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zoom RSS 金子光晴『絶望の精神史』を読む

<<   作成日時 : 2006/12/13 08:44   >>

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明治28(1895)年生まれといえば、私には思い浮かぶことが2つある。その1つは樋口一葉の没年の1年前であり、もう1つは私の父方の祖母の生年と同じということだ。つまり戦中・戦後多くの作品を発表した詩人金子光晴は、私の祖父母と同じ時代を生きた人だと思えば、彼の書くものの時代背景を私なりに身近に引きつけて読み取ることができる。

いまその金子光晴のエッセイ集『絶望の精神史』(講談社文芸文庫)を読み終えたばかりだ。金子光晴の詩は学生のころよく読んだのでなじみがあり、存在感のある詩人として私は好きだった。このエッセイ集は、日本が明治百年を迎えようとしていた1965年に編まれたもので、「まえがき」にはこう書いてある。

僕の知りたいことは、日本人のつじつまの合わない言動の、その源泉である。たとえば、今度の敗戦にしても、人心の裏返りの早さは、みごとといってもいいくらいだ。

表面は、恬淡(てんたん)として、無欲な日本人、無神論者の日本人。がその反面、ものにこだわり、頑固でうらみがましく、他人を口やかましく非難したり、人の世話をやくのが好きなのも日本人である。それらの性格がどんなふうにもつれ、どんなふうに食違ってきたかをながめ、そこから僕なりの日本人観を引き出してみたいのだ。


金子光晴は23歳の1919(大正8)年2月から、丸2年ほどをヨーロッパに過ごし、さらに結婚後の1928(昭和3)年から数年間、3歳の息子を妻の実家に預けて夫婦で東南アジアからヨーロッパまで旅行や滞在を繰り返す。20代の独身時代、30代・40代は夫婦で世界を旅した、というより放浪した金子光晴は、日本の外側から日本と日本人を客観的に眺めることのできた、当時としてはまれな経験をした日本人だったかもしれない。

その旅は、富国強兵に狂奔する明治末期に生まれ、生活のすみずみまで軍国主義の金縛りの中で生きていかざるを得ない日本人のありさまを知り、その日本人の肩に「近代日本の絶望」が張り付いているのを、金子光晴自身が確認することでもあったようだ。金子は身近な、絶望のうちに死んでいった人々を記憶から引き出しながら、彼らを絶望に追い込んだ島国日本という環境、風土、時代的性格について考察していく。

日本人の不気味な微笑とか、わからぬ沈黙とか、過度な謙譲とか、淫酒癖とか、酒のうえのことを寛大にみるへんな習慣とか、それがみな島国と水気の多い風土から生まれた、はかない心象だとすれば、日本人がしっかりした成人として生きてゆくために、自ら反省し、それらの足手まといを切り払い、振り捨てなければならないのだ。そのためにこそ、日本人の絶望の症状を、点検してみなければならない。

日中戦争勃発直後の1937(昭和12)年、42歳になった金子光晴は自分の目で戦争を見なければダメだという思いにかられて、妻と共に化粧品会社の市場調査名目で北中国にわたる。着いた港で金子は多くの日本人(民間人)が、儲け話と運命もろとも戦争に密着し、大挙して中国に押し寄せているのを見る。

天津、北京と回って昭和13年元旦、八達嶺に登り万里の長城を俯瞰した金子夫妻は、そこで錯乱寸前の緊張の目をした日本兵に自分たちが見守られているのと出会う。この中国旅行で、いま進行している戦争が侵略戦争であることを確信した金子は、密かに反戦への態度を固めたといわれる。

それが具体化したのは長男乾(けん)の徴兵忌避だろう。もともと病弱で気管支ぜんそくの気のあった息子を、軍は徴兵検査に合格させた。行軍などに耐えられない身を死に追いやろうとする軍に対し、怒った金子は徴兵を突っぱねる決意をする。

まず、医師の診断書を手に入れるために、息子を応接室に押し込め、生(なま)の松葉をいぶし、喘息発作を再発させようとしたのだ。しかしそんなときになると、なかなか思いどおりにゆかないもので、息子は咳入るばかりで、発作が起こってくれず、苦しみのあまり血を吐くしまつだった。

そこで、彼の背に『歴史家の世界歴史』という分厚な洋書を十数冊入れたリュックサックを背負わせ、駆け足で、駅まで千メートルほどの道を往復させた。庭の芭蕉の下に、裸にして夜通し立たせた。びしょびしょと、冷たい秋雨が降ってきて、子どもはぶるぶる震えていたが、かえって抵抗力ができていって、風邪ひとつひかない。叱りつけて、その難業を続けさせる自分が、鬼軍曹のように思われてきた。

しかしこの方法を続けて、わずかに発作を誘い出し、医師の診断書を手に入れることに成功した。そして八重洲口の召集出発には、母親が行って、医師の診断書を示し、病気重体で同行できない理由を話して、難関をくぐりぬけた。 (引用:良心は、とても承服しない)


ここまでしたのには、もちろん愛情の問題もあるが、ここに一人だけでも戦争反対者がいるのだということを自分に言い聞かせ、それが精一杯の勇気でもあったし、「多少の英雄主義も働いていたかもしれない」と金子は書いている。
金子は明治百年を目前にした当時の日本の世情を観察して、次のような警鐘を鳴らしている。

ばらばらになってゆく個人個人は、そのよそよそしさに耐えられなくなるだろう。そして、彼らは、何か信仰するもの、命令するものをさがすことによって、その孤立の苦しみから逃避しようとする。世界的なこの傾向は、やがて、若くしてゆきくれた、日本の十代、二十代をとらえるだろう。そのとき、戦争の苦しみも、戦後の悩みも知らない、また、一度も絶望した覚えのない彼らが、この狭い日本で、はたして何を見つけ出すだろうか。それが明治や、大正や、戦前の日本人が選んだものと、同じ血の誘引ではないと、だれが断定できよう。(引用:またしても古きものが)

このエッセイが書かれてさらに40年が経過したいま、ここに出てくる「日本の十代」とは、私を含む団塊世代をさす。これらの指摘は古びていないどころか、安穏と現代に生きる私たちの弱点を突く、不気味な予言ともとれる。

  ※文中敬称略
  ※引用は 金子光晴著『絶望の精神史』講談社文芸文庫 より

 ♪ウェブサイト「杉山武子の文学夢街道」 

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