐらいたってその話をすると、母は全然覚えていなかった。そんなことするはずがない、とまで言いこわる。 二人いる私の娘たちは、2、3歳ころ、あまりに我儘で聞き分けのなかったとき、怒った私からお仕置きの意味で、夜、ドアの外の暗闇におっ放り出されたことがある。当然「ゴメンナサイ、あけてー、ゴメンナサイ」と戸を叩き泣き叫んだけれど、10分くらいは無視していた。そんな経験もそれぞれただ1回きりのことで、きつく叱った記憶もあまりない。 そんなふうに私の子育ても無事終わった。と、思い込んでいたら長女が最近、思いもかけないことを言った。私に1度だけ、ぶたれたという。え? そんなはずない。私は母にぶたれた経験から、自分の子どもには絶対そんなことしないと、心に誓っていたのだからと主張したものの、「覚えてないの?」とあきれられる始末。けれどほんとに記憶にないんだもん。 娘が言うには「お母さんはその時とっても怒っていたから、私が何かよほど悪いことをしたのだと思う」とフォローしてくれ、ぶたれた部屋まで教えてくれたが、それでも全然思いだせない。そんな重大なことなら覚えていそうなのにと、自分の記憶もいい加減なものだとそのとき気がついたのだ。踏まれた足はいつまでも痛いとはいうけれど、踏んだほうは・・・。 もちろん自分の行動を逐一覚えておくことなんて、できない。現に、むかしのことはさておき、3日前にしたこと、食べた物、話したことすら忘れている。それは記憶をしまっておく容器があり容量に限りがあるとしても、あるものだけがそこに収納されるのはなぜだろうか。記憶するしないは何か独特のメカニズムがあるのかもしれないが、私には解らない。 反対に、記憶のいい人というのも善し悪しだ。身内の関係ならばともかく、久しく会わなかった人から、私の全く覚えてもいないことや話したことなど、あのときあなたはこうだったとか、こう言ったなどと懐かしげに言われると、思わずへぇと内心どっきりしたり赤面したり。それって本当に私? と言いたくなるような私が、その人の中にずっと生きていていたのかと思うと、思わずゾーッ。 私は子どものころから日記を書く習慣があって、50代から1冊で5年使える「5年日記」に毎日書いている。一日が6行と少ないので、1分もあれば書ける。今日の分を書く時、その上の欄は1年前なのでつい見てしまうと、それを手がかりに記憶が蘇る。だから何でも覚えておく必要はないと納得する。けれど相手に植え付けた私の記憶ばかりは、どうしようもない。 会った人にはなるべく良く思われたいけれど、その人の記憶をどうこうすることはできない。だからあまりよけいなことはしゃべらず、嘘もつかず、せいぜいさわやかな印象が相手に残ればいいなどと、虫のいいことを考える。モノ書く私は、人の記憶に残るような作品が1つでも書ければそれでいい。生身の私は、いつかどこかへさっぱり消えうせるのだから。 ♪管理者ウェブサイト「杉山武子の文学夢街道」 |
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