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  作成日時 : 2005/07/06 12:02   >>

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最近、海外発のニュースを見ていてオヤッと思うことがあった。ベトナムのホー・チ・ミン市で、最近少年犯罪が増えているという。それも貧困家庭の子どもではなく、ドイモイ政策以後経済的に豊かになった都市部の、ある程度裕福な家庭の少年たちが、犯罪に関わるケースが増えているというのだ。

私はこれまでエッセイの中で、最近少年犯罪が凶悪化しているとか、連鎖反応のごとく続けて起こる傾向を嘆いたり、少年犯罪について感じたままを言及してきた。しかしそれはあくまで私が最近の事件から受けたショックや、マスコミ報道から受けた表面的印象であって、実態は必ずしもそうではないことに、あるとき気がついた。

それは今年の春だったか、近年暴走族が全国的に激減しているという文章を読んだときである。興味を持ったので、少年犯罪に関するデータをいろいろ調べてみた。すると、ここ10年ほどの少年犯罪の増加と凶悪化を指摘する論文もあったが、その根拠となっている政府統計を50年タームでじっくり見ると、実態はかなり違っているのだ。

日本政府は戦後間もなくの1947年(昭和22)から、少年犯罪統計を取っていて、その数字は総務省統計局のサイトや犯罪白書などから知ることができる。現在まで50年以上の期間の少年凶悪犯罪検挙人員をみると、1960年をピークに、1980年にかけて数字は急激に減少している。その後20年ほぼ横ばい状態が続き、この5〜6年を見れば、いくらか増加傾向がみられなくもない。

凶悪犯罪の定義は、殺人、強盗、強姦、放火の4つで、このうち少年殺人犯の検挙数だけみても、1961年(昭和36)の448名に対し、1975年以降は激減して100人未満となり、以後最近まで100人前後の数字で推移している。つまり統計上は、近年の少年殺人犯の数は、ピーク時の4分の1に激減していることがはっきり出ている。

1960年代前半は戦争終結から十数年後であり、戦後の混乱の影響がまだ強く残っていたころで、経済的な格差や劣悪な家庭環境などが少年犯罪に結びつく大きな要因となっていた。ところが1960年代後半に入ると、高度経済成長の右肩上がりのカーブとは対照的に、少年犯罪は件数も検挙人員も急激に下降線をたどっている。

私がベトナムのニュースを見てオヤッと思ったのは、経済成長につれて少年犯罪が増えているのと逆の現象が、戦後の日本社会では起きていたことを先に知っていたからである。この現象は、欧米や他のアジアの国々にも見られない、日本独自の現象だと指摘する専門家もいる。ではいまの日本が、少年犯罪が増加したとか凶悪化しているとか、なぜ感じるのか。

自分でもそのことを考えてみると、マスコミの過剰すぎるほどの報道にかなり影響されているように思える。私自身が「少年」だった30年以上前は、たとえ少年犯罪が起きても、せいぜい地方新聞の片隅に載るくらいで、いまのように全国津々浦々へ、微細な部分まで情報伝達されることはなかった。よほど身近な事件でない限り、遠くで起きた少年犯罪をいちいち知ることはなかった。

もうひとつは、むかしと最近では犯罪の質が違っていることも、凶悪という印象を強めているようだ。1960年代までは「経済的貧困」を主原因とする少年犯罪が多かったのに対し、1980年代以降は経済的貧困ではない、新しい型の少年犯罪が増加している。例えば遊び感覚で横領や路上強盗に走る。非行歴の全くない「普通の子」が突然犯行に及ぶ。弱者を集団で襲う卑劣な手口の犯行を行なう。そして親兄弟を直接手にかける親族殺人の増加である。

最近起きた両親殺し、兄殺し、教室への爆弾事件などは、少年の最も身近な人が攻撃対象となり、少年に加えられた人間性や人格を否定するような体罰やいじめが、復讐という形で暴発的に犯行へつながったという共通点がある。少年犯罪が起こるたびに、マスコミでは親のしつけや責任が糾弾され、学校の指導・管理体制の強化が云々される。親も子も、ますますストレスにさらされる社会環境になってはいないだろうか。

私の十代半ばまでは、戦後最も少年犯罪の多かった時期と重なっているが、そんなことも知らずのほほんと過ごしていた。それよりはるかに少年犯罪件数の少ない現在の少年たちは、逆に少年というだけで危険というレッテルを貼られ、自分も少年だったことを忘れた大人たちから、色眼鏡で見られているのが現状かもしれない。だとしたら気の毒なことだ。

いつの時代も少年たちは「いまの若いもんは・・」と、大人からけなされる。けれど何と言われようが、これからの日本を背負っていくのは少年たちだ。大多数の健全な生活を送っている彼らを、大人はどれだけくもりのない目で見守ることができるか。少年時代は楽しいことより、つらく悲しいことのほうが多いものだと私は思う。しかしそれが成長の糧となるし、苦しくともいつかは乗り越えられるもの。若い人たちに、私は心から期待している。

   草の葉で汗拭く狼少年のわれ   寺山修司
   木の葉髪父が遺(のこ)せし母と住む  寺山修司
※寺山修司の高校時代の2句 『寺山修司俳句全集』新書館1986年刊より
                               (2005年7月6日)
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>私自身が「少年」だった30年以上前は、たとえ少年犯罪が起きても、せいぜい地方新聞の片隅に載るくらいで、いまのように全国津々浦々へ、微細な部分まで情報伝達されることはなかった。よほど身近な事件でない限り、遠くで起きた少年犯罪をいちいち知ることはなかった。

 読者が誤解しかねないので、コメントします。昭和31年(1956年)10月18日付日本経済新聞 東京版 夕刊では、青森の小学生の大した理由の無い放火が報道されています。もちろん、紙面の都合もあるから、今のテレビのようにとはいきませんが、やはり、できる限り、全国の少年犯罪を詳細に取り上げようと、当時の新聞は努力していたのではないかと私は思っています。少なくとも、東京や大阪の新聞は、そうしていたようです
Transition
2007/07/10 15:18
続きです。
実際、昭和29年(1954年)10月14日付産業経済新聞 大阪版には、少年犯罪を新聞にでかでかと書きたてたりするのは、あまりにも思いやりがなさすぎると主張する大阪愛光婦人会長のコラムが載っています。詳細は、私が書いた下記ブログ記事参照。

http://supplementary.at.webry.info/200704/article_2.html
http://supplementary.at.webry.info/200703/article_8.html
(←大阪愛光婦人会長のコラムが載っています)
Transition
2007/07/10 15:19
>1980年代以降は経済的貧困ではない、新しい型の少年犯罪が増加している。例えば遊び感覚で横領や路上強盗に走る。非行歴の全くない「普通の子」が突然犯行に及ぶ。弱者を集団で襲う卑劣な手口の犯行を行なう。そして親兄弟を直接手にかける親族殺人の増加である。

読者が誤解しかねないので、コメントします。昭和31年(1956年)2月21日付毎日新聞 日刊によれば、金欲しさから、19歳がタクシー強盗をしています。昭和31年2月23日には、世間を騒がせるため、ダイナマイトで、タクシー運転手を殺害して、強盗をしています。昭和31年(1956年)9月6日付日本経済新聞 夕刊によれば、少年らが集団で、16日間も、15歳の少女を監禁し、連日のように、強姦をしています。そのうえ、特飲店に売飛ばし、被害者の姉から恐喝までしようとしています。これは、弱者を集団で襲う卑劣な手口の犯行です。
Transition
2007/07/10 15:20
続きです。
昭和31年(1956年)3月10日付の産業経済新聞 大阪版によれば、19歳の娘が、一家心中を偽装して母、兄弟4人を青酸カリで毒殺しています。そして、殺害の動機は、貧困ではなく、大した理由ではありません。これは、親兄弟を直接手にかける親族殺人です。
Transition
2007/07/10 15:21
続きです。
きりがないので、このへんにしておきますが、経済的貧困ではない、新しい型の少年犯罪は、少なくとも、昭和31年には、かなり、ありました。当時、新聞に載っていた少年犯罪は、大抵、こうであったといっても、過言ではないでしょう(←もちろん、貧困が動機では、ニュースバリューがないから、貧困以外の点を、新聞が、強調したのかもしれませんが)。むしろ、貧困を動機とする少年犯罪の方が、当時の新聞では、あまり、ありませんでした。私が、大阪府立中央図書館などで、閲覧してみた限りでは・・・。詳細は、私が書いた下記ブログ記事参照。

http://supplementary.at.webry.info/200703/article_14.html
http://supplementary.at.webry.info/200703/article_11.html
http://supplementary.at.webry.info/200704/article_2.html
Transition
2007/07/10 15:22
Transition さん、詳しいコメントありがとうございました。あまり実証的ではない私の文章に対し、過去の新聞記事をたくさん例示していただき、私の記事の不確実さから生じる誤解がかなり改善されたのではないかと思います。
言い訳がましいですが、私の家にテレビが来たのは昭和34年末の小学4年生の時、私が新聞を読み出したのもそのあたりかと思いますが、当時、事件などのいわゆる社会的なニュースはほとんど自分の興味外なので、事件はあっていても知らなかっただけのようですね。
takeko
2007/07/12 14:45

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